命、燃ゆ







 時は少しだけ遡り、テックマスターの武器庫にて。

 輝夜が見せられたのは、何の変哲もないペン型の注射器であった。




「これが、アドバンスですか」


「ああ。いわゆる、軍用ナノマシンってやつだな」


「……ナノマシン」




 ナノマシンならば、輝夜にも馴染みがある。

 注射ではなく、錠剤としての使用だが。




「こいつを投与すると、戦闘力が”数倍”に跳ね上がる。そこらへんの連中が使ったとしても、幹部と殴り合えるくらいにはなるぞ」


「なるほど」


「だが無論、”デメリット”は存在する。そうでなければ、みんな普通に使ってるからな」




 戦闘力が数倍に跳ね上がる。

 しかし、アドバンスにはそれ相応のリスクが存在した。




「素の実力以上の力を、一体どこから引き出しているのか。それは単純、”自分の未来”だ」


「未来?」


「ああ。言い換えれば、”寿命”だな。こいつは寿命を代償に、信じられないほどのパワーを与える劇薬だ」


「……」




 寿命を代償に、力を得る。

 いざという時に戦う覚悟はあるものの、やはり容易に手を出せるものではない。




「とは言え。数回の使用なら、そこまで問題はないはずだ。現に、俺も一度だけ試しに使ったが、2~3日体が重くなる程度だったぞ」


「……それくらいなら」




 何もしなくても、輝夜は日頃から体が重いと思っている。

 そのくらいのデメリットなら、何の問題もない。




「だが、”髪の毛が白く”なり始めたら、もう絶対に使用するなよ」


「?」


「前にうちのメンバーが、こいつを頻繁に使用していた。するとそいつの髪の毛は、次第に白が交じるようになってな。日を追うごとに、白髪の割合は増えていった。……そして、完全に真っ白に染まったら最後、そいつは二度と目を覚まさなかった」


「ッ」




 つまりは、死亡したということ。

 アドバンスを使い続けると髪の毛が白くなり、それが最終的に死を招く。




「まぁ。さっき言った通り、数回の使用なら問題はない。嬢ちゃんにはお守りとして、3本預けよう」


「……ありがとうございます」




 そうして輝夜は、”力”を手に入れた。

















 首の右側に刺した針から、真っ赤な液体が流れ込んでくる。


 決して、人間が使ってはならない技術。

 悪魔ですら、寿命を失うような劇薬。


 それが輝夜の体内を凄まじい勢いで駆け巡り、同時に体が燃えるように熱くなる。

 心臓の鼓動も、高鳴っていく。




 だがしかし、このナノマシンと輝夜との相性は、”最悪”であった。




 アドバンスは、一瞬にして輝夜の体内を駆け巡り。

 腸内にあった、”生命維持用ナノマシン”のクラスターを駆逐。

 それと同時に、輝夜の髪が”白く”染まり始めた。



 輝夜は、それに気づかない。

 変化する自分の体に、ひたすら気持ちを高揚させる。




(戦闘力が数倍、か)




 いつもと違い、腕や指をスムーズに動かせる。

 まるで、普通の人間のように。




(わたしが使ったところで、せいぜい人並みの身体能力になる程度か。――だが、”それでいい”)




