月に魅入られし者






 僕は月が綺麗なのを知らない。



 何故なら、月をまともに見たことがないから。

 月を見ると意識を失い、僕は怪物になる。

 だから月は見ない、見てはいけない。見たら、すべてを失ってしまう。





 その少年は、ルナティック症候群だった。それも、前例のないほどに深刻な。悪夢を見るなど序の口で、病は少年の精神を蝕んでいた。

 その”症状”のせいで、少年は学校での居場所を無くし。ルナティックの治療も兼ねて、姫乃の街へと移住した。

 しかし、史上初の”ステージ3”と診断された彼には、ナイトメアキャンセラーも意味を成さず。最先端の姫乃でも、治療法は見つからなかった。



 それから数年が経ち、少年は高校生になった。

 登校初日に、トイレで”謎の美少女”に話しかけられるという珍事件には遭遇したものの、それ以外には変わったこともなく。少年は授業中も休み時間も、ひたすら睡魔と戦う日々を送っていた。

 だが、少年は始めから孤独だったわけでなく、病気を自覚するまでは普通に友だちとも交友があった。だからこそ、”そういったもの”を諦めることが出来なかった。


 そんなある時、少年はクラスメイトたちの会話を聞いた。



 ”アルマデル・オンライン”。

 そのゲームの内容が凄く、みんなやっているらしい。



 だから親に頼み込んで、少年はそのゲームを買ってもらった。


 そして、






「うわぁぁ!?」




 ゲームのチュートリアルの中で、少年は化け物に、小型の汚染獣に襲われていた。


 驚きから、武器であるはずの剣を地面に落としてしまい。少年は一方的に汚染獣に襲われる。


 わけが分からない。もっと簡単なゲームだと思っていた。

 仲間と協力できる、楽しいゲームだと。こんなゲームだなんて、思っていなかった。



 怖い。怖い。怖い。怖い。――怖い。




『甚大なダメージを検知。システム、停止します』




 怪物に食い破られるような、最悪の体験。

 恐怖の中に、少年は沈んでいった。

















 アルマデル・オンライン、汚染森林エリア。



 大型の汚染獣が二匹、一体のロボットを取り囲んでいる。


 汚染獣は”真っ黒なワニ”のような姿をしており、ロボットを完全に敵視。


 対するロボットは、背中に一本の剣を携え。

 それを抜いて、戦闘態勢に入る。




「……雑魚どもめ」



 加工の効いた、”野太い男の声”でつぶやいた。



 二匹の汚染獣が、ロボットに襲いかかる。

 大きな顎を開き、鋭い牙を尖らせながら。


 ロボットは、それを真上に跳躍することで回避。

 二匹の汚染獣は、激しく正面衝突をする。



 ロボットは自然落下しながら、落ち着いて剣を構え。

 一匹の脳天に、剣を突き刺した。


 ピンポイントで弱点を貫かれ、汚染獣の瞳から光が消える。


 ロボットは、そのままの流れで素早く剣を振るい。

 もう一匹の顔面を斬り裂いた。




――ギャアアア。




 顔面を攻撃され、汚染獣が怯む。

 ロボットはその隙を見逃さず、すかさず距離を詰め。




「死ね」




 汚染獣の顔面を剣で滅多斬りにする。


 鼻を、眼球を、容赦なく斬り刻まれ。


 やがて、もう一匹の汚染獣も息絶えた。




「……余裕だったな」




 いつもの癖で、ロボットは汚染獣の死骸を踏みつける。


 声は、野太い男の声。


 そのロボットの名は、”スカーレット・ムーン”。








 ロボットは、倒した二体の汚染獣を解体し始める。パーツの生産や改造に必要な、素材取りである。

 そうやって、使えそうな部位を解体していると。


 視線の先で、別のロボットの集団が歩いているのを発見する。

 ロボットは四体。いわゆる、四人パーティというやつであろう。

 彼らも汚染獣との戦いを終えた後なのか、素材のたんまり入った袋を抱えていた。


 ロボットは解体をしながら、その集団を見つめる。食い入るように、じーっと。




「……はぁ」



 そして、ため息を吐いた。





 汚染獣の解体を終えると、ロボットは木の陰へと座り込む。




「トイレ行くか」



 ロボットは瞳を閉じて、システムからスリープモードに移行する。

 そうして、ゲームからログアウトした。









 ベッドの上で、”輝夜”は目を覚ます。

 眠っていたような、そうでもないような。相変わらず、脳インプラントというのは不思議な感覚である。



 輝夜が骨折してから、数日が経過した。

 あれから輝夜は連日ゲームをプレイし、すでにかなりのカスタマイズを行っていた。

 ”声帯パーツ”なる物を装着することにより、声もカッコいい男のものに変えている。




