王の帰還






 いつか、こういう日が来るとは思っていた。

 ここがゲームの世界なら。自分が主人公だというのなら。いずれ、”それ”と対峙する時が来ると。


 だがそれは、あまりにも唐突に訪れた。








 甘い香りに誘われて、輝夜と善人は路地裏へと入っていく。

 何の危機感も抱かずに。




 その最奥には、”一人の男”がいた。




 顔中にピアスを付けた、お世辞にも善良な市民とは言えないような男。

 地面にしゃがみ込んで、やって来た二人の様子を見つめている。


 男の存在に気づいて、善人は車椅子を止めた。




「っと、どうかしたのか?」




 しかし、輝夜はなぜ止まったのかを理解していない。

 目の前にいる、男の存在に気づいていない。




「いや、その。変な人が、いるから」


「はぁ?」




 善人の言っている意味が分からず。

 それでも一応、輝夜は目を凝らして見てみると。




「あ」




 ようやく、男の存在が目に入り。輝夜は”正気”に戻る。


 一体なぜ、ここに来たいと思ってしまったのか。自分は一体、何の匂いに誘われたのか。





「――えっ、気づいたの? おもしろ」





 輝夜たちの反応を見て、男は笑う。

 とても、愉快なおもちゃを見つけたように。




「……善人。ゆっくりと、ここから離れよう」


「は、はい」




 男の存在に、輝夜たちは得体の知れない”危機感”を抱き。その場を離れようとするものの。




「残念」




 いつの間にか、男が輝夜の目の前に立っており。

 がっしりと、両手で車椅子を掴んでいた。




「ブチ殺されたくなかったら、ちょっと大人しくしてようか」















(嘘だろ)




 しっかりと警戒していた。一切、目を離したりしなかった。しかしこの男は、気づいたら輝夜の目の前に立っていた。

 目にも留まらぬ速さ、”人間離れした動き”で。


 意味不明な現象に、輝夜たちは動けなくなる。




「一応言っとくけどさ、叫んだりしちゃダメだよ?」




 男は軽い口調で話しながら。

 輝夜の眼前に、”人差し指”を突き立てる。




「じゃないと、この綺麗なおめめ、潰れちゃうから」


「ッ」




 またもや見えない動きで、二人は男に脅される。



 理知的に動いて、言葉を発する存在。それだけなら、普通の人間と何も変わらない。

 だが不思議と、輝夜たちには理解できてしまう。目の前にいる男が、正真正銘の”化け物”であることを。



 自分の後ろにいるため、どんな表情をしているのかは不明だが。輝夜には、善人の恐怖が伝わってくる。

 どうしようもない”震え”が、車椅子を伝って感じられる。




(……ヤバい)