 輝夜はずっと、試したいと思っていた。自分に何が出来るのか。どこまでやれるのか。

 ゲームの世界ではない、この”現実”の世界で。





「ふふっ」




 この上なく、体が軽く感じられる。


 重い服を脱いで、背中に翼が生えたような。


 ”生きている”という実感を、今日ほど感じたことはない。




 輝夜は太もものホルダーから、二本のナイフを取り出した。




「おいおい、嬢ちゃん。まさかそいつで戦おうってか?」




 ゴレムが嘲笑う。きっと彼からしてみれば、このようなナイフをどう扱おうと、脅威になるとは思えないのだろう。


 そんな彼の姿が、輝夜には”獣”に見えた。

 ゲームとまったく同じ。自分は武器となる刃物を持って、凶暴な獣を駆除する。それと何も変わらない。




 輝夜には、ずっと思うことがあった。

 もしかしたら自分は、”すごく強い”のではないかと。




 これまでの人生の中で、戦いに触れたことは一度もない。ゲームの世界での経験が、輝夜の知る唯一の戦いである。

 だから、何の確証もない。現実とゲームは違うのだから、本当は何も出来ないのかも知れない。




 だが、それでも。

 ”この力を、試してみたかった”。





 自身の足で、輝夜は駆ける。


 生まれて初めての全力疾走。


 骨折が怖くて、走ることなんて不可能だった。


 しかし、今は違う。もう何も怖くない。




「へへっ」




 輝夜を捕まえようと、ゴレムが右手を伸ばす。

 まるで警戒していない。小動物を捕まえるような、のろまな動作。


 対する輝夜の刃は、何よりも鋭い。



 右手に持った、”ブルーナイフ”を一振り。

 研ぎ澄まされた一閃で、



 ゴレムの右手を、容易く切断した。





「……あ?」


「悪いな」




 無くなった右手に、ゴレムは思考が停止し。

 それでも輝夜は止まらない。



 躊躇なく前に踏み込み、彼の顔面を斬り裂いた。


 それにより、鼻と右目を抉り取る。




「うおおおおッ!!」




 それにより、ようやく輝夜の危険性に気づいたのか。

 ゴレムは激しく暴れ回り、輝夜は危なげなく距離を取った。




(あぁ……)



 輝夜の表情が、恍惚に染まる。




「テメェ、この野郎ッ!」


「ふふっ」




 怒りに狂い、ゴレムが本気の拳を振るってくる。

 しかし輝夜は、まるで先が読めているかのように攻撃を回避。


 お返しとばかりに、ナイフの刃を突き立てていく。




(電気は効かないか)




 敵の身体状況を冷静に分析し、有効な攻撃手段を考える。

 ゲームをするときと、何も変わらない。




(これが、わたしの強さ)




 人並みの身体能力があれば、これくらいの芸当は容易く行える。

 悪魔だろうが何だろうが、誰にも負けはしない。



 強靭な肉体を持つゴレムを、輝夜は軽々と翻弄し。

 その動きを封じるために、足裏の腱を斬り裂いた。




「ぐッ」


「ばーか」


「ッ、このクソ!」




 ゴレムは怒りで我を忘れ。

 より一層、輝夜に翻弄される。




(人型の敵と戦うのは初めてだが、案外楽勝だな)




 輝夜は、”戦いの天才”だった。


 その性格によるものか、あるいは”血筋”か。

 もしも脆弱な肉体でなければ、恐るべき戦闘力を持っていただろう。




(悪魔の倒し方は知らないが……)




 輝夜は、敵の心臓部を見据える。

 人と悪魔は、似たような生き物だと言う。ならばきっと、致命傷の与え方も同じなはず。



 心臓を貫けば、殺せる。

 だが、しかし。




「……あ、え」




 そう、確信した瞬間。

 ここまで絶好調だった輝夜の動きが、ピタリと止まってしまう。




(殺す? 敵を、殺す?)




 まるでその感情に、体が拒絶反応を示すかのように。




(……こいつは人じゃない。悪魔なら、殺したって)




 気に入らない奴なんて、どうなってもいい。

 死のうが、ボコボコにされようが、何とも思わない。


 あの夜だって。変貌した善人のことを想っただけで、あの悪魔に関してはどうでも良かった。

 むしろ、とどめを刺すべきだとも思った。


 そう、思えたはずなのに。




――邪魔する奴は、全員殺す。




 覚悟は、決まっていたはずなのに。




(あぁ……)