「さてと」



 輝夜はベッドから起き上がり、ゆっくりと立ち上がる。

 足には電動の歩行補助具を装着していた。


 病院側の判断で、輝夜はようやく膝を曲げられるようになり。補助器具を使えば、少しだけ歩けるようになっていた。

 トイレの行き来程度なら、介護なしでも可能である。




「くっ」



 とはいえ、骨折は骨折。ハイテクな補助器具があっても、歩行はとても慎重に行う必要がある。


 今日は週末であり、影沢は用事で出かけている。

 朱雨は自分の部屋にいるらしいが、トイレの行き来のために弟の手を借りたくはない。

 故に、輝夜は根性でトイレに向かう。


 数時間おきのトイレ休憩。

 そのために、いちいち移動をするのも面倒なため。


 先日、輝夜は影沢に”ある提案”をした。




――知ってるか? ゲーマーの中には、”ボトラー”なる者達が存在するらしくてな。




 それに関して、詳しい説明をしたら。輝夜は思いっ切り”激怒”された。

 それはもう、信じられないほどに怒られた。


 女子としてどうなのか。

 というより、人としてどうなのか。


 ”初日のお○らし”という特大の弱みも握られているため、輝夜は逆らうことが出来なかった。



 そんな事情もありつつ。

 輝夜はトイレ休憩を終えて、すぐさまゲームの中へと戻った。








 ゲーム内へと帰還。

 先程の木の陰へと戻ってきた輝夜であったが。




「うわぁぁ!?」



 ”知らない少年”の叫び声が聞こえてくる。



 何事かと目を向けると、一体のロボットが小型の汚染獣に追いかけられていた。


 追われるロボットには左腕がなく、パーツの種類からしてチュートリアル終わりの初心者だと判断できる。

 しかし、この汚染森林エリアはそんな初心者が来るような場所ではない。


 彼を追いかける汚染獣は、”目のない犬”のような汚染獣。

 このゲームでもトップクラスに弱い個体であり、初心者でも倒すのは不可能ではない。


 それでも、そのロボットは走って逃げていた。

 武器も何も持たずに。



 そんな哀れな初心者を見ながら、輝夜は思い出す。先程見かけた、パーティで活動するプレイヤーたちを。


 あれを見ながら、輝夜は思っていた。

 自分にも”荷物持ち”が欲しいと。




「ふむ」



 見たところ、無謀にもこのエリアにやって来た初心者プレイヤー。

 颯爽と間に入って助けてあげれば、”なんかうまい感じで”、仲間に引き入れることが出来るのではないか。

 そう考え、様子見をすることに。



 だが、しかし。




「うっ、うわぁぁ!?」



 ついに追いつかれ、ロボットが汚染獣に襲われる。

 それを見つめる輝夜であったが。




「……こいつは、弱いな」



 そのプレイヤーは、あまりにも弱かった。なぜそんな腕前で、武器も持たずにやって来たのか。

 あまりの弱さに、仲間に誘うのは気が引けてしまう。



 輝夜が、助けようかと悩んでいると。



 汚染獣がロボットの首に食らいつき、衝撃で彼の頭部が吹き飛ばされてしまう。




「もうダメだな」



 パーティプレイならまだしも、ソロで視界を失ったら助かる手段はない。

 もうあの初心者には、倒される運命しか残っていなかった。




「……チッ」



 助けようか悩んでいた輝夜であったが、その様子は見ていられず。

 ようやく、重い腰を上げた。



 全力で駆けながら、背中の剣を取り出し。

 ロボットを襲う汚染獣、その首を切断する。



 間一髪のところで、ロボットは助けられた。

 頭部パーツは吹き飛んだが、完全に破壊されたわけではない。




「おい、ちょっと待ってろ。今修理してやる」




 そうして、2人は出会った。















「すみません。助けてくれて、ありがとうございます」


「気にするな」




 輝夜によって修理され、ロボットは首がつながった。

 まるで命を救われたかのように、彼は輝夜に感謝する。




「お前、初心者だよな?」


「そうです。えっと、スカーレット・ムーンさん」


「スカーレットでいい。お前は、”ヨシヒコ”だな」



 ロボットの頭上には、青文字でそう書かれている。



「えっ、ヨシヒコ? 僕の名前、ヨシヒコになってます?」


「ああ。そうじゃないのか?」


「うわ、焦りすぎて間違えた」




 その理由を、ヨシヒコが説明する。

 よく分からないままチュートリアルを進めて、謎の化け物(小型の汚染獣)に殺されたこと。その後も焦りからチュートリアルをよく聞いておらず、”ログアウトの方法すらも分からない”。

