佳人薄命






――ドリームエディタ、起動。






 とある町にて。




「グッヘッへ」




 ”真っ赤な肌をした太っちょ男”が、口から”カレー”を吐き、建物や道路を汚していた。




「カレー臭いよぉ!」


「誰か助けてー!」




 その暴挙に、誰も太刀打ちが出来ず。

 人々が困っていると。




――助けを呼ぶ声がする。




 雲の中を、猛スピードで突き抜けて。

 とある人影が町へとやって来る。


 人影は、太っちょ男のすぐ側に着地した。




「そこまでだ、カレー魔人!」


「お前は、バームクーヘンマン!」




 その者は、不思議な出で立ちをしていた。

 顔は巨大なバームクーヘンで出来ていて、情熱的な真っ赤なマントを羽織っている。




 ヒーロー、バームクーヘンマンと。

 悪者、カレー魔人が対峙する。




「お前の悪事はここまでだ!」



 バームクーヘンマンは、ボクサーのように拳を構えると。


 鋭いフックで、カレー魔人の顔面を殴った。




「ぶへっ」



 カレー魔人はパンチをモロに食らい。その衝撃で、口からカレーが溢れ出る。




「まだまだぁ!」



 相手を休ませることなく、バームクーヘンマンは殴り続ける。

 顔面と、太ったお腹を集中的に。


 カレー魔人の口から、噴水のようにカレーが溢れ出る。




「ちょ、ちょっと、やりすぎじゃ」



 カレー魔人が抗議をするも、バームクーヘンマンは止まらない。

 ”この夢を見ている人間”が、それほど凶暴という証である。




 その後も、カレー魔人は一方的に殴られ続け。




「ぐへー」



 ついに、地面へと崩れ落ちた。

 カレーの吐き過ぎで、すっかり痩せてしまっている。




「正義は勝つ!」



 バームクーヘンマンが、高らかに勝利を宣言した。




「流石、バームクーヘンマン!」


「頼りになるなぁ」



 町の人々が、彼に惜しみない称賛の声を送る。





「困ったことがあったら、またいつでも呼んでくれ」



 そう言って、バームクーヘンマンは空へと飛び立った。





 真っ赤なマントで空を飛び。

 雲を切り裂いて、自由にどこまでも。





――ふふっ。




 これは、とある少女が見ている夢。

 正義の味方になりきって。悪を倒し、空を飛ぶ。



 楽しくて、優しい夢を見ていた。










◆◇










「それで、調子はどうかな?」


「まぁ、ぼちぼちといった感じですね」




 とある病院の診察室にて、輝夜は自身の担当医と話をする。


 初めて目を覚ました時からお世話になっている、冴えない眼鏡のおじさん。彼が日系アメリカ人であることは、知る人ぞ知る話である。

 お世話になっている先生なので、輝夜も彼には敬語を使っていた。




「でもやっぱり、ギプスは気になりますね。足もちょっと蒸れるので」


「うーん。まだ外すのは難しいかな」


「これだけ技術が発達してるのに、怪我の治りは変わらないんですね」


「そう言われると、弱っちゃうな」




 輝夜の言葉に、医師は微妙な表情をする。

 その僅かな部分に、輝夜は”何か”を感じ取った。




「わたしの身体に、何か特別な事情でもあるんですか?」



 そんな、輝夜の問いに。




「……そろそろ、言うべき時なのかも知れないね」



 医師は複雑そうな表情で、ある決断を下す。





 輝夜に対して、”全て”を話す決断を。





「輝夜くん。もう気づいているかも知れないけど、君の身体は普通じゃない」


「まぁ、そうでしょうね」



 普通の人間なら、ちょっとの衝撃で骨折などしない。




「君が毎日服用している薬は、一般的な薬とは違う。”ナノマシン”、って言ったら分かるかな?」


「SFとかである、あれですか」


「その通り。君に投与しているナノマシンは、最新鋭の代物でね。効率よく作用すれば、2~3日で骨折を治すことも出来る」


「……それって、ちゃんと効果出てるんですか?」




 最新鋭のナノマシン。それを投与されながらも、すでに骨折から二週間は経過している。

 言っている話と噛み合わない。




「君に処方している薬のうち、10錠は骨折を治療するためのナノマシンだ」


「……なら、残りの40錠は?」



 輝夜の知りたい事は、そこである。




「同じナノマシンだよ。ただし用途は、君の”生命維持”だ」




 生命維持。

 医師の言った言葉に、輝夜は一瞬理解が追いつかない。


 生命? 維持?

