恋愛の極意
夕方、とある喫茶店。
学校が終わってすぐに、並木栞はここにやって来た。
白を基調とした、特徴的な制服を着たまま。
一応、アイスティーを頼んではいるものの、彼女は一口も手を付けていない。あまりの緊張で、それどころではなかった。
髪の毛で隠れて見えないが、その表情は緊張に染まっている。
(……どうなるんだろう、これから)
これからのことを想像して、恐怖で手が震えていた。
(怒られるのは確定として。二度と近づくなとか。見逃す代わりに、慰謝料を払えとか)
どれだけ考えても、お先は真っ暗である。
飛躍しすぎた妄想に、栞が死にかけていると。
喫茶店の中に、新しい客がやってくる。
その客の存在で、店内の空気が一気に変わった。
高校の制服を着た、黒髪の少女。
髪の毛から指先に至るまで、ただひたすらに美しく。瞳はまるで宝石のよう。
生ける芸術品、輝夜の来店である。
輝夜は店の中に入ると、自身の待ち合わせ相手を探し始める。
すると、座っていた栞と視線が合い。
栞は急いで立ち上がると、その場で深々と頭を下げた。
向かい合って座る二人。
栞は先程と同様に、うつむきがちに様子をうかがい。
輝夜は、顔の前で手を組んでいる。
「はぁ」
「ッ」
輝夜の表情は異様に険しく。
ため息一つ吐いただけで、栞は驚いてしまう。
(どれくらい、怒られるんだろう)
輝夜を前にして、栞は恐怖に染まっていた。
だがしかし、
(はあぁぁぁ、つっかれた)
輝夜の表情が険しいのは、その体に溜まった”疲労”ゆえ。
学校終わりでそのままここに来たので、輝夜はめちゃくちゃ疲れていた。
そのえげつない疲労ゆえに、自ずと表情も険しくなっている。
「あの、紅月さん」
「えっ」
声をかけられて、輝夜は栞の顔をしっかりと見つめる。
輝夜と同じく、長い黒髪をした少女。けれども、まったくもって手入れがされておらず、輝夜とはまるで印象が違っていた。
あと単純に、髪の毛のせいで顔がよく見えない。
(……あれ。なんで、ここで待ち合わせしてたんだっけ)
あまりの疲労感に、輝夜は栞を呼んだ理由を忘れていた。
「し、並木栞です。今回は、本当に申し訳ありませんでした!」
栞は頭を下げ、謝罪を口にする。
だがしかし、
「あぁ、うん」
対する輝夜は、店のメニュー表に意識を向けていた。
「――すみません、栗と柚子のタルトを一つ。あと、バナナジュースを」
「かしこまりました」
輝夜はメニューを選び、店員に注文した。
それが終わると、改めて栞に顔を向ける。
「……髪の毛、長いな」
「は、はい」
初対面なので、何とも言えない空気になる。
「貞子みたいって、よく言われないか?」
場を和ませようと、輝夜なりにギャグを繰り出した。
しかし、
「……学校だと、影でオバケって呼ばれてるので」
「……そうか」
ちょっとした闇の部分に触れてしまい、更に空気が悪くなる。
互いに、やたら長い黒髪という点では同じだが。
あまりにも、違いすぎる二人であった。
◇
「で、朱雨が好きなんだって?」
「えっ。あ、はい」
質問しながら、輝夜はバナナジュースを口にする。
「あいつのどこがいいんだ?」
「え、どこって。……カッコいい所?」
「なるほど」
栞の話を聞いても、輝夜は腑に落ちない様子。
「まぁ確かに、見た目は悪くないだろうが。あいつの性格は知ってるのか?」
「性格、ですか?」
「ああ。いつも不機嫌そうな顔をして、口を開けば悪態ばかり。あれが女と付き合ったら、そのうち暴力が飛んでくるぞ、たぶん。顔が良いっていうのが理由なら、正直やめた方がいい」
輝夜の主張には、彼女の中にある勝手なイメージ、偏見が大いに含まれていた。
それを聞きながらも、栞の考えは変わらない。
「紅月くんは、優しいから」
「……そうか」
輝夜には、まるで理解が出来なかった。
朱雨のどこが良いのか、ということではない。
恋という概念自体が、よく分からなくなっていた。
