ギリギリ学園生活(二)






「輝夜さん、お疲れさまでした」


「……あぁ」




 放課後、校門前には影沢が待っており、輝夜は車の後部座席へと乗り込んだ。

 運転手付きの送り迎えなど、目立って仕方がないが。身体への負担もあるため、これ以外の選択肢は存在しない。






 帰りの車内にて。




「初日以来の登校でしたが、学校はどうでしたか?」


「え……あぁ、うん。楽しかったよ」




 ルームミラー越しに、輝夜は微笑む。

 そんな、なんてことのない動作だが、輝夜は異様に”冷や汗”をかいていた。




「授業はどうでしたか? もしも分からないことがあれば、わたしも力になりますが」


「……そうだな」



 軽く返事をしながらも、輝夜の顔色は優れない。




「記憶を呼び覚ますというか、なんというか。まぁ、授業に関しては何とかなりそうだ」


「そうですか? それは何よりです」


「……ふぅ」




 影沢と話しながらも、輝夜は冷や汗が止まらず。

 その表情を誤魔化すためにも、窓の外に目を向ける。




「クラスメイトとの交流はどうでしたか? 何か困ったことがあれば、わたしに何でも相談してください」


「あぁ」




 輝夜は窓の外を見るも。

 その景色は、異様に歪んで見えた。




「……一人、友達みたいのが出来たかな」


「本当ですか!? それはそれは。……もちろん、女子生徒ですよね?」


「ああ」




 景色を見るのも疲れたため。

 輝夜は目を閉じて、深くため息を吐いた。




「高校生活は一度きりなので、思いっきり”楽しんでください”」


「あぁ、分かってるよ」




 楽しんでください。

 楽しんでください。


 影沢の言葉が、輝夜の頭の中でこだまする。

 熱く、大きく、覆いかぶさるように。




「舞は、どうだったんだ? 高校時代。……高校には、行ったよな?」


「ええ、もちろん。ちゃんと通いましたよ」




 謎多き女、影沢舞。

 どうやら高校には行っていたらしい。




「本当は高校に行かず。すぐにでも、”龍一さん”の下で働きたかったのですが。”高校くらいは卒業しろ、クソガキ”、と。怒鳴られてしまいまして」


「ほぅ」


「でも、高校は楽しかったですよ。当時の友人とは、今でも連絡を取りますし」


「……そうか」




 たった三年間しかない、かけがえのない時間。

 その尊さ、楽しさを知っているからこそ、輝夜を学校に行かせたかったのだろう。




(これは、頑張らないとな)




 思いっきり楽しんでください。

 そんな影沢の要望に応えるためにも、輝夜は覚悟を決めた。


 たとえ、どれだけ”無理”をしてでも。






「そう言えば、父とはいつから交流があるんだ?」



 話の流れで、輝夜は気になっていたことを尋ねる。




「そうですね。もうかれこれ、”18年”くらいの付き合いになります」




 影沢舞、29歳。

 その18年前ともなれば、かなり幼少からの付き合いらしい。




「輝夜さんは、”フォックス事件”はご存知ですか?」


「……あー。アメリカの、あれだろ?」




 フォックス事件、世界的にも大きな事件だったらしいが。

 自分が生まれるよりも前の出来事のため、輝夜はあまり詳しく知らなかった。




「18年前、アメリカのフォックスという都市が、悪魔によって占領されました。当時、まだ11歳だったわたしは、不運にも家族旅行で訪れていまして。その事件に巻き込まれました」




 初めて耳にする、影沢の昔話。

 体は非常にだるいものの、輝夜はしっかりと耳を傾ける。




「あの事件は、一言で語るなら”とんでもない地獄”でした。街は真っ赤な霧に覆われ、人々は家畜のように悪魔に殺される。わたしの父と母も、凄惨な暴力によって命を奪われました」


「ッ」



 衝撃的な話に、輝夜は息を呑む。




「わたしも、”命に関わるほどの重傷”を負いましたが。幸運なことに、街を訪れた龍一さんに救ってもらいました」


「アメリカで、会ったのか?」


「はい。聞く話によると、”徒歩で世界一周”をしている最中に、フォックスに立ち寄ったらしいです」


「はぁ?」



 意味の分からない内容に、輝夜は首を傾げる。




「昔の龍一さんは、かなりクレイジーな方でしたから。日本刀で悪魔を斬り刻む、まさにジャパニーズヤクザという」


「ちょ、待て。ヤクザだったのか? うちの父親は」


「あっ、いえ。”そう見えた”というだけで、龍一さんはヤクザではありませんよ」


「……そうか」




 一応、自分の家系が”堅気”であったことに、輝夜は安心した。















「ふぅ」




 家に帰った輝夜は、そのまま自室へと向かい。

 制服を着たまま、ベッドに倒れ込んだ。




「マスター!?」



 心配した様子で、マーク2が実体化する。


 しかし、輝夜はベッドに横たわったまま、まるで動く気配がない。




(……あぁ)




