純情物語
ルナティック症候群。
それは月の光を起因とする病で、発症すると悪夢を見るようになる。そして、月を直視すると、患者は精神に異常をきたし。症状が重いと錯乱状態になることもある。
だが、今の善人の状態は、その領域すらも超越していた。
「……これは、予想外だな」
変貌した善人を見て、輝夜はつぶやく。
”すみません”が口癖で、同い年だというのに敬語を止めない。そんな普段の彼とは、似ても似つかない。
そんな善人の様子に、輝夜とアミーが唖然としていると。
「頼む、助けてくれぇ」
苦しみもがくプライヤが、善人の足にすがりつく。藁にもすがるように、それほど必死なのだろうが。
”今の彼”に触れるのは、最悪としか言いようがなかった。
「あぁ?」
善人は、プライヤを睨みつけると。
「テメェ、このゴミクズがッ」
必死に助けを求める彼の顔面を、思いっきり蹴り上げた。
「がはっ」
その直撃で、プライヤの鼻は折れ、歯は砕け散り。為す術なく蹴り飛ばされる。
「……あ、あ」
顔面を蹴られた痛みで、彼の意識は飛びかけていた。
だが、苛立ちを隠さない善人は、それだけでは飽き足らず。
「オラッ」
追い打ちをかけるように、何発も何発も、蹴りを繰り返す。
すでに、プライヤには抵抗する力も残っておらず。ただひたすら、残虐な暴力に晒されていた。
「アハハハハッ」
笑い声を上げながら、蹴りを加え続ける善人。その姿は、まるで悪魔のようだった。
「あれじゃ、普通に死んじまうぞ」
目の前で行われる、残虐な行為。
アミーは、止めるべきか悩み。
輝夜は、非常に複雑な表情で見つめていた。
確かに輝夜は、助ける必要は無いと言った。それは今でも変わらない。だが、善人はそれでも助けたいと考え、自分で決断を下した。
それなのに、そこにはもう先程までの彼は存在せず。助けようとしていた相手を、自分自身の手で嬲り殺しにしようとしていた。
あの悪魔が死のうと、輝夜はどうでもいい。むしろその方が良いと思っている。
だが、それでも。後で正気に戻った時、自分の行った行為を知った時。果たして、善人は受け止めきれるのか。輝夜は、それを考えてしまう。
「なぁ、アミーとか言ったか?」
「ああ」
だから輝夜には、黙って見過ごすことが出来ない。
「頼む。あいつを、止めてやってくれ」
「……了解した」
お前は、こんな事をしてはいけない。
わたしと違って、心優しく、繊細な人間なのだから。
輝夜の要望を受け、アミーが止めに入る。
「おい、坊主。それ以上はよせ」
「あぁ? 何だよテメェ」
がっしりと肩を掴み、その動きを制止する。
「嬢ちゃんの頼みだ。これ以上はやらせんぞ」
「チッ、このクソが」
すると、善人の指輪が輝き始め。
「邪魔だよ」
まばゆい光と、衝撃波が発生し。
アミーの身体を吹き飛ばした。
「がはっ」
凄まじい勢いで吹き飛ばされ。アミーは誰も座ってない車椅子を巻き込み、そのまま壁へと激突する。
輝夜の車椅子は完全に大破し、アミーも動かなくなった。
「アハハハハッ」
もう、誰にも止められない。
善人は完全に狂気に染まっていた。
だがしかし。
「――おい、このバカ」
狂い続ける彼に対し、輝夜が声を上げる。
止めに入るどころか、自力で立ち上がることすら出来ないものの。それでも、これ以上は許せない。
「あぁ?」
「その辺にしとけよ。後になって、後悔しても知らんぞ」
そう言って、輝夜に止められると。
「ったく」
善人は苛つきを前面に出しながら、輝夜の元へと近寄ってくる。
「本当に、口だけは達者だな。スカーレットさんよぉ」
神々しく光る、金と銀の瞳で。
善人は輝夜を見下ろす。
「ゲームの中じゃ威勢がいいが。現実じゃ、随分と可愛いもんだなぁ」