この世界で生きる中で起きた、確かな”変化”。
かつて出会った当初は、輝夜は影沢を魅力的な女性であると思えていた。
しかし、現在は一緒に風呂に入っても何も思わず、単なる家族としか認識していない。
この世界で目覚めてから、輝夜は一度たりとも恋をしていなかった。
「美味い」
栗と柚子のタルトを、美味しそうに頬張る。
今は恋よりも、甘い物のほうが大事な年頃だった。
「あの、紅月さん」
「輝夜でいい」
真剣な顔で、タルトの味を確かめる。
「……輝夜さん。あの、わたしが送った電子精霊なんですけど」
栞は、恐る恐る話を切り出す。
そもそも今日は、それについて呼び出されたはずである。
だがしかし、
「あー、うん。あんまり良くないな、そういうの」
輝夜はそんな話よりも、タルトの方が大事であり。
返事もいい加減に行っていた。
そんな輝夜の様子を見て、栞は”誠意が足りていない”のだと判断し。
「――わたしがバカでした。本当に、申し訳ありません」
立ち上がり、深く頭を下げた。
「!?」
思いもよらぬ行動に、輝夜は驚く。
「分かった分かった、十分伝わったから!」
周囲の視線もあるため、栞を席に座らせた。
再び落ち着いて、席に座り。
栞の表情は、相変わらず暗かった。
髪の毛のせいで、顔はよく見えないが。
「そんなに、深刻な話だったか?」
「いえ、その。”バラされたくなければ、ここに来い”。そう書いてあったので」
「……あー、うん」
そういえば、そういう文章を送ったような。
輝夜は薄っすらと思い出す。
「特に、何も考えてなかったというか。……別にバラす気はないぞ?」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、ほんとほんと」
輝夜にとって、電子精霊を送ってきたことなど、正直どうでも良かった。
ただ単純に、弟に惚れている人間に会ってみたかっただけ。
強いて言うならば、”その先”を見てみたい。
「それで、朱雨には告白するのか?」
「えっ?」
あまりにも直球な質問に、栞は面食らってしまう。
「そんな、告白なんて。無茶というか、愚かというか。わたしみたいな人間じゃ、紅月くんには釣り合わないから」
「……まぁ、そうか」
流石の輝夜も、大丈夫だ、とは言えなかった。
栞を一目見た印象は、ホラー映画に出てきそうなオバケ。
付き合うとか、告白するとか、それ以前の問題である。
たとえ前世の輝夜でも。こんな女子に告白されたら、”冗談だろ”と思ってしまう。
「そもそも、なんでそんな髪型なんだ? 手入れとかも大変だろ」
輝夜自身、かなり長めの黒髪である。
基本的に、手入れは影沢に任せているものの。それを自分でやると考えたら、正直気が滅入ってしまう。
「別に、髪型にこだわりは無くて。単純に、”人の目”を見るのが怖いから」
「……なるほど」
思ったよりも、心が痛くなる理由である。
しかし、このままではどうしようもないので。
「ほっ」
輝夜はテーブルに身を乗り出すと、その手で栞の前髪をかき分けた。
髪の毛に隠された、栞の素顔。
それを見て、輝夜の表情が驚きに染まる。
「いやお前、顔を隠す必要ないだろ。むしろこれなら、自信を持って――」
「ッ」
栞は、輝夜の手を振り解いた。
長い髪の毛によって、再び顔が隠される。
その表情は見えないが、それでも分かるほどに彼女は”怯えていた”。
「……悪い。こうやってされるのが、怖いんだな」
人の目を見るのが怖い。
栞がなぜそうなったのか、輝夜は何となくの事情を察した。
◇
「紅月くんは、覚えてるか分からないけど。入学してすぐの時に、わたしを助けてくれたんです」
なぜ朱雨に惚れたのか、栞は輝夜に語り始める。
「紅月くんはすっごく人気者で、他校からも普通に女子が見物とかに来てて。……その中に、昔わたしをイジメてた人も居たんです」
「こんな見た目だから、すぐにわたしだってバレて。紅月くんを紹介しろとか、色々と話しかけてきて」