 輝夜は瞳を閉じて、言葉を発する気力もなかった。

 そんな彼女の様子を見て、マーク2はひどく心配する。




「大丈夫にゃん? どこか痛いにゃん?」


「……いや、そういうのじゃない」




 どこかが痛いとか、どこが悪いとか、そんな話ではない。

 ”そういう次元”の話ではない。



 単純に、輝夜は”体力不足”であった。



 生まれてからの10年は寝たきりで、そこからの5年は病院でリハビリ。そしてここしばらくは、自宅学習しつつゲーム三昧と。

 そんな生活から、いきなりフルタイムの学校生活に移行してしまい、大丈夫なはずがなかった。



 足も、お尻も、腰も肩も痛すぎる。




「うぅ」




 あまりの疲労感に、輝夜はうなだれつつ。

 必死に、”お尻”をさする。




 ふわふわのソファにしか座ってこなかった輝夜にとって、”学校の椅子”は固すぎた。


 というより、あれが一番ヤバかった。




「うぅぅ」




 最初は、びっくりしたせいで他の生徒と話せなかったが。後半からは、”お尻が痛すぎたせい”で上手く話せなかった。

 あまりの痛さに冷や汗が止まらず、授業にも全く集中できていない。



 おまけにずっと同じ姿勢で、肩や腰にも痛みが存在する。

 もう、全部が痛かった。



 たった一日で、輝夜の身体は限界を迎えていた。




「くっ」



 自分のあまりの貧弱さに、泣きそうになってしまう。




「……マーク2、全身を強めにマッサージしてくれ」


「了解にゃん!」




 輝夜の命令を受けて、マーク2は全力のマッサージを開始した。



 だが、しかし。



 悲しいかな、ほとんど触られている感覚がなかった。

 圧倒的なパワー不足である。




「ぐうぅぅ」




 自分の部屋で、他に誰も見ていないため、輝夜は派手にうめき声を上げる。

 全身がボロボロで、あまりにもツラすぎた。




「ミーじゃなくて、影沢にマッサージを頼むにゃん」


「……舞には、心配されたくない」




 楽しく、元気に学校に通っている。そんな姿を影沢に見せたかった。


 どれだけ大変でも、こんな”無様な姿”は見せられない。




「それだけは、嫌だ」



 輝夜は、根性でベッドから起き上がる。




(飯を食べて。風呂に入って休めば、どうにかなるだろ)




 そんな、自分の底力を信じていた。
















 次の日。

 とはいえ、やはり無理があった。




「くっ」



 授業を受けながら、輝夜は苦悶の表情を浮かべる。




――いたい! 痛い! 痛い! いたーいっ!!


 心の中では、そう叫びたい気分であった。




 一晩じっくりと休んで、その結果がこれである。

 むしろ一晩経った影響で、筋肉痛のように全身が痛むようになっていた。




「うぅ」




 とにもかくにも、”お尻”が痛すぎる。

 もしかしたらこの身体は、固い椅子には座れない構造なのかも知れない。




 昨日よりも一層酷く、輝夜は冷や汗が止まらない。

 そんな中、




「――さん。紅月さん!」


「ひぃ!」




 男性教諭に声をかけられ、輝夜は変な声を出してしまう。


 周囲から聞こえる、クラスメイトたちの笑い声に。

 輝夜の顔は真っ赤に染まっていた。




「この数式、行けますか?」



 メガネの男性教諭の言葉を聞き、輝夜は黒板を見てみる。




「……」



 理解は出来る、理解は出来るはずなのに。

 まったくもって、頭が回らない。




「……すみません、ちょっと」




 非常に屈辱的ではあるものの、今の輝夜はそれどころではなかった。




「解き方が分からないのであれば、後で聞きに来てください」


「はい」




 高校一年で習う、こんな初っ端の内容。

 大昔にやった記憶があるし、つい最近も自宅で復習したはずであった。


 それなのに、こんな無様な結果になるとは。




(……これは、本格的にヤバいな)




 輝夜は危機に直面していた。















 昼休みになり。


 輝夜は、善人と桜にアイコンタクトを送って、今日も屋上に集合していた。

 だが、しかし。




「……えーっと。わたしが持ってきたレジャーシート、そんなに気に入ったの?」




 屋上で快適に過ごせるように、桜が持ってきたレジャーシート。

 輝夜は、その上でうつ伏せに寝転んでいた。



 そのビジュアルに、善人と桜は動揺しつつも。

 仕方がないので、輝夜を挟む形でシートに座る。




「輝夜さん、どうかしたんですか?」




 善人が声をかけるも、輝夜は反応せず。

 まるでお嬢様の屍であった。


 だがしかし、




「……食わねば」




 輝夜は何とか起き上がると、シートの上に弁当を広げ始める。


 昨日と同じ、影沢手製の豪華なお弁当。

 いつも通りのコンディションなら、平らげることも可能だが。


 今日は昨日よりも体調が悪く、一口目の時点で手が震えていた。




「かぐっち、もしかして具合とか悪いの?」


「……あぁ。そうだな」




 仕方がないので、輝夜は白状することにした。

 影沢以外になら、多少は”弱み”を見せられる。



 初めての学校に、体力がついていかないこと。

 全身が痛くて、だるくて、食欲がないことを説明する。




「そんなに大変なら、無理せず休んだ方が良かったんじゃない?」


「……」




 桜の言う通りなのは、輝夜にも分かっている。

 しかし、無理をしてでも学校に行く必要があった。


 今はとにかく飯を食べて、午後の授業に備えなければならない。




「ヨッシー、マッサージとかしてあげたら?」


「いや、それは流石に」




 女子相手にマッサージなど、善人には到底無理な話である。


 しかし、今の輝夜にはあまりにも”余裕”がなかった。




「……善人、揉んでくれるのか?」


「えっ」




 善人も桜も、まさかと驚いた。















(何なんだろ、この状況)