「……」
まるで威嚇するように、善人は声を荒げるも。
輝夜は何も言わず。
ただ、じーっと顔を見つめる。
「クソ。なんか言ったらどうだ、あぁ?」
その反応に、善人は怒りを露わにし。
ぐっと、輝夜の髪の毛を掴んだ。
「ッ」
乱暴に髪を掴まれ、輝夜は顔を歪めるものの。
何も言わず、怒らない。
なりたくてこうなったんじゃない。
一番つらいのは、善人本人なのだから。
「……変な力を使ったと思えば、今度は暴走か」
だから、怒るなんてことは出来ない。
「まったくお前は、困った奴だな」
今の輝夜に出来るのは。
ただ優しく微笑みながら、彼の手を握ってあげることだけだった。
すると、
激しく揺れていた波が、ゆっくりと静まっていき。
歪みは解け、変色していた瞳が元の黒へと戻る。
それと同時に、一筋の雫がこぼれ落ち。
輝夜の頬を濡らした。
「善人?」
不思議そうに、輝夜が名前を呼ぶと。
「……ごめんなさい。ごめんなさい」
自分が、何をしたのか。誰に手をあげようとしていたのか。それを自覚するように、善人は涙を流していた。
善人は膝から崩れ落ち。ただひたすら、輝夜に対する謝罪を口にする。
「まったく」
それを受けて、輝夜は少し困ったような表情をしながらも。
幼い子供を慰めるように、優しく頭に触れてあげた。
主人公が暴走し、それをヒロインが止める。
そんな、ありきたりな物語。
◆◇
「ほらよ」
「ありがとう、ございます」
ボロボロになったアミーが、善人に傘を渡す。
もう絶対にこんな事にはならないよう、善人は傘を握りしめた。
「……あの。本当に、すみません」
傘を差しながら、善人は輝夜に謝る。
すでに事は済んだというのに。何度も何度も、繰り返し。
「いいんだよ。別に、わたしは気にしてないからな。何なら、こいつのほうが深刻だろ」
こいつとは、つまりアミーのこと。
プライヤとの戦い、善人からの攻撃により、彼は全身傷だらけであった。
「いいや、俺は平気だ。こう見えて、鍛えてるからな」
堂々と、アミーは肉体を見せつける。
筋肉隆々で、いかにも頑丈そうな身体を。
この場で致命的なダメージを負ったのは、輝夜の車椅子だけであった。
「本当に、すみません」
輝夜に、そしてアミーに、善人は謝り続ける。
狂気から戻ってから、ずっと謝りっぱなしである。
「いいから、もう謝るな」
「すみません」
輝夜が謝罪を止めるように言うものの。
善人は、それにも謝罪で返してしまう。
輝夜は、ちょっと苛ついた。
「謝るなと言ってるだろ!」
「うっ」
輝夜に怒られて、善人は再び泣き出してしまう。
それはもう、がっつりと。
「お、おい。泣くなよ」
まさか泣かれるとは思わず、輝夜は動揺する。
「悪かったって。もう怒らないから」
「うぅ」
善人は、完全に落ち込んでいた。
「……実は、ずっと前にも同じようなことがあって。その時は、学校のクラスメイト全員を病院送りにしちゃったんです」
「そ、そうか」
それが本当なら、凄まじい出来事である。
「それから、僕の周りは全部変わっちゃって」
まだ幼い子供が、クラスメイト全員を病院送り。一体、どうやって暴れたのか。どれほどのことをしてしまったのか。輝夜には想像もつかない。
ただ確かなのは。それ以降、善人がずっと孤独だったこと。たった一度の出来事で、全てを失ったこと。
だから、彼は恐れていたのだろう。せっかく手を差し伸べてくれた、輝夜という存在に見捨てられることを。
その切実な思いが、伝わってくる。
「でも、今回は止まれただろう?」
「そうですけど」
だから輝夜は、善人に素直に気持ちを伝える。
「――助けてくれて、ありがとう」
◇
