反逆の魔弾






 魔界、第5層。

 テックマスターのアジト。


 地下にある厳重な隔離室の中に、栞は閉じ込められていた。



 ただひたすら、恐怖に震え、時を待ちながら。

 部屋の片隅で膝を抱える。



 食料らしきものは与えられているが。得体の知れない加工食品のようなもので、とても食べられるものではない。




 悪魔による誘拐は、非常に有名である。

 年間、確認されているだけでも数百人規模の人間が悪魔によって拐われてしまう。


 問題は、数百人という数ではない。

 もちろん、少ないに越したことはないが。




 悪魔による誘拐で問題なのは、”絶対に戻ってこない”ということ。




 誘拐され、悪魔の住む魔界に連れて行かれる。そうなったらもう、人類に助ける手立ては残っていない。



 魔界に、人の手は届かない。

 悪魔には太刀打ちできない。






(……輝夜が、一緒なら)




 孤独感から、栞はそんな事を考えてしまうも。すぐさま思考を放棄する。

 酷い目に遭うのは、自分一人でいい。


 あの時、輝夜を突き飛ばしたのは間違っていない。




「……輝夜」




 信じられないくらい綺麗で、それでいて可愛くて。初めて会った時は、怖い人なのかと思った。

 でも、本当は優しくて、ちょっと変わってて。


 恋愛の話が無かったとしても、友達になれると思った。

 それなのに、もう会えない。




 そうやって、栞がうつむいていると。

 部屋の外から、何やら話し声が聞こえてくる。




「――えっ、こいつをヒューマンスキンに?」


「ええ、アトムからの指令が出ました。こちらの新入りが、適格者となります」




 何を話しているのだろう。

 栞には理解が出来ない。




「いやでも、もったいなくないっすか? せっかく可愛い顔した人間なのに」


「アトムの命令は絶対です。わたしも心苦しいですが、あの人間には犠牲になってもらいましょう」




 話の内容から察するに、どうやら自分に関係しているらしい。

 きっと悪い意味で、ここでの生活が終わりを告げる。


 迫りくる恐怖から、胸の鼓動が鳴り止まない。




(……嫌だ、死にたくない)




 栞が震えていると。

 扉を開けて、悪魔が部屋に入ってくる。



 初めて見る、銀髪の悪魔。

 そして、




「――なるほど、こいつの皮を被るのか」




 どこか安心する。

 聞き覚えのある、少女の声。




「……悪くない」




 ここに、居るはずのない人物。

 紅月輝夜が、変わらぬ笑みを浮かべていた。

















 訪問者の手によって、栞は隔離室から連れ出され。

 その正体を隠すように、真っ黒なフード付きのコートを着せられた。



 栞の前を歩くのは、助けてくれた銀髪の悪魔。



 そして輝夜は、


 震える栞の手を掴み、しっかり引っ張ってくれていた。





「……言っただろ? 必ず助けは来るって」




 振り向かず、輝夜が声をかける。




「……うんっ」




 安心させるように、握ってくれた手が、とても温かくて。

 とめどなく涙が溢れてくる。


 ここがもっと別の場所だったら、思いっきり抱きつきたいほど。

 気持ちが、溢れそうだった。





「このまま、お二人を転移装置のある部屋まで連れて行きます。決して怯えたりせず、なるべく堂々としていてください」


「分かったよ」




 カノンの言葉に、輝夜は返事をすると。

 すぐさま栞に微笑みかけた。


 もう大丈夫、わたしたちに任せれば問題ない。そう伝えるように。




「……えっと、その人は?」


「心配するな、味方だ」


「味方です」




 なるべく怖がらせないよう。カノンは、栞に爽やかな笑みを向けた。


 一体なぜ、どうやってここまで来れたのか。

 栞には、疑問がいっぱいだった。









 捕われていた栞を連れ出し、ここまで穏便に事を運んできた。

 何も問題がなければ、このまま二人を地上に帰せる。


 カノンは、そう思っていたが。




「よう、カノン」




 先程も会った、スキンヘッドの悪魔が現れる。

 どうやら今度は、明確な用事があるらしい。




「またあなたですか。今度は何のようです?」


「”アトム”が呼んでるぜ」


「ッ」




 テックのリーダー、アトムの名前が出て、流石にカノンも動揺する。

 なぜならその名前を利用して、栞を隔離室から連れ出したのだから。




(まさか、もうバレたのか?)