 昨日初めて話した男子が、お嬢様系美少女をマッサージしている。

 目の前で起きている光景に、桜は困惑していた。



 輝夜はシートの上でうつ伏せになり、善人は懸命にマッサージを行う。

 前髪のせいで善人の表情は見えないが、きっと赤くなっているだろう。



 新しく出来た、二人の友だち。

 もの凄く、”特殊な関係”を見ているような気がした。




「……善人、強い」


「はい、すみません」




 輝夜の要望通りに、善人は揉む強さを調節する。




「それじゃ弱すぎる」


「あっ、はい」




 不慣れな手付きながらも、善人は懸命にマッサージを行っていた。


 そんな彼らの様子を見つめつつ、桜は飯を食う。






「そう言えば。かぐっちって、どうやって鍵開けてるの?」



 桜は素朴な疑問をぶつけた。




「電子精霊って、知ってるか?」


「……でんしせいれい?」



 聞き覚えのない名前である。




「今、”人間界”で流行ってるらしいぞ」


「……人間界って」



 そんな言い方をする人間はレアだった。






「……なぁ、桜。わたしの弁当、少し食うか?」


「えっ、いいの?」


「ああ。残したら、悪いからな」




 そんな輝夜の言葉を聞いて、桜は思わず口元を抑える。




(うわっ、いい子)



 ちょっと優しい気持ちになりつつ、桜は輝夜の弁当をいただくことに。




「めっちゃ美味しい!! これすっごく手込んでるじゃん」



 影沢の作る弁当は、味も素晴らしかった。








 懸命に、善人がマッサージを続ける中。




「……善人、”下の方”も頼む」


「えっ」




 唐突に飛び出した輝夜からの要求に、善人は固まってしまう。

 マッサージを眺めていた桜も、思わず食事の手が止まる。




「下の方って、具体的には?」


「……”お尻”って、わざわざ言わないとダメか?」


「ッ、すみません」




 善人には、まるで分からなかった。


 お尻を揉んでくれ。

 そう言われても、はい分かりましたとは動けない。




「おぉー」



 果たしてこれはどう転ぶのか、桜は楽しそうに見つめる。




「くっ」



 言われた通りに揉むべきか。いや、そもそも触ってもいいのだろうか。

 善人が大いに悩んでいると。




「……善人。わたしのお尻を見て、何とも思わないのか?」


「えっ?」




 輝夜からの言葉を受けて、善人は彼女のお尻を凝視する。




 スカートに隠された、触れてはならない聖域。

 正直、”言葉に出せない感情”は浮かんでくる。




「……綺麗な形、ってことですか?」


「ッ、違う! このバカ!」




 少し恥ずかしそうに、輝夜はお尻を隠す。

 別に、そういう感想は求めていない。




「ずっと椅子に座ってて、痛そうだとは思わないのか?」


「……すみません、それは盲点でした」




 そんなこと、分かるわけがない。




「足とかじゃ、ダメですか?」


「足はダメだ!」



 輝夜は即答する。




「足はちょっと、汗ばんでるのが分からないか?」


「えぇ……」




 お尻は触っていいが、足はダメ。

 若干ズレてはいるものの、輝夜にも羞恥心はあった。




「ヨッシー、揉んであげようよ。こんなチャンス二度とないって!」



 桜は輝夜の味方である。




「……僕は」




 うつ伏せの輝夜を前にして、善人は何かと戦っていた。

















「ふぃ〜」




 今日も学校が終わり。

 制服姿のまま、輝夜は自室のベッドにダイブする。




 つらくて動けなかった昨日と違い。

 輝夜はバタバタと足を動かし、ベッドのふわふわ具合を確かめていた。




(……あいつのマッサージ、効くな)




 結局あの後、善人は仕事を最後まで遂行した。


 そのおかげもあって、輝夜は昨日よりもずっと身体が楽だった。




(本当に、”名前通り”の奴だな)




 花輪善人。

 自分のような人間が、彼をあんな風に扱っていいのか。


 輝夜は、ほんの少し反省していた。








「足が。……いやでも、足は恥ずかしいし」



 輝夜が、ベッドの上でゴロゴロしていると。




「マスター!」


「ん?」




 スマホの中から、マーク2が飛び出してくる。




「――他の電子精霊が、この家に侵入したにゃん!」


「……あぁ?」




 唐突に、緊急事態が発生した。





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