 これがいつもの”ゲーム”だったら、何の問題もない。どうとでも対処ができる。

 だがしかし、これは”現実”であり。現実の世界では、輝夜には何の力もない。





「ではまず、君たちに問題です。僕は一体、何者でしょうか」




 軽い口調で、男が問いかける。

 しかし、その目は微塵も笑っていない。

 ”善とは程遠い感情”が、渦巻いている。




「ほら、早く答えてよ。もしも正解できたら、何もせず帰してあげるかも」




 男に催促され、輝夜はゆっくりと口を開く。





「……”悪魔”、だろう?」



 輝夜の言葉を聞き。





――男の表情が”喜び”に歪む。





 一瞬で、空気が凍りついた。

 今まで感じたことのない雰囲気に、呼吸が不規則に乱れ始める。



 この世界に生を受けて。

 輝夜は初めて、”本物の恐怖”を感じていた。





「君たち人間ってさ、本当に幸せそうだよねぇ。弱っちいくせに、何の武器も持たずに。今日も、のうのうとデートかな?」




 男は悠々と言葉を発する。

 いつもの輝夜なら、軽く怒りを覚える状況だが。

 今の彼女には、そんな余裕もない。





「ねぇ君、ちょっと”スカートの中”見せてよ」





 そう言って、とんでもない要求をしてくる。



 猛烈な吐き気と、殺意すら覚えるが。絶対に逆らってはいけないと、本能が訴えており。




 要望通りに、輝夜はスカートをたくし上げる。

 目を閉じ、唇を噛みながら。





「ほーう」



 男はジロジロと、輝夜のスカートの中を覗く。




「これってさ、ギプスか何か?」


「ああ」


「ふーん。なら問題ないか」




 どういう基準で話をしているのか、輝夜には理解が出来ない。




「いや君さ、すっごい可愛いから。僕の”ペット”にしようと思って」



 男の口から、衝撃的な言葉が飛び出してくる。




「ほら、足がなかったら、ちょっと見栄えが悪いじゃん?」



 淡々と話す男に、輝夜と善人は言葉を失う。






「……”悪魔”は、この街に入れないんじゃなかったのか?」


「うん。まー、そうだね」



 自分を悪魔だと認めた上で、男は話を進める。




「忌々しいことに、ここ10年は誰も侵入が出来なかった。”ロンギヌス”とかいうクソ連中が、この街を守護してるせいでね」




 ロンギヌス。

 その存在は、この街にいる誰もが知っている。




「でも最近になって、最高に”面白い技術”が開発されてね。ご覧の通り、僕はこの街に侵入できた。どういう技術か、知りたい?」




 男の問いに。

 二人は反応に困り、口を閉ざす。




「ふふっ。でもまぁ、知らない方が身のためかも。あまりの恐怖に、女の子なら漏らしちゃうね」


「くっ」




 輝夜は怒りを覚えるも。

 今は決して、表に出せない。





「僕たち悪魔は、日々進歩してるのさ。君たち人間よりもずっと強く、ずっと早く。魔法の力だけでなく、それは”科学”の面においても変わらない」





「……それで、お前の目的は? わたし達を、これからどうするつもりだ」



 延々と話し続ける男に、輝夜が本題を尋ねる。




「うーん、そうだねぇ。君はすっごく可愛いから、僕のペットにして。そっちの彼氏くんは、”首を折って”殺しちゃおうか」


「なっ」




 衝撃的な言葉に、輝夜は言葉を失い。


 ガタガタと、車椅子が震え始める。


 正確には、車椅子を支える”善人”の手が震えていた。




「いやいや彼氏くん、ちょっとビビり過ぎじゃない?」




 男は笑い。

 善人の肩に、ポンと手を置く。




「安心してよ。この子はちゃんと、僕が大切にしてあげるからさ」




 心底馬鹿にしたような声で、男が笑う。

 善人を、というより。”人間”を完全に見下していた。






「ッ」




 目の前で起こっている現実に、輝夜はどうすることも出来ない。


 悪魔と戦う、そんな次元の話ではない。

 今の自分では、ここから走って逃げることすら出来ない。




 目の前にいる悪魔や、この状況そのもの。

 それに対して、何も出来ない自分自身。

 多くのものに対する怒りが、ふつふつと湧き上がり。





「……なぁ」


「うん?」




 輝夜は懸命に頭を働かせ、自分の中で”決意”を固める。




「お願いだから、こいつは見逃してくれないか?」


「……へぇ」



 輝夜の提案に、男は興味を示す。





「代わりにわたしが、どんな命令にも従おう」





 善人こいつは、巻き込めない。

 確かに、運が悪かったのかも知れないが。ここに来た原因は、自分が何かに惑わされたから。善人はそれについてきただけで、何の罪もない。


 これから先、多くの事を経験する、未来のある若者。

 だから、





「――はぁ?」





 男が、善人の首を掴み。そのまま上へと持ち上げる。

 片手で、軽々と。




「おい!」



 輝夜の声など、意に介さず。




 善人は男に掴み上げられ、苦しみにもがく。

 しかし、どれだけ暴れても、男の腕はびくともしない。

 力の差は歴然であった。





「立場がさぁ、分かってないんじゃない?」


「くっ」



 輝夜に対し、男は高圧的な言葉をぶつける。





「――”プライヤ”、それが僕の名前ね。僕に何かして欲しいなら、ちゃんとした言葉で頼もうよ」





 一体、何が気に障ったのか。

 男は冷酷に、現実を突きつけてくる。



 気分次第で、簡単に命を終わらせることが出来る。



 輝夜は、静かに思い知った。






「……プライヤ、さま」


「うん、なんだい?」




 名前に様付けをされて、男は見るからに機嫌が良くなる。




「その人は、わたしの恋人でも何でもなく、単なるゲームの知り合いなんです。だからどうか、見逃してください」




 プライドを捨てて、輝夜はお願いを口にする。

 どれほどの屈辱も、”人の命”には替えられない。




「えっ、そうなの? こいつ、彼氏でも何でもないの?」


「はい。ただ単に、今日は車椅子を押してもらっただけで。わたしとは、ほとんど無関係なんです。なので、どうか」





 プライヤに対して、輝夜は頭を下げた。