 脳裏に、最悪がよぎる。




「……後ほど、向かわせてもらいます」


「いいや、今すぐ連れてこいって話だ。そっちの入団希望者もな」




 そう言って、スキンヘッドの悪魔は輝夜たちを見る。




「あぁ? そっちのは何だ?」




 フードで顔を隠した者。

 栞の存在は、彼にも見覚えがなかった。




「こちらも新人ですよ。ちょっとした特殊能力で、存在感を消せるんです。さっきは、気づきませんでしたよね?」


「ほう、なるほどな」




 カノンは、適当な嘘でこの場を乗り切る。

 相手が脳筋悪魔で助かった。




「んじゃまぁ、ついてこい」




 案内するべく、スキンヘッドの悪魔が歩いていく。その言葉に従い、もちろんついていかなければならないが。


 その選択肢は、今のカノンには無かった。


 輝夜に、無言でアイコンタクトを送り。

 その意図を察して、輝夜は”左の太ももにあるナイフ”を取り出す。




「――申し訳ない」




 この馬鹿はともかくとして、アトムの目は誤魔化せないだろう。



 カノンは、輝夜からナイフを受け取ると。



 激しい電流の流れる刃を、悪魔の背中に突き刺した。















「さぁ、お二人共。こちらの部屋へどうぞ」




 面倒事を、”穏便な方法”で解決し。

 騒ぎ一つ起こさず、輝夜たちは目的の部屋まで辿り着いた。



 重厚な扉を開けて、部屋の中へと入る。




「ここは?」


「サイエンスルームです。高度なテクノロジーは、全てここで管理されています」




 その部屋は、他よりも明らかに文明レベルが高かった。


 大量に置かれた電子機器に、不思議な静寂性。


 ”人間のものではない高度な技術”に、言葉に出来ない感情を覚える。




 ここにあるという、地上へ繋がる転移装置。

 それを使えば、輝夜と栞は帰れるのだが。





「――おう、よく来たな」





 まさかの声に、カノンは立ち止まる。


 そこに居たのは、今”最も会いたくない人物”であった。




 浅黒い肌に、真っ白な髪をした悪魔。

 他のメンバーと同じ、ライダースのような服装に身を包み、粗悪なタバコを吸っている。




 テックマスターのリーダー、アトムである。




「ゴレムはどうした?」


「……いえ、その」




 なぜ、彼がここにいるのか。


 先回りをされた、計画がバレていた。

 そんな事を考えながらも、カノンは”簡単な結論”に辿り着く。




 思えば、アトムのもとへ連れて行くとは聞いていたが、どこに行くのかまでは聞いていなかった。


 つまり元々、彼はカノンを”ここへ連れてくる”つもりであった。




「どうやら彼は、仕事が一つ残っているとかで」


「……そうか」




 裏切りがバレたわけではない。

 輝夜たちの正体も、まだ気づかれていない。


 カノンは動揺の色を隠し通す。




「そっちの二人が、入団希望者か?」


「ええ。こちらに戻る途中に、声をかけられまして」




 ここにアトムが居るのは想定外だが。

 まだ、事は穏便に済ませられる。




「それにしても、どうしてここへ?」


「ああ、”こいつ”が届くのを待ってた」




 そう言ってアトムが手にするのは、”鋼鉄の骨格”のような物。

 恐らくは、サイボーグに用いる部品なのだろうが、明らかに普通の物ではない。




「上で開発された、次世代のパワーフレームだ。俺はこれと一体化し、”魔王級の力”を手に入れる」


「……なるほど。それは、素晴らしいですね」





 どうやらアトムは、新しいサイボーグ技術を楽しみにしていたらしい。


 とはいえ無論、話はそれだけではない。





「レパードはどうした? なんでテメェだけが帰ってきた」


「申し訳ありません。想定外の敵とぶつかりまして」


「で、テメェだけ逃げ帰ったのか?」


「……はい」




 今回の一件で。人間界に送られたメンバーのうち、生き残ったのはカノン一人だけ。

 上司であるレパードを差し置いて、彼一人だけが帰ってきた。


 その結果は、アトムとしても芳しくない。




「……プライヤとレパード。短期間で、幹部を二人も失った。次の作戦の前に、新しいメンバーを立てねぇとな」


