デッドライン
「はぁ、はぁ」
遥か遠くに見える、ルシファーの光。
それを目指して、輝夜とカノンは歩みを進める。
昼も夜もない、薄暗い世界。
足元は不安定な瓦礫の山で、非常に歩きづらく。
単純な体力不足に加えて、左腕の痛みも響いてくる。
ただ歩くという行為も、輝夜にとっては苦痛であった。
「大丈夫ですか?」
「あぁ」
カノンが心配そうに声をかけるも、輝夜は空返事をするのみ。
こんな場所で、立ち止まっている暇はない。
「一応、あなたには恩があるので。我々のアジトまでは連れていきましょう。ですが、少女の救出までは、流石に手を貸せませんよ」
「ほんとに?」
「ええ、もちろん。なるべく、レディには優しくしたいですが、仲間を裏切るわけにもいかないので」
「はぁ、それは残念」
そうして、二人はひたすらに歩き続けた。
「……そろそろ、大丈夫そうですね」
「ん?」
急に、カノンが立ち止まる。
「わたしの足ですよ。時間が経ったので、もう治りました」
流石は悪魔というべきか。
この短時間で、彼はほぼ全ての傷が完治していた。
「街まではだいぶ距離があるので、わたしが背負っていきましょう」
「……結構だ」
提案を無視して、そのまま進もうとする輝夜であったが。
「本当ですか?」
「あっ」
ちょんと、肩を小突かれ。
あっけなくバランスを崩してしまう。
転ぶ寸前で、輝夜はカノンに支えられた。
「歩き方が、先ほどからかなり不安定です。正直、無理はオススメしません」
「くっ」
悪魔の手を借りるのは、非常に不愉快ではあるものの。
仕方がないので、輝夜はカノンに背負ってもらうことに。
「……くさい」
「文句なら、あのチンピラに言ってください」
カノンが着ている服は、中々に異臭を放っていた。
密着しただけで、輝夜は涙が出そうになる。
(不衛生すぎて、病気になりそうだな)
カノンの着ている服も、この場所自体も。
前世を含めて、体験したことのない衛生状態であった。
「では、行きます」
輝夜を背負いながら、カノンが跳躍。
人間を遥かに凌ぐ身体能力で、ゴミ山を軽々と飛び越えていく。
「ッ」
凄まじい移動速度に。
振り落とされないよう、輝夜は必死にしがみついた。
「……それにしても、酷い場所だな」
周囲を見渡せば、どこも似たような光景ばかり。
まともな建造物など存在せず、ガラクタや瓦礫の山しか存在しない。
時折、わずかに人影のようなものが見えるが。
先ほどのチンピラ同様、ゴミ漁りでもしているのだろう。
人の住むような環境ではない。
地獄のような場所であった。
「人間の攻撃で、こんな有様になったんだって?」
「ええ、そう聞いています」
「聞いてるって。……つまり、実際はどうか分からないんだな」
「確かにそうですが。少なくとも、有力な悪魔たちはそう考えています」
「ふーん」
人間側の攻撃で、魔界のいくつかの階層が崩壊。その結果として、こんな瓦礫の山が誕生した。
そんな話、輝夜は一度も聞いたことがなかった。
そもそも、”どんな兵器”を使えば、こんな有様になるのか。
もしも核兵器でも使ったのなら、それだけで輝夜には致命的である。
「それと。街ではくれぐれも、人間だとバレないようにしてください。流石のわたしも、それは庇いきれないので」
「分かったよ」
改めて、輝夜はカノンにしがみつく。
「……ほんとに臭いから、しばらく口呼吸にしとく」
「……」
カノンは少し、切ない気持ちになった。
◆
天と地を結ぶ、巨大な光の柱。
ルシファーの光。
その近くにある街へと、輝夜たちはやって来た。
果たして、”これを街と呼ぶべきなのか”、少々疑問ではあるが。
「……なるほど」
少なくとも、輝夜が知る”街”ではなかった。
