ルナティックの夜
輝夜たちは、とあるマンションの一室に入る。
目立つインテリアもない、普通の部屋。間取りは1LDKで、一人暮らしとしては十分過ぎる広さである。
「気持ち悪い」
部屋に入って、輝夜の第一声はそれだった。
善人はすでに自力で立っていたが、輝夜はアミーに抱えられたまま。
「……トイレ」
「まさか、吐くのか?」
「とりあえず、試してみる」
アミーに抱えられたまま、輝夜はトイレに向かった。
輝夜をトイレに置いて、善人とアミーは部屋の中で一息つく。
すでに屋内、しかも自分の家ということもあり、善人はある程度落ち着きを取り戻していた。
とはいえ、未だに体の震えが止まらない。
「おい、大丈夫か? 坊主」
「まぁ、持病なんで」
理性が吹き飛ぶような症状は、月を直視しない限り表れない。しかし、湧き上がるような不安感や体の震え、消しきれない悪夢は、ほぼ毎日のように訪れる。
初見の輝夜、アミーには深刻そうに見えるが。善人は、毎日この症状と戦っていた。
「夢の中に浸れば、少しはマシになります」
あまりにも症状が重いため、ドリームエディターやナイトメアキャンセラーでも解消できないものの。
それでも無いよりかはマシである。
いつも通り、脳とパソコンを繋ごうとして、善人は気づく。
首にかけていたはずの、”パーソナルアダプター”が存在しないことに。
「アダプターが」
「アダプター?」
「USBの付いたネックレスです。いつも、首にかけてるんですけど」
「さっきのドサクサで、外れたのか」
「はい、多分」
思い出せば、あの悪魔に思いっきり首を掴まれていた。もしかしたら、そのタイミングで外れてしまったのかも知れない。
「それがないと、困るのか?」
「そうですね。単純に、悪夢で眠れなくなるので」
悪夢による不眠症。
ルナティック症候群の主な症状であり、もっとも患者を苦しめる症状でもある。
「仕方がない、俺が取ってこよう」
善人のために、アミーは立ち上がる。
すると、
「ついでに、わたしの買った”バームクーヘンマン”も頼む」
トイレの方から、輝夜が這い寄ってくる。
下手くそな、ほふく前進で。
「おいおい、無茶をするな」
流石にそれは見過ごせず、輝夜はアミーによって運ばれた。
「じゃあ、ちょっくら取りに行ってくる」
輝夜と善人を部屋に置いて、アミーは再び夜の街へと消えていった。
危険はあるかも知れないが。
善人はアダプターが無いと眠れないため、仕方がない。
「あいつ、いい奴だな」
「そうですね」
ベッドの上に腰掛けて、2人は話す。
「悪魔って、もっと化け物みたいなイメージだったんですけど。今日会った悪魔は、2人とも人間そっくりでしたね」
「だな」
アミーとプライヤ。
プライヤに関しては、全身の皮を剥いで化け物になったり、中から別人が出てきたりと、色々あったが。それでも、人間そっくりなのは否定できない。
そんな話をしていると。
輝夜は、善人の体の震えが気になってしまう。
「まったく」
仕方がないと、また手を握ってあげることに。
すると、善人の震えがピタリと止まる。
「すみません、ほんとに」
「良いんだよ、今日だけの特別サービスだ」
善人が居なかったら、どんな目にあっていたか分からない。
故に、その”お返し”をしているだけである。
「ルナティックの奴は、みんなこうなのか?」
「いえ、他の人はもっと軽いと思います。僕は、人より症状が重いので」
「そうか。それはつらいな」
肉体的な不自由なら、輝夜にもつらさが分かるが。
精神的な問題にはまるで縁がない。
「わたしの弟も、ルナティックなんだよ」
「そうなんですか」
「ああ。生意気な弟だから、特に気にしたこともなかったが。実際に症状を見ると、少し心配になるな」