「そうしたら、紅月くんがこっちに近づいてきて」
――暇なのか知らんが、馬鹿がうちの生徒に絡むな。帰って勉強でもしてろ。
「そう言って、追い払ってくれたんです」
「……あいつ、容赦ないな」
結果的には良かったのかも知れないが。
聞いた感じ、印象は最悪である。
「紅月くんは、基本的にそのスタンスだから。相手が誰だろうと、それこそわたしにも、平等に接してくれるんです」
それこそ、栞が朱雨を好きになった理由。
見た目のことで茶化したりせず、友人として普通に接してくれる。
ちょっとミステリアスで、優しい彼。
あと、すっごくイケメン。
恋は盲目とは、まさにその通り。
朱雨のことが気になり過ぎた結果、栞は電子精霊を使って、彼のプライバシーにまで踏み込もうとしてしまった。
「輝夜さん。やっぱりわたし、紅月くんのことが好きです!」
「……そ、そうか」
どこからそのエネルギーが湧いてくるのか。
輝夜には理解できない。
「だからどうか、わたしに”恋愛の極意”を教えて下さい!」
「んん!?」
◆
『輝夜さんならきっと、百戦錬磨だと思うので』
『……任せろ』
どうして、あんな返事をしてしまったのか。
ベッドに寝転びながら、輝夜は後悔の渦にはまっていた。
「マーク2、どう思う?」
輝夜に呼ばれて、マーク2が実体化する。
「男を虜にしたいなら、可愛さで勝負するのが一番にゃん!」
「可愛さ?」
「にゃん! ミーと同じように、猫耳を付けるにゃん!」
「……桜に聞くか」
このAIアシスタントは、役に立たないと判断し。
輝夜は電話で桜に相談することに。
『恋愛相談?』
「ああ。お前なら、経験も豊富そうだからな」
『だから、ギャルじゃないって!』
輝夜は、人を完全に見た目で判断していた。
『で、どういう感じなの?』
「あー、えっと」
今回の相談内容について、輝夜は桜に説明する。
その少女は同級生の男子生徒に片思いしており、思いを伝える勇気が持てない。
また、自分にも自信がなく、彼とは釣り合わないと考えていた。
教室とかでは話さないが、三人くらいで集まって、会話をする機会はある。
そのような内容を話す中で。
電話相手の桜は、”ある考え”に辿り着く。
(あるぇー? これってもしかして、そういう相談?)
同級生の男子に片思い。教室では話さないが、三人くらいで話をする機会はある。
それに当てはまるであろう人物が、桜の知る中で”一人”だけ居た。
『ねぇ、かぐっち。その女の子って、どういうコンプレックスがあるの?』
「……長い髪の毛だな」
『ッ、そう』
桜の中で、疑問が確信に変わる。
『わたしが思うに、長い髪の毛も悪くないと思うけど』
「いや、長さが異常だからな。流石に、切ったほうが良いかなと」
『もったいない! もったいないよ、かぐっち』
「……ああ、うん。そうだな」
なぜ、見ず知らずの人間の恋バナに、ここまで熱が入るのか。
輝夜には分からない。
『一番いけないのは、自分なんかダメだって、そう思い込むことだよ!』
何か大きな勘違いをしながらも、桜は熱心にアドバイスを行う。
『告白せずに後悔するより、告白して後悔しようよ!』
「……りょーかい」
一体、何のアドバイスを受けていたのか。
話をし終わった後、輝夜の中には何も残らなかった。
◇
『”勇気”を出せ。何かを変えたいなら、まずは自分を変えるしかない』
輝夜から送られてきたメッセージを見て、何か刺さるものがあったらしく。
栞は、自宅にある鏡を見つめていた。
「……何かを変えたいなら、まずは自分を」
鏡に写った自分の顔、髪の隙間から見える瞳を見て。
栞は静かに決意する。
『髪を切ろうと思います』
その決意を、輝夜にメッセージで伝えた。
『わたしも付き合うよ。週末は暇だからな』
日常が加速していく。
その影に、何が潜んでいるとも知らずに。
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