 他のロボットに話しかけるのも気が引けてしまい。思い切って街の外に出たら、先程の汚染獣に襲われてしまった。


 何とも、どんくさい話である。




「お前、一人で始めたのか?」


「はい。実は僕、友だちがあまり、というか一人も居なくて。学校でクラスメイトがこのゲームの話をしてたから、始めたら話の種になるかと思って」


「それで、あのざまか」


「は、はい」




 汚染獣相手に本気で恐怖を抱き。

 チュートリアルを焦りながら進めた結果、ログアウト方法も分からず。

 流れ流れて、こんな場所までやって来た。




「あの、よかったら”ログアウト方法”を教えて欲しいんですけど」


「それはまぁ、構わんが」



 輝夜は、ほんの少し悩む。



「お前、このゲームはもう辞めるのか?」


「そう、ですね。こういうの、全然上手く出来ないし。一緒にやる仲間も出来そうにないので」




 すでに、恐怖で打ちのめされた。

 一緒にやる仲間も居ないため、これ以上無茶をする理由もない。




「……敵が怖いなら、遠距離武器を使えばいい。素材があれば銃も作れるぞ?」


「いや、でも」


「実はわたしも、今は一人でプレイしてるんだ。だがちょうど、”援護役”が欲しくてな」




 仲間が欲しいと思っているのは、輝夜も同じであった。

 影沢も、常に付き合ってくれるわけではない。とはいえ、弟の朱雨を誘うのはプライドが許さない。

 いま目の前にいる初心者は、”絶好のカモ”に他ならない。




「よかったら、一緒にやらないか?」



 故に、輝夜はヨシヒコに提案した。




「でも。あの、その」



 思いがけない提案に、ヨシヒコは動揺するも。

 差し伸べられたその手に、どうしようもなく惹かれてしまう。




「……よろしく、お願いします」


「ああ」



 ヨシヒコは、その手を取った。








 このゲームには、アイテムボックスやワープ機能などは存在しない。

 プレイヤーはあくまでも、この世界で活動する一機のロボットに過ぎない。


 ”リアリティ”という名の不便さが、このゲームの醍醐味である。



 そうして輝夜は、”ヨシヒコという仲間荷物持ち”を手に入れた。















「とりあえず、こいつを解体するぞ。お前の腕の材料に使えるだろう」




 晴れて仲間となった、スカーレットとヨシヒコ。

 街へと帰還する前に、殺したザコ汚染獣の解体をすることに。


 解体を行うスカーレットを、ヨシヒコはまじまじと見つめる。




「そんな事できるんですね」


「お前、チュートリアルというか、NPCの話を聞いてなかったのか?」


「すみません。ほんとにテンパってて」




 ヨシヒコは、初心者以下の知識量である。




「……なぁ、こういう事を聞くのは、マナー違反なのかも知れないが。お前、歳はいくつだ?」


「えっと、”15歳”です」


「なるほど。なら、高1か」


「はい」




 スカーレットこと輝夜は、自分の声を野太い男の声に改造している。故にヨシヒコは、彼女を勝手に年上の男だと認識していた。




「だったら、敬語は必要ない。わたしとお前は、そんなに年齢は違わないからな」



 それどころか、同い年である。




「わ、”分かりました”」


「……まぁいい」



 敬語を使うな、と言おうと思ったが。

 面倒くさかったので、スカーレットは解体を続けた。








 諸々の荷物を、ヨシヒコに持たせて。

 スカーレットは街へと向かう。




「それにしても、スカーレットさんって強いですね。あっという間に敵を倒しちゃって」


「というより、お前が弱すぎるだけだ。敵から逃げてどうする」


「いや、その。化け物がものすごくリアルなので。本当に殺されると思っちゃって」


「まぁ、気持ちはわかるが」




 スカーレットも、チュートリアルで敵に倒された。だからこそ、リアルな恐怖というものは理解できる。


 ずぶずぶ素人なヨシヒコに、スカーレットが知識を与えつつ。

 ゆっくりと街へと歩く二体であったが。


 ヨシヒコが、何かに気づく。




「スカーレットさん。ああやって、”飛んでる敵”もいるんですね」


「なに?」




 スカーレットは空に目を向ける。

 すると、遥か遠方の空に、巨大な”飛行型の汚染獣”が飛んでいた。




「ッ、不味いな」



 輝夜は思わず舌打ちをする。




「おいヨシヒコ、ついてこい」


「あっ、はい」




 二体は道を外れて、建物の残骸の影に隠れた。





「あの、どうしたんですか?」



 なぜ隠れる必要があるのか、ヨシヒコには理解できない。

 スカーレットは、物陰から敵を監視する。




「あの飛んでる奴は、”アーク・バイドラ”って呼ばれてる、”特殊個体”の汚染獣だ」


「特殊個体?」


「いわゆる、”ボスキャラ”ってやつだな。このゲームのボスキャラは、ああやってフィールドをうろちょろしてるんだよ。それでもって、プレイヤーに不規則に襲いかかってくる」


「な、なるほど」


「聞く話によると、あいつは弱い奴を優先的に狙うらしい。正直、お前じゃ瞬殺されかねん」


「確かに、そうですね」




 今のヨシヒコは、最弱レベルのザコ汚染獣にも殺されてしまう。当然、ボスキャラなど論外である。




「まぁいい。いずれ、あいつはわたしが倒すつもりだ」



 輝夜は空を見つめる。




「このゲームで特殊個体ボスキャラを倒すと、それと似たような種類の雑魚がフィールドに現れるようになる。つまり、素材が安定して入手できるようになるんだが」



 今回の特殊個体は、巨大な鳥のような汚染獣である。



「あいつは、このゲーム初の”飛行型汚染獣”だ。そいつの素材を使ったら、どんな改造が出来るようになると思う?」


「……空が、飛べるように?」


「ああ。そうに違いない」




 それが、輝夜の目標。

 このゲームで空を飛ぶことを夢見て、巨大な敵を睨んだ。





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