 その手が震えるのは、恐怖によるものか。それとも、怒りか。





「ふ〜ん」



 輝夜の言葉を聞いて、プライヤは善人を地面に下ろす。





「なんて言えばいいのかな、この感情」



 けれども、決してその手は離さない。






「――マジでムカつく」






 プライヤは怒りに任せ。

 善人の首を掴む手を、思いっきり”握りしめた”。






「あ」




 その光景を、間近で見て。

 輝夜は呼吸が止まる。



 その手は何を握りしめたのか。

 誰を、握り潰したのか。




「……そん、な」





 それほどまでに、呆気なく。

 善人の首は折られた。






「はい、おしまいっと」



 善人の体が、無造作に地面に投げ捨てられる。




「……お、おい」



 輝夜は、倒れるようにして車椅子から降り。

 地面を這って、善人の側へと近寄る。




「よしひと」



 今日、知ったばかりの名前を呼びながら。

 彼の顔に、そっと手を触れる。



 まだ意識があるのか、瞳だけが動いていた。



 だが、それだけ。

 もう間もなくして、善人は死んでしまうだろう。





「いいなぁ。こんな優しい彼女、僕には縁がなかったよ」



 プライヤが、二人を見下ろす。




「健気に君を守ろうとして。ほんっと、嫉妬しちゃうね」



 悪魔は、無情であった。

















 その体に、力はなく。

 ただ地面に横たわるのみ。



 何も感じない。

 さっきまで、ずっと怖くて痛かったのに。




 出番が終わったのだと、そう思った。

 この世界における、僕の役目は終わり。何一つ成し遂げられず、守れず。石っころのように退場していく。




(……輝夜さん)




 彼女が、遠い所に行ってしまう。

 いや、それは僕の方か。




(あぁ、なんで)




 僕なんかを見ながら、泣いているんだろう。








 正直、”運命”だと思った。



 一度目の出会いは、学校のトイレで。

 二度目の出会いは、ゲームの中で。


 そして三度目の出会いでは、激しく心を揺さぶられた。



 あぁ、こんな幸せがあっていいんだ。

 ”最低最悪”な僕にも、手を差し伸べてくれる人がいるんだ。




 なのに、なのに。

 こんな終わり方じゃ。








――その魂に、燃えるような闘志が宿った。








「そういえば、まだ名前聞いてなかったよね? ねぇ、教えてよ」



 自分が何をしたのか、もう忘れてしまったかのように。プライヤは、輝夜に名前を尋ねる。




「それってピアス? それともイヤリング? ねぇ、無視しないでよ」



 何も変わらないテンションで、輝夜に声をかけ続け。



 輝夜は、握った拳を震わせる。






「――地獄に落ちろ、このクソ野郎が」






 涙を流しながらも、その瞳に宿るのは”怒り”のみ。


 恐怖はすでに消し飛んだ。

 目の前に立つ悪魔が、憎くて、憎くて、仕方がない。




「ははっ。その表情、ほんと最高」




 しかし、プライヤには何も響かず。

 その手を、ゆっくりと輝夜に向けて伸ばし。


 何かが擦れるような音に、その手が止まる。




「……は?」





 視線を動かすと。


 そこには、首を折られたはずの”善人”が、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。


 前髪の隙間から、鋭い視線で睨みながら。





「いやいや。首グシャって、したよね?」




 確かに砕いたはずだった。首の骨を砕かれて、立ち上がれる人間は存在しない。

 存在しない、はずだった。




「何だよ、お前」



「……離れろ」




 善人の右手、人差し指にはめられた指輪が、”まばゆい光”を放つ。







「――その人から、離れろッ!!」







 途方も無い何か。

 世界の理に当てはまらない何かが、産声を上げるように。




 善人を中心として、光が溢れる。




 何が起こっているのか。

 輝夜にも、プライヤにも、それを認識することは出来ず。




 光が消失すると。


 善人の目の前の地面に、”魔法陣”のようなものが発生していた。


 その魔法陣は、こことは別の場所に繋がり。




 中から、”炎”が現れる。




 正確には、それは”炎を纏う男”だった。


 革のジャケットに、革のパンツと。

 ワイルド過ぎる格好をした、得体の知れない男。





「俺を、呼んだか」



 燃えるような闘志を宿す、一体の”悪魔”を召喚した。















「……悪魔を召喚した? 何だよ、それ」




 突如として現れた、燃えるような男。

 プライヤには、どういう現象なのか理解が出来ない。




「まぁ、いっか。……ちょっと君、どこの誰だか知らないけど、僕の邪魔はしないでくれる? こっちは今、”人間狩り”の最中だからさ」



 目の前の同族に対して、プライヤは穏便に事を済まそうとするも。




「……なら俺は、人間の側に付こう」



 燃えるような男は、輝夜たちを守るように立ちはだかる。




「なにそれ、ジョーク?」


「いいや、もちろん真剣だ」




 男の体から、”熱気”が溢れる。





「俺の名は”アミー”。いずれ魔王になる男だ」


「あー、クソ。話の通じない田舎モンかぁ」





 プライヤと、アミー。

 二体の悪魔が、真正面から対峙する。







「輝夜さん、大丈夫ですか!?」




 地面に座る輝夜のもとに、善人が駆け寄ってくる。


 首の骨を折られたはずなのに、何もなかったかのように。


 それも、何か”特別な力”によるものなのか。






(……あぁ、そうか)






 いつか、こういう日が来るとは思っていた。


 日常が崩れ去り、悪魔との戦いに身を投じる。


 だけど仕方がない、それが主人公というものだと。






(お前、だったのか)






 この5年間、輝夜はずっと、勘違いをして生きてきた。



 自分が、ゲームの主人公であると。





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