悪魔たちが暮らせるよう、ある程度は瓦礫が片付けられているものの。
やはり、周囲にはゴミが散乱し。
ゴミを集めて、無理やり作ったような家屋ばかり。
そこに暮らす悪魔たちも、同様に不衛生そうな格好をしていた。
日本と比べても、文明レベルが数段劣っているように見える。
(確か、アモンは)
”科学も魔法も、魔界のほうが進んでいる”。彼はそう言っていた。
しかし、これまで見てきた光景からは、とてもそうは思えない。
「魔界ってのは、こんな場所ばっかなのか?」
「あぁ、いえ。この階層は、かなり事情が複雑なので。よそへ行けば、もっと文明的ですよ」
「ふーん」
少なくともアモンは、ゲームやネットの環境がある場所で暮らしている。つまり、こことは別の階層にいるのだろう。
悪魔とのオフ会は、当分先の話である。
輝夜が、周囲の様子を観察していると。
周囲からの視線が、こちらに集まっているような気がした。
「……これは単純に、わたしが場違いだから目立ってるのか?」
「ええ、恐らく。あなたのように美しい方は、この階層では珍しいので」
「ふんっ」
褒められたところで、輝夜は嬉しくも何ともない。
「ひとまず、知り合いの薬売りの所へ行きましょう」
「薬売り?」
「ええ、老婆が経営している場所です。まだ、生きていると良いですが」
「……分かった」
輝夜の左腕は、あくまでも応急処置をしたに過ぎない。適切な処置をしなければ、体調にも影響があるだろう。
ただでさえ、この場所は不衛生なのだから。
輝夜とカノンは薬売りのもとへと向かう。
「にしても、薬売りか。ここには病院もないんだな」
「ええ。というよりも、基本的に魔界には病院がないんです」
「ほぅ」
「悪魔は、人間よりも優れた生き物ですから。病気などでは死にませんし、怪我もすぐに治ります」
「なるほどな」
聞けば聞くほど、輝夜とは正反対の生き物である。
「ですが、生まれつき魔力の弱い悪魔や、幼い子供などは普通に病気にかかるので。そういった場合にのみ、薬に頼るんです」
「ふーん」
そんな話をしつつ。
二人は、薬売りの店へとやって来た。
「……うっ」
他の建物と変わらない、ボロボロのお店。
仮にも、薬売りがこんな環境で大丈夫なのかと、輝夜は不安でたまらない。
というより、中に入りたくはなかった。
「オババ、居ますか?」
カノンが呼びかけるも、一切反応はなく。
店内には明かりも灯っていない。
「とりあえず、入ってみましょう」
「……あぁ」
気は進まないものの、輝夜は店の中へと入る。
一応、薬を売る店としては機能していたのだろうか。
錠剤や液体の入った瓶が、そこら中の棚に収められていた。
しかし、どの場所もホコリまみれであり、年単位で放置されているように見える。
(これは、駄目だな)
この店は頼りにならない。
そう思いつつ、輝夜がぶらついていると。
「っと」
何か大きなものにぶつかってしまう。
「ん?」
暗くてよく見えず。
何かと思って、輝夜が目を凝らしてみると。
「ッ」
それは、”椅子に座る老婆”であった。
年寄りらしく、腰が曲がって。
おまけに全身ホコリまみれ。
店と同じく、何年も放置されていたような有様であり、とても生きているようには見えない。
「おーい、ババアが死んでるぞー」
そう言って、輝夜はカノンに伝える。
すると、
ちょんちょん、と。
なにかに触れられるような感覚がして。
「ん」
何ごとかと、輝夜が振り向くと。
「――ババアじゃない。オババと呼びな!」
ホコリまみれの老婆が、輝夜に睨みを効かせていた。
「――ッ」
その瞬間。
輝夜は生まれて初めて、女性らしい悲鳴を上げたという。
◆
「やれやれ、客なんて久しぶりだよ」