 馬鹿でも理解できる、重い言葉。




 動揺する輝夜に、医師は一枚のレントゲン写真を見せる。


 それは、明らかに異常な写真であった。

 心臓のある場所に、”渦のような歪み”が存在している。


 これが輝夜の身体であると、医師は説明する。




「この歪みが一体何なのか、それは僕たちにも分からない。ただ一つ確かなのは、この歪みに”実体がない”ことだけ」


「実体が、ない?」



 輝夜にはもう理解が出来ない。




「写真の通り、歪みは確かに君の心臓付近に存在している。でも実体が無いから、手術で取り除くことも出来ないんだ」




 存在するけど、存在しない。

 そんな得体の知れない”ナニカ”が、輝夜の心臓に巣食っている。




「こういう科学で解明できない病気を、僕たちは”呪い”と呼んでいてね。世界中で蔓延している”ルナティック症候群”も、この呪いに当てはまる」




 病ではなく、呪い。




「君の心臓にある呪いは、君の全身に作用していてね。ありとあらゆる臓器、骨などの体組織を蝕んでる。生命維持用のナノマシンが無いと、”君は一週間も生きられない”」




 深刻な表情で、医師は輝夜の身体について説明した。




「……」




 明かされた真実に、輝夜は驚き、言葉も出ない。

 鬱陶しく思っていた大量の薬が、文字通り命を支えている。




「ナノマシンをフルに使っても、呪いを完全に抑えることが出来なくてね。君の身体が弱いのも、それが原因だ」




 呪いは、輝夜を殺そうとしている。

 それに何とか抗おうと、あらゆる技術が投入されているが、科学で呪いは治せない。


 足の治りが遅いのも、すべて呪いのせいである。




「毎日つらいだろうけど、薬は欠かさずに飲んでくれ」


「……はい」




 いつも甘やかしてくる影沢が、どうして薬だけは飲ませようとするのか。それがようやく理解できた。

 飲まないと死んでしまう。

 きっと彼女も、輝夜の呪いについて知っているのだろう。




「この呪いは、治しようがないんですか?」


「……君が生まれてからの”15年間”。僕たちも、あらゆる手段を講じてきたんだけど」




 輝夜が目覚めたのは5年前だが。

 この呪いは、もっと昔から。それこそ、輝夜が生まれた時から存在していた。


 輝夜が知らないだけで、きっと多くの人々が尽力したのだろう。


 だが、それでもどうにもならなくて。

 今は必死に、ナノマシンによる延命措置が取られている。




「もしも、根本的な治療法が見つからなければ。君の寿命は、”もって数年”だろう。……本当に申し訳ない」








 その後のことは、よく覚えていない。

 あまりにも現実味がなくて、理解が追いつかなくて。


 何も考えられないまま、輝夜は家に帰った。








 帰宅後、輝夜はベッドの上でうつ伏せになる。



 スマホを弄る気力もなく、ただひたすらに呼吸をする。

 たとえどんな役立たずでも、呼吸くらいは出来る。



 そのはず、なのに。




「……はぁ、はぁ」




 胸がざわざわする。

 呼吸が荒くなっていく。



 大丈夫。

 今日は薬を飲んだから、今すぐ死んだりはしない。

 そう自分に言い聞かせようとするも、不安が一切止まらない。



 自分の心臓が恐ろしい。

 呪いという理解の出来ない存在が、この身体を殺そうとしている。




――君の寿命は、”もって数年”だろう。




 医師の言った言葉が、頭から離れない。

 胸のざわめきが収まらない。





「……痛い」





 精神的なショックから、輝夜は動けなくなった。

















「そうですか、あと一週間で」




 輝夜と影沢は、共にお風呂に入る。

 一人では動けないため、最近ではこれが当たり前であった。




「学校が楽しみですね」




 輝夜の骨折が、あと一週間で完治すると聞き。

 影沢は喜びを隠せない。


 しかし輝夜にとって、もはや骨折などどうでも良かった。


 もっと大きな問題が、頭の中から離れない。





「……舞は、知ってたのか? わたしの”呪い”について」





 意を決して、輝夜は影沢に問いかける。


 影沢は、目を見開いた。




「先生から、聞いたんですか?」


「ああ。治療法が見つからないと、あと数年の命とも言われたよ」




 今の自分の感情が、輝夜には分からない。

 悲しいのか、それとも怖いのか。色々な感情がごちゃまぜになって、言葉にならない。


 きっと、何の意味もないはずなのに。

 影沢に問いただしてしまう。




「……必ず、治療法は見つかります」



 影沢は複雑そうに、輝夜に励ましの声を送る。




「もしも、骨や臓器がダメになっても。最悪、”機械”に置き換える選択肢もあります」


「機械に? サイボーグみたいにか?」


「はい」




 冗談などではなく。影沢は、本気でそう考えていた。

 だがしかし、




「それは流石に、”気持ち悪い”な」




 そこまでの考えは、輝夜には理解できない。

 機械で無理やり生かされて、果たしてそれは人間なのか。




「そう、ですね」



 輝夜の言葉を受けて、影沢は何故か悲しげな表情をしていた。








「呪いについて知ってるのは、他に誰がいる?」


「ダニー先生と、龍一さんだけです」




 輝夜の担当医と、まだ会ったことのない父親。

 呪いについて知っているのは、ごく僅かな人間だけである。




「朱雨は知らないのか?」


「ええ。教えていませんから、何も知らないはずです」


「そうか」




 弟は何も知らない。

 その事実に、輝夜はなんとも言えない気持ちになる。




「まぁ、そうだろうな。もしも知ってたら、わたしにあんな態度は取らないだろ」




 悲しいことに、他人の心はわからない。

 何を考えているのか、どこを目指しているのか。

 普段の様子から、想像するしかない。




「はぁ」



 輝夜は、重いため息を吐いた。




 優れているのは、見た目の良さだけ。

 中身の人格はクズで、身体は呪われている。


 ”出来損ない”。かつて、朱雨に言われた言葉を思い出す。




(本当に、その通りだな)




 どうしようもない自分に気づいて。

 その瞳から、”大粒の涙”がこぼれ落ちる。




「……舞。本当に、ごめん」


「なんで、謝るんですか」




 輝夜の言葉を受けて、影沢も堪えていた涙が溢れ出す。




「ごめん、本当にごめん」


「謝らないでくださいッ」




 二人揃って、涙が止まらなかった。

 その涙の理由は、申し訳ないという気持ち。



 こんな自分でも死ねば、舞は悲しむだろう。

 いずれ死ぬと分かっているのに、どんな気持ちで世話をしているのか。



 どうしてこの子だけ、苦しまなければならないのか。

 なぜ、わたしには何も出来ないのか。






 出会ってから初めて。

 二人は、本気の感情をぶつけ合った。





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