弟の朱雨。今がちょうど反抗期なのか、そういった”弱み”を一度も輝夜は見たことがない。
もしも仮に見つけたら、その弱みをとことん”利用”するつもりだが。
「今日はもう疲れただろう? 手を握っててやるから、お前は横になれ」
「……はい、すみません」
お言葉に甘えて、善人はベッドに横になる。
輝夜は、まるで子供を寝かしつける母親のようだった。
(……はぁ)
果たして、なぜこうなったのか。
可哀想な少年のオフ会を見に行ってみる。そんな軽い気持ちで、家を出たはずなのに。
紆余曲折を経て、こんな添い寝まがいの事をしている。
(いや、”そういうサービス”をしていると考えよう)
自分にそう言い聞かせて、輝夜は善人の手を握り続けた。
自由な右手で、輝夜は左耳のイヤリングに触れる。
善人に買ってもらった、月とうさぎのイヤリングを。
今日は、あまりにも多くの出来事があった。
「なぁ、善人」
輝夜の声に、善人の返事はない。
「”その指輪”を持っている以上、お前にはこれから、もっと多くの問題が待ち構えてるだろう。そういう覚悟は、しておいたほうがいいぞ」
そうやって語りかけるも、やはり返事はない。
「聞いてるか? 善人」
返事はなし。
「……おい」
しびれを切らして、輝夜が振り向くと。
善人は静かに寝息を立て、夢の世界へと旅立っていた。
それを見て、輝夜は唖然とする。
「お前、ルナティックだろ?」
ルナティック症候群の患者は、悪夢のせいで眠りにつけないはず。そのために、ドリームエディタなどの技術が存在する。
そのはずだが、現に善人は、これ以上なく幸せそうに眠っていた。
「こいつ」
恨めしそうな表情をして、輝夜は握っていた手を離す。
すると、
「うぅ」
善人は、急に悪夢にうなされ始めた。
このままでは、すぐに起きてしまうかも知れない。
「ったく」
仕方がないので、輝夜は再び手を握ってあげることに。
すると、善人の呼吸が穏やかになる。
これが弟の朱雨ならば、容赦なく放置できるものの。
「はぁ」
上手く言葉にできない感情に、輝夜はモヤモヤした。
◆
「……悪いな。人間の数が多すぎて、流石に手が出せなかった」
結局、アミーは手ぶらで帰ってきた。
戦いがあった路地裏には、ロンギヌスと思われる連中が集まっており、周囲の血痕などを調べていたらしい。
アミーの実力なら、力づくでの突破も可能だが。それはこちらが望まないだろうと考え、断念した。
「まぁ、いいさ。このわたしの優しさで、善人はスヤスヤ眠ってるからな」
最終的に、パーソナルアダプターは取り返さないとマズいが。
今日の夜だけならば、輝夜の手で代用ができる。
バームクーヘンマンの夢データは、また買えばいい。
「ふぅ」
流石に疲れたため、輝夜も眠ることにする。
「なぁ、頼みがあるんだが」
「電気を消すか?」
「いや、それもそうだが。とりあえず、”こいつ”をベッドからどかしてくれ」
こいつとは、もちろん善人のことである。
「なっ。まじか」
「当たり前だろう。いくら優しくしても、流石に添い寝はNGだ」
輝夜にも、守るべきボーダーラインがある。
手を握るのは今日だけのサービスとして、一緒にベッドを使うのはキツすぎる。
(……それに、風呂にも入ってないしな)
今日は色々と変な汗をかいた上に、足はギプスで蒸れている。
相手の臭いは気にしないが、臭いと思われるのだけは絶対に嫌だ。
むしろ、それが”一番の理由”であった。
アミーに頼んで、善人をベッドの下に運んでもらい。
輝夜は一人でベッドを独占する。
善人の枕に、善人の布団と。
一応、臭いを嗅いでみるものの。
「うん」
特に問題はないと判断し、体に布団をかけた。
善人はかなり清潔にしているらしい。
長めのタオルで、握った手が解けないように結んでもらい。