 制御不能の感情と、”溢れ出る涙”を自覚しながら。


 輝夜の視界は、真っ黒に染まっていった。










◆◇




◆◇










 まだ、生きている。


 まだ、生きていていい。


 そう背中を押されるように、輝夜は目を覚ました。





 ここはどこだろう。

 なぜ眠っていたのだろう。


 のろまな脳みそを動かしながら、輝夜は周囲を見渡す。


 そこは、見知らぬ部屋だった。

 睡眠に配慮しているのか、照明は薄暗く。目に入るテクノロジーから判断して、恐らくはまだ魔界であろう。

 壁には、モニターやボタンが配置してある。




「……む」




 一通り周囲を見渡し。

 ようやく輝夜は、隣りで眠る”栞”の存在に気づいた。


 微かに動いているため、生きているのは確かである。

 軽く触ってみても、どこか怪我をしているようには見えない。いたって健康であり、輝夜は一安心する。




(カノンは?)




 ここまで連れて来てくれたであろう、あの優男はどこにいるのか。

 輝夜がそう疑問に思ったとき。


 ぴと、と。

 足音のようなものを感じ、そちらに目を向けると。




「――ッ」




 そこには、化け物が存在していた。


 三つの首が生えた、恐ろしい犬の怪物。

 いわゆる、”ケルベロス”というものだろうか。

 その大きさは、人を背中に乗せられるほどに大きい。


 三つの首が、輝夜の姿を見つめている。




 本能的に、危機感を覚え。少しでも応戦できるよう、輝夜は太もものナイフホルダーに手を伸ばす。

 しかし、そこにナイフは存在しない。




「くっ」




 輝夜は、とりあえず立ち上がろうとするものの。

 妙なバランスの悪さを感じ、姿勢が揺らいでしまう。


 何かがおかしい、視界がおかしい。

 顔に何かついているのだろうか。そう思い、輝夜は顔の右側に手を触れ。


 ”右目が見えない”ことに、ようやく気づいた。




(……嘘、だろ)




 悪魔からの攻撃で、目をやられたのだろうか。

 しかし、触れてみた様子から、怪我をしたようには感じない。


 瞳は確かに存在する。

 だがそれでも、瞳には何も映らない。


 輝夜の右目は、完全に視力を失っていた。




(アドバンスの副作用? でも、たった一回使った程度で?)




 視力を失った事実に、輝夜が動揺していると。

 恐るべき獣、ケルベロスが彼女の元へと近寄ってくる。




「ッ」




 もう一度アドバンスを使えば、この化け物も倒せるだろうか。

 しかしながら、手元にはナイフも存在しない。



 せめて、栞だけでも守れるように、輝夜は重い体を動かすも。

 バランスを崩し、その場に倒れ込んでしまう。




(しまった)