「で、あいつはどうする?」
輝夜の見つめる先には、ボロボロになったプライヤが居た。
全身から赤い粒子を漏らし、色々とひどい有様だが。まだ、かろうじて生きている。
「……僕が、帰します」
善人は立ち上がると、プライヤの元へと歩き出した。
今度は、ちゃんと傘を差しながら。
プライヤは、ぴくぴくと痙攣し。意識があるのかも不明である。
そんな彼を見つめながら。善人は、黄金の指輪をかざした。
「元いた場所に、帰ってくれ」
すると、指輪が輝き出し、プライヤの下に魔法陣が発生する。
プライヤは、そのまま魔法陣の中に沈んでいき。
故郷である、”魔界”へと消えていった。
輝夜とアミーは、その結末を見届ける。
「それで、嬢ちゃんたちはこれからどうする?」
「そうだな」
そんな事を話していると。
「くっ」
善人は苦しむような声を上げ、その場に座り込んでしまう。
しっかりと傘を差し、月光は遮断しているはずだが。
「おい、大丈夫か?」
「は、はい」
アミーに抱えられながら、善人は輝夜の元へとやって来る。
「善人?」
「すみません。なんか、症状が抜けてないみたいで」
ルナティック症候群。
輝夜に触れられたことで、ある程度は戻ってこれたものの。善人の症状は、未だ完全には治っていなかった。
軽い錯乱状態か。呼吸を荒らげ、苦しんでいる。
輝夜は、それを見て不憫に思い。仕方がないと、手を握ってあげた。
「大丈夫。大丈夫だ」
少しでも落ち着けるように、声をかける。
すると、善人の呼吸が穏やかになっていく。
悪いものが、抜けていくように。
「落ち着いたか?」
「は、はい。なんか、すごく不思議な感じで」
なぜ、これで解消されるのか。善人にも理解が出来ない。
「なら、よかったよ」
しかし、輝夜が手を離すと。
「ぐっ」
何故か、再び症状が現れてしまう。
「おい、ずっと触ってないとダメなのか?」
「すみません。僕にも、何がなんだか」
この病気の仕組みは、誰にも理解が出来ない。
「なら、俺が触ったらどうだ?」
試しに、アミーが善人に触れてみる。
だが、輝夜の時とは何かが違うのか。症状が改善されることはなく、何の意味もなかった。
「どうやら、俺ではダメらしい。」
「らしいな」
仕方がないと、輝夜は再び善人の手を握ってみる。
すると、見る見るうちに顔色が良くなり、その症状が改善されていく。
「ふむふむ」
手を握るというのは、なかなかに気恥ずかしいが。
背に腹は代えられないため、輝夜は優しくしてあげることに。
「この変態め」
「そ、そんな」
輝夜と善人が、謎の触れ合いを行っていると。
静寂の戻ったはずの路地裏に、ぞろぞろと大量の足音が近づいてくる。
重装備に身を包んだ、”特殊部隊”のような人間たちが。
「――現場に到着。あ、悪魔と思われる存在を視認」
分厚い防護服に、ライフル銃を装備し。かなり精鋭と思われる集団だが。
その様子は、どこか焦っているようにも見えた。
「なんだ? こいつらは」
「おそらくは、ロンギヌスだろうな」
輝夜は、そう予想してみるものの。実際に見るのは初めてなため、確証までは持てない。
「それにしても、来るのが遅いな」
のんきに、そんな話をしていると。
「――これより、排除を行う!」
不穏な言葉と共に、部隊の連中がライフルを構えだす。
「こりゃまずい」
輝夜は小さくつぶやいた。
◇
「うっ」
超人的な跳躍力を持って、悪魔アミーが建物の上を駆けていく。
彼自身には、何の問題もないものの。
「あぅ」
両脇に抱えられた輝夜と善人には、最悪とも言えるほどの”揺れ”が生じており。
輝夜にいたっては、色々な意味で限界を迎えようとしていた。
ある程度、先程の場所から距離を取ったところで。