「次は、誰になさるおつもりですか?」




 すでに、テックを裏切ることは確定しているが。次の幹部となれば、流石にカノンも興味があった。

 ”実力順”で考えれば、選択肢は一つであろうが。




「とりあえず、ゴレムを幹部にする予定だ」




 ゴレムとは、例のスキンヘッドの悪魔のこと。

 今頃、どこかで失神していることだろう。


 彼が幹部になると聞き、カノンは少々驚いた。




「何か、言いたそうだな」


「いえ。てっきり、もっと強い者が選ばれるかと」


「……つまり、テメェか?」


「まぁ、別に望んではいませんが」




 どのみち、今日でここを抜ける予定である。





「――心配すんな。何があっても、”テメェは幹部にはなれねぇよ”」





「……と、言いますと?」




 なぜ、そうまで言われるのか。

 カノンには理由が分からない。




「俺たちテックは、単なる悪魔じゃねぇ。テクノロジーと肉体を融合させ、”痛み”と共に強くなってきた」




 それが、この組織のやり方。

 多くのメンバーが、それに当てはまる。




「テメェはここに入ってから、どっか改造したか?」


「いいえ、どこもしていません」


「なんでやらねぇんだ?」


「そうですね。……まぁ、”必要ないので”」





 何の悪気もなく、カノンはそう言い放った。

 周囲の悪魔が、その態度をどう思っているのか。


 目の前のリーダーが、何を考えているのかも知らずに。





「……この階層が崩壊した時。力のある悪魔は、そそくさと別の場所に逃げていきやがった。ここに残されたのは、”俺たちみたいな雑魚”ばかりだ」




 生まれながらの才能は変えられない。

 雑魚悪魔は、最初から最後まで雑魚として生きるしかない。




「だがそれでも。改造すれば、どんな悪魔でも強くなれる。”上級ども”を見返せる。それが俺たち、――”テックマスター”なんだよ」





 彼が、彼らが。

 なぜカノンをここまで”敵視”しているのか。


 輝夜は、その理由を察する。





「テメェ、尻尾の数はいくつだ?」


「……”三つ”、ですかね」




 流石のカノンも、若干気まずそうに尻尾の数を答える。


 アトムを含めて。テックマスターに所属する悪魔は、みな”一尾”しか持っていないのだから。


 カノンと彼らでは、生まれながらの才能が違う。




「……上級悪魔が、なんでうちに入った?」




 アトムは、当然の疑問をぶつけた。










◆◇










 12年前。


 それはまだ、世界が平和だった頃。




 第5層は魔界でもトップクラスの都市部であり、多くの悪魔が豊かな生活を送っていた。


 まだ幼かったカノンも、裕福な家庭で暮らす一人の子供に過ぎなかった。




 最新のゲームを夜通しプレイしたり、友達と一緒に別の階層へ行ったり。


 駅の中に映画館があり。

 学校をサボって、そこで映画を見るのが好きだった。




 ”人間”という存在を知ってはいても。

 遠い世界の生き物と、あまり関心は持っていなかった。






――あの日までは。






 カノンは、今でもその時のことを思い出す。


 普通に学校がある日で。その日は気まぐれで、駅の映画館でサボっていた。


 だからこそ、”生き残ってしまった”。





 世界がひっくり返るほどの地響き。


 崩れる壁や天井。


 まるで、映画の世界が飛び出してきたかのような。

 非現実的な現象が、魔界全体で発生した。




 後に、”大崩壊”と呼ばれることになる事件。


 魔界を標的にした人類からの攻撃で、2000万人を超える悪魔が死亡した。




 5層から9層に対するダメージは致命的で、暮らしていた悪魔の9割超が死亡した。



 生き残った悪魔はごく僅か。

 カノンは、そのうちの一人だった。



 家族や友人は全員死亡。

 街の全てが破壊され、食べるものも、寝る場所も残っていなかった。




 他の階層も大なり小なりダメージを負っていたので、ここに助けを送るような余裕もなく。


 カノンがあてもなく彷徨っている時に、彼らは現れた。




 アトム率いる、”テックマスター”が。