ホコリまみれのオババがストレッチを行い、体からバキバキと音が鳴る。
それと同時にホコリが舞うので、輝夜は自分の髪の毛で顔を隠していた。
「前よりも、だいぶ老けましたね」
「客が来ないと、生きる意味もないからねぇ。悪魔も年をとるってもんさ」
オババは、”数年ぶり”に体を動かす。
「それで? 今日は何のようだい」
「こちらの彼女が、腕を怪我してしまったので」
「はぁ? 怪我だって?」
訝しむオババに対して、輝夜は左腕を差し出す。
「……この程度の怪我で、薬が必要なのかい?」
「えぇ、まぁ。彼女は魔力が弱いので」
「魔力が弱いったって、限度ってもんがあるだろう」
カノンの態度に、オババは何かを感じ取ったのか。
がしっと、輝夜のお尻を掴んだ。
「あっ、ちょっ」
「やーっぱり。人間だね、こりゃ」
輝夜のお尻を弄って、そこに尻尾がないのを確認する。
「やれやれ。やはり、誤魔化せませんか」
カノンは観念し、輝夜のことを話した。
◇
「普通人間なら、そういう傷は縫ったりするんだろうけどね。あいにく、こっちにそんな文化は無いもんだから」
オババは棚を漁り。
とある薬の入った瓶を持ってくる。
「ほら。こいつを塗っとけば、たぶん良くなるよ」
”たぶん”。
こういう時には、あまり聞きたくない言葉であった。
オババの手によって、輝夜は傷口に薬を塗られ。
その上から、しっかりと包帯を巻いてもらう。
「よし、これで完了!」
「ッ」
ばしっと、腕を叩かれて。
輝夜は若干涙目になっていた。
「それにしてもあんた、何だって人間を連れてるんだい」
「えぇ、まぁ。仕事でしくじりまして」
輝夜の治療も終わり、彼女たちは店の奥で一息つく。
腕を叩かれたことで、輝夜はこれでもかとオババを睨んでいた。
「仕事? あんた、今何やってんだい」
「今は、テックの一員です」
「テックだって?」
「はい」
テックマスター。
カノンが所属している、ギャング組織とやらの名前である。
「あんたほどの”才能”なら、他の階層でもやっていけるだろうに」
「ええ。ですがまぁ、ここを放ってはおけないので」
カノンとオババの会話に、輝夜は退屈そうに耳を傾ける。
こうしてみると、ほとんど人間と変わらないように思えた。
「それで、そこの嬢ちゃん」
「はい?」
「その”胸の呪い”は、どこの誰にかけられたんだい?」
「ッ」
思いがけない質問に、輝夜は言葉を失う。
「……呪い、ですか?」
そういった感覚には疎いのか、カノンは呪いに気づいていなかった。
「この胸の呪いは、生まれつきなので」
胸に手を添えて、輝夜は呪いについて説明する。
「生まれつき? そんな馬鹿な」
オババは、信じられないという様子であった。
「――”絶対に殺す”ってくらい、強力な呪いだよ。少なくとも、”魔王クラス”の力が働いてるのは確かだね」
長年の経験から、オババは輝夜の呪いをそう推測する。
「あんた、今どうやって生きてんだい? あたしゃ、それが不思議でたまらないよ」
”生命維持用のナノマシンがないと、君は一週間も生きられない”。
輝夜は、担当医の言葉を思い出した。
「……別に、どうってことはないです」
話を切り上げて、輝夜は立ち上がる。
「行くぞ、カノン」
「おや、もう少し休んだらいかがですか?」
「……そんな暇はない。栞が心配だからな」
「一日二日で、売り飛ばされるとも思いませんが」
「うるさい」
ギュッと、胸を抑える。
早急に栞を見つけ出して、元の世界へ戻らなければ。
輝夜には、文字通りの”デッドライン”が迫っていた。
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