一旦、彼らは休憩することに。
「ふぅ」
傷だらけのアミーが、一番元気に満ち溢れており。
傘は必要だが、善人も落ち着いている。
輝夜だけが、謎に体力を消耗していた。
「あいつら、躊躇なく撃ってきたな」
アミーの言うあいつらとは、先程の特殊部隊のこと。
「……わたしの記憶が確かなら。この街に悪魔が現れたのは、今回が初めてのはずだ。もしも、”初めての出動”だとしたら、あの対応もあり得るだろう」
「なるほどな」
街の外ならまだしも、姫乃に悪魔は侵入できない。
この”異常事態”に驚いているのは、輝夜たちだけではなかった。
「それで、これからどこへ向かえばいい?」
「そうだな。とりあえず、善人の家で頼む。パソコンに繋げて、さっさと寝かせてやろう」
「了解した」
ロンギヌスの戦闘部隊から逃れ。
すっかり、安心していた輝夜たちであったが。
軽やかな足取りで、一人の人間がその場に降り立つ。
「なっ」
その接近には、アミーですら気づけなかった。
現れたのは、”仮面をつけた謎の男”。
真っ黒なスーツを身にまとい、”刀”のようなものを背負っている。
先程の特殊部隊とは、明らかに雰囲気が違っていた。
敵なのか、味方なのか。それも判別がつかない。
「……こいつ」
輝夜と善人は、単純に驚くだけだが。
アミーだけは、非常に深刻そうな表情をしていた。
「悪魔が、この街で何をしている」
仮面の男が、アミーに尋ねる。
「……俺は、何もするつもりはない。ただこいつらに力を貸しているだけだ」
「なるほど」
アミーからの返答を受け、仮面の男は何か考えるような素振りを見せる。
その様子を見つめながら、アミーは動けない。
”動けるはずもなかった”。
だがしかし。
「おい、アミー。口から火でも吹いて、さっさと蹴散らしたらどうだ?」
何も理解していない輝夜が、そんな言葉を口にする。
「……いや、そうは言ってもだな」
謎の仮面男と対峙しながら、アミーは若干”震えて”いた。
相手から発せられる、突き刺すような威圧感。
自分にも力があるが故に、理解できてしまう。
たとえ、逆立ちしても敵わない。正真正銘の”化け物”であると。
故に、アミーは一歩たりとも動けず、ただ相手の様子をうかがうことしか出来ない。
だが、そんな空気の中で、輝夜は今まで感じたことのない”感覚”を覚えていた。
言葉に出来ない、奇妙な”不快感”。
こころなしか、仮面の男は、輝夜を見ているような気がして。
「――おい、変態仮面」
輝夜のイライラが爆発した。
「……変態、仮面だと?」
まさかの呼び名に、仮面の男は動揺する。
「ああ、お前だよ。どこの誰だか知らんが、用がないなら消えてくれないか? 視線もちょっと気持ち悪いぞ」
「お、おい! あまり刺激するな」
輝夜の口から出る暴言に、アミーは焦る。
「くっ」
そして仮面の男は、妙にダメージを受けていた。
「まぁいい、今日は見逃すことにしよう。だが忘れるな、ここはロンギヌスの管理する街だ。下手に暴れると、容赦なく狩られるぞ」
「……ああ、肝に銘じておこう」
そうして会話を終え、アミーはその場を離れていく。
再び、輝夜と善人を抱えながら。
そんな彼らの後ろ姿を。見えなくなるまで、仮面の男は見つめていた。
すると、彼の指にはめられた、”黄金の指輪”が輝き。
『――ねぇ、変態仮面だって。”実の娘”にそんなこと言われて、どんな気分?』
どこからか、少女のような声が聞こえてくる。
「黙れ」
これが、とある親子のファーストコンタクトであったと。
知る者は、ごく僅かであった。
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