 下級悪魔によって構成されたギャング組織。

 サイボーグによる強靭な身体能力をもって、彼らはこの第5層に秩序をもたらした。




 暴力も辞さない、荒々しい集団だったが。

 それでも、カノンにはヒーローのように見えた。




 だからカノンは、テックマスターに入ろうと思った。

 リーダーのアトム、その背中に憧れて。






 しかし、カノンの憧れた彼らは、奇しくもカノンとは”正反対”の悪魔たちだった。


 裕福な家庭の生まれではない。

 優れた才能を持った悪魔でもない。


 最初から底辺に居た、何も持たない下級悪魔たち。


 大崩壊で全てを失ったカノンとは、似ているようでまるで違う。




 彼らの行動理由は、上級悪魔への対抗心から来るもの。

 この階層を捨て、見て見ぬふりをした連中に噛みつくために、テックマスターはここまで大きくなってきた。


 肉体を機械に置き換え、地獄のような痛みに耐え。

 それにより、固い絆を結んできた。




――改造ですか? わたしには必要ないので。




 もしも、そんな事を言っている上級悪魔が、仲間内に居たとしたら。


 その組織内で、どのような感情を向けられるだろう。















「レパードの奴は、実力さえあれば何でも良かったからな。……それで、テメェを側近にしてたらしいが。俺にそんな気は毛頭ねぇ」




 カノンが今までつるんできたのは、そういう”寛容”な悪魔たち。

 上司であるレパードが居なくなった今、彼の立場は非常に悪くなっていた。




「……この街を良くしようと、わたしも頑張ってきたつもりですが」


「そういう問題じゃねぇ、俺たちは”テックマスター”だ。上級悪魔ってのは、存在自体が目障りなんだよ」





 この空間が、何とも言えない雰囲気に包まれる。



 悪魔同士の口論に、栞は恐怖しか感じない。


 そして輝夜は、





(――こいつ、めちゃくちゃ嫌われてるじゃないか)





 不本意にも、少し笑いそうになっていた。




 気取った性格で、女性に優しく。なおかつ才能のある悪魔。

 輝夜の立場からすれば、非常に都合の良い存在だが。




 このテックマスターという組織において、カノンは非常に評判がよろしくなかった。


 むしろ彼は、今まで気づいていなかったのだろうか。 


 ギスギスとした空気の中。

 カノンも輝夜も、不用意に動くことは出来ない。




 すると、アトムの持つ携帯端末に連絡が入る。

 彼はその電話に対応することに。




「――あぁ? そんなわけねぇだろ」




 なにか、”トラブル”でもあったのか。

 アトムは口調を荒げる。 

 



「一体、誰がそんなふざけた真似をしやがった」




 電話越しに。


 彼は、その”トラブルの原因となった人物”の名前を聞き。




 驚愕に染まった表情で、カノンの顔を見ると。

 ゆっくりと電話を切った。





「……おい、カノン。”後ろに連れてる奴”は、一体何だ?」




 その言葉に、輝夜と栞はギョッとする。


 つまり今の電話は、”人間の女が消えた”、という報告なのだろう。


 そして、その手引きをしたカノンは。





「――ふふっ。ははははっ」





 何がおかしいのか、急に高笑いをし始めた。


 なぜ今笑うのか、輝夜にも理解が出来ない。





「……いやぁ、知りませんでした。まさかわたしが、そこまで嫌われていたとは」





 人間も悪魔も、社会や組織は変わらない。

 人に好かれる者がいれば、逆に嫌われる者もいる。



 そして、彼のように。

 ”嫌われているのに気づかない者”も、やはり存在していた。





(……あぁ)



 カノンという男の残念さに、輝夜は言葉も出ない。





 だがしかし。


 その嫌われていたという事実が、彼の中にある”最後の葛藤”を吹き飛ばした。





「――ならこれで、遠慮はいりませんね」





 清々しい表情で、カノンは右手を銃のように構えると。


 リーダーであるアトムに、”強烈な魔弾”を放った。





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