 いつも以上に、体の動かない輝夜のもとに、ケルベロスがやって来る。




「くっ」



 死を覚悟し、輝夜は瞳を閉じる。




 すると、ケルベロスの三つ首はそれぞれ輝夜の匂いを嗅ぎ始めた。

 興味深いものを見つけたように、隅々まで嗅いでくる。




「うぅ」



 言いようのない恥ずかしさに、輝夜は必死に堪える。




「……言っとくが、わたしは美味くないぞ。”薬漬けの女”だからな」




 輝夜の言葉が通じているのか、通じていないのか。

 ケルベロスは輝夜の匂いを嗅ぎ終わると、続いて体を舐め始める。


 手や、顔など。

 その動作は、食べる前の味見などではなく。


 優しく撫でるような、そういう舐め方であった。

 まるで、輝夜の体をいたわるかのように。




 ケルベロスに舐められるという、不思議な体験をしながら。

 輝夜は不意に、真っ暗なモニターに映る自分の姿を見て。




「ッ」



 思わず、絶句してしまう。




 そこに映る自分の髪の毛が、”右半分真っ白”に染まっていたのだから。




 アドバンスを打ったのが右側だから、右側を持っていかれたのか。

 輝夜は右目の視力を失い、髪の毛の色素すら失っていた。




「……」




 乱用すると、髪の色が白くなる。寿命を失ってしまう。これは、そんなレベルではなかった。


 たった一度の使用で、”寿命の半分”を持っていかれた。 


 人と悪魔で、これほどまでに違いが出るのか。

 それとも、輝夜の体が脆すぎたのか。




 ただ、無情に。

 その姿は現実を突きつけてくる。




 ケルベロスの三つの首は、それぞれ”過去”、”現在”、”未来”を見るという。


 ゆえにその獣は、輝夜の未来を哀れんだ。















「――目が、覚めましたか」




 輝夜が、ひたすらケルベロスに舐められていると。

 頼れる味方、カノンが部屋にやってくる。


 怪我の無さそうな彼を見るに、どうやらここは安全な場所らしい。




「ここは?」


「この場所は、魔界の第1層にある、”ニャルラトホテプの隠れ家”です」


「にゃるらと?」


「はい。”あなたの電子精霊”が、ここまで案内してくれました」




 輝夜の電子精霊、つまりは”マーク2”のことであろう。

 どうやら輝夜が眠っている間に、色々と物事が動いたらしい。




「……栞は、普通に寝てるだけか?」


「ええ、ここまでの疲れもあるのでしょう。人間界、日本の時間で考えると、今は深夜ですから」


「そうか」




 魔界には太陽がない。ゆえに、昼も夜もない。

 思い返せば、輝夜もずっと行動をし続けていた。



 輝夜とカノンが話している間も。

 ペロペロと、ケルベロスは舐めることを止めない。




「この生き物は?」


「ケルベロスという、”希少な魔獣のクローン”だそうです」


「クローン?」


「ええ。ニャルラトホテプと言えば、優れた技術者として有名でしたが。まさか、クローン技術にまで精通していたとは。まさに驚きですね」




 世にも珍しい、魔獣のクローン。

 どうやら危険性は無さそうなので、輝夜はケルベロスを撫でてみる。


 三つも首があるので、撫でるのも大変である。




「随分、人懐っこいな」


「この施設は、10年以上は放置されていたはずなので。おそらく、来訪者が物珍しいんでしょう」




 この隠れ家の持ち主、ニャルラトホテプは12年前の大崩壊で死亡している。

 もしもマーク2がいなければ、ここには誰も立ち寄らなかったであろう。




「で、マーク2は?」


「ちょっとした調べ物を依頼しています」


「ふーん」




 一時は、どうなることかと思ったが。

 誰一人欠けることなく、輝夜たちはテックマスターから逃げることが出来た。この上なく、素晴らしい結果である。



 だがしかし。



 白く染まった、輝夜の髪の毛。

 それだけが、目に見えて変わってしまった。




「……これはっ」




 気まずそうに、輝夜は目を逸らす。


 アドバンスを使ったことによる、致命的な代償。カノンには何と言われるだろうか。


 しかし、




「輝夜さんの髪の毛、どうも謎ですよね」


「えっ」


「いえ、なんと言いましょう。髪の毛が急に白くなるなど、わたしも完全に初耳なので。……魔界の空気が、合わなかったのでしょうか」





 カノンは、アドバンスについて知らなかった。


 とはいえ、あり得なくはない話である。

 彼は必要ないという理由で、改造手術や武器に手を出すことがなかった。

 寿命を削る可能性のあるアドバンスなど、きっと興味すらないのだろう。





「……まぁ、大丈夫だろう。他に異常も無いしな!」




 なので輝夜は、誤魔化すことにした。


 右目の視力も失ってしまったが、それも言わなければ分からないだろう。




 戦う力を求めて、寿命を半分失ってしまった。そんな事実を正直に話したら、カノンはどんな反応をするだろう。

 愚かだと哀れむのか。それとも、何とも思わないのか。




 彼の目を見るのが、少しだけ怖かった。





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