ようやく輝夜は、楽な姿勢へと移行できた。
「じゃあ、俺は帰らせてもらう。また何かあれば呼んでくれ」
「帰れるのか? 普通に」
「ああ。何となく、感覚でな」
すると、アミーの体が光の粒子へと変わっていき。それが善人の指輪へと吸い込まれていく。
指輪を介して、別の世界と繋がっているのだろうか。
やけに頼りがいのある悪魔は、そうして魔界へと帰っていった。
常夜灯の照らす部屋に、静寂が訪れる。
ベッドから床に下ろされても、善人は気にせずに眠り続けていた。
一体、どのような夢を見ているのか。とても安心したように、その表情は柔らかい。
対する輝夜は、未だ眠りにつけず。
外したイヤリングを、じーっと見つめていた。
買った場所は、善人と変わらない。善人の指輪が特別なら、このイヤリングにも何か不思議な力があるのかも知れない。
そう思いながら見つめてみるも、特に何か起きるわけでもなく。
(……指輪が凄いのか、それとも”お前”が凄いのか)
考えても仕方がないと、輝夜はため息を吐く。
「なぁ、教えてくれよ」
この5年間、ずっと”そうだと思って”生きてきた。
まがりなりにも、その覚悟をしていたはずなのに。
「お前が”主人公”なら、わたしは何なんだ?」
アイデンティティが、崩れていくような。
地に足がつかない、不安な気持ちになる。
――わたしは一体、何のために生まれてきたのか。
そんな事を疑問に思いながら、輝夜は眠りについた。
◆◇
翌朝。
今までにないほど穏やかに、善人は目を覚ました。
果たして、なぜ床で寝ているのか。
手が何かに引っかかっているのは何故か。
色々と疑問を抱く中で、善人は思い出す。
自分が昨日、誰と一緒に居たのかを。
「輝夜さん?」
善人はゆっくりと起き上がり、ベッドの上を見てみる。
そこには、昨日と何も変わらぬ輝夜が、安らかな表情で眠っていた。
「……ぁ」
間近で見てみると、本当に綺麗な顔をしている。
善人自身、あまり異性と接触する機会がないからか。
今まで見た誰よりも、美しい人だと思った。
呼吸で微かに動く様子を、ずっと見ていても飽きない。
そうやって、善人が見つめていると。
不意に、輝夜が目を開き。
数秒間、二人の視線が合わさる。
「……おはよう」
「お、おはようございます」
気まずそうに、善人は顔をそらした。
大きなあくびをしながら、輝夜は体を起こす。
「……お前、変なことしてないよな?」
「し、してないです! 誓って」
「ふむ」
結んでいた手を外して、輝夜は体をまさぐってみる。
「あの。僕って、そんなに信用ないですか?」
「ふふっ、冗談だよ」
からかうように、輝夜は笑う。
”こういう反応”をしてくれるからこそ、一緒に居てストレスが溜まらない。
「それで、気分はどうだ? 昨日はかなりつらそうだったが」
「そう、ですね。ここ数年の中で、”一番気分が良い”かも知れません」
「……お前、本当にルナティックか?」
少なくとも、昨夜はぐっすりと眠っていた。
そんな善人を、輝夜はじーっと見つめる。
「だから、すっごく不思議なんです。今まで、どんな夢で上書きしようとしても、消し切れなかったのに」
輝夜に触れられている間、善人は一切の悪夢を見なかった。
ルナティック症候群を発症してから、”初めての経験”である。
「もしかしたら。輝夜さんには、悪夢を打ち消すような、”何か特別な力”があるのかも」
「……だとしたら、使い道は限られるな」
月の呪い、悪魔の呪い。
それに苦しむ人間が居れば、まるで影響を受けない輝夜のような者も居る。
自分の体に、どんな”秘密”があるのか。
それを知る時がやって来る。
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