初めての学校
「お似合いです、輝夜さん」
「そうか?」
若干、機嫌良さげに。輝夜は影沢の前でくるりと回る。
輝夜が着ているのは、今日から通う学校の制服。
よくある紺色のブレザーであり、赤くて大きなリボンが特徴的である。
「……気持ち悪い」
影沢があまりにも嬉しそうだったので、調子に乗って回りすぎてしまう。
輝夜は三半規管も弱かった。
「まるで、生まれたての子鹿だな」
テーブルでコーヒーを片手に、朱雨があざ笑う。
朱雨が着ているのは、かなり特徴的な白色の制服であった。
輝夜と朱雨は、それぞれ”別々の高校”へ通うことに。
朱雨はかなり頭が良いらしく、姫乃でも有数の進学校へ。リハビリ漬けの輝夜では、手が届かないほど頭の良い学校であった。
「学校だと、同年代の人間が大勢いるんだぞ。お前、そんなので大丈夫か?」
「はっ、わたしを舐めるな」
輝夜も同じテーブルにつき、影沢の作った軽めの朝食にかじりつく。
「仮に俺が隣の席だったとして、どうやって声をかける?」
「――初めまして、わたしは紅月輝夜。仲良くしてくれると嬉しいな。あはは」
「……」
”病院の中しか知らない、世間知らずのお嬢様”。
こんなので大丈夫なのか、朱雨は不安に思った。
「まぁ、今のは冗談だよ」
だが周囲の人間が思っているほど、輝夜は世間知らずではない。この世界での経験は5年程度だが、精神的には”その数倍”の時を生きている。
高校生活に関しては二度目であり、もはや児戯に等しかった。
ただ一つ心配なのは、”体力面”のみ。普通の歩行程度なら問題はないが、体育の授業などは難しいだろう。
とはいえ、別に体育の授業が受けられなくても問題はない。同年代の子供と、出来れば運動などしたくない。
そもそも、輝夜は同年代の人間とろくに話したことがなかった。
基本的に話し相手になっていたのは、担当の看護師と影沢くらいなもの。
「心配するな。何かあったら、すぐに保健室に行くさ」
◇
(ついに学校か)
車の窓から、輝夜は頬杖をつき、外の風景を眺める。
車を運転するのは、使用人の影沢。
朱雨の学校は徒歩で行けるほど近いので、乗っているのは輝夜のみ。
外の風景を眺めながら、輝夜は首にぶら下げた”アダプター”を握りしめる。きっと学校へ行けば、同じようにぶら下げた人間も居るだろう。
今、輝夜は学校へと向かっている。
人が大勢いる場所へ向かっている。
”一つの社会”へと向かっている。
5年間もの間、輝夜は病院という狭い空間で過ごしてきた。
故に、少なからず緊張はしていた。
(ようやく、”始まる”)
自分が高校生になるということ。それはすなわち、この世界、正確には”ゲームの物語”が始まるということ。
本当にここがゲームの世界で、もしも自分が主人公だったとしたら。そう遠くない未来に、”悪魔と戦う運命”が待ち受けている。
そもそもプレイをしていないため、ゲームの内容について知っていることは少ない。
覚えているのは、主人公が高校生だったこと。
髪の白いヒロインらしきキャラが居たこと。
そして、”指輪の力”で悪魔と戦うこと。
だがしかし、輝夜に髪の白い知り合いはおらず、特別な指輪も持っていない。
(……”悪魔”、か)
テレビのニュース番組や、最近手に入ったスマホを使い、輝夜は悪魔についての情報を調べていた。
分かっていることは、悪魔が”別の次元”からやって来た生命体であること。
魔法のような特殊な力を使い、人間など簡単に殺せること。
銃や刃物で殺すことも可能だが、あくまでも弱い個体に限る。恐ろしいことに、軍隊でも太刀打ちできないような”化け物”も存在するらしい。
だがしかし、人類側も悪魔に一方的にやられるだけではない。
悪魔がこの世界に現れて、20年。
人類側も悪魔の存在を研究し、それに対抗する手段を生み出していた。
その最たるものが、
(――”ロンギヌス”)
輝夜は窓の外、遥か遠方にある”巨大な塔”に目を向ける。
世界で唯一、悪魔を殺すことを目的とした組織、それがロンギヌス。
この姫乃の街には、日本におけるロンギヌスの拠点があった。
「……はぁ」
窓の外から視線を戻し、輝夜は自分の手を見ると。
リハビリを思い出し、開いたり閉じたりを繰り返してみる。
しっかりと機能はしているが、どうしようもなく弱々しい。
こんな体たらくでは、悪魔どころか小学生にすら負けてしまうだろう。
そして、幸か不幸か。
この姫乃の街は、悪魔に対抗するべく最新の技術が投入されていた。
外敵を阻むために、街は鋼鉄の壁に阻まれ。街中のいたる所に、悪魔を感知するためのセンサーが張り巡らされている。
”悪魔はこの街に手を出せない”。
この5年間で、姫乃では一度も悪魔関連の事件は起きなかった。
今の暮らしの中では、悪魔と出会うことなどあり得ない。
(……まぁ、何でもいいか)
問題が起きないなら、それに越したことはない。
目の前に悪魔が現れて、もしも自分に戦う力があるのなら、また話は別だが。
輝夜は今日から高校生になる。
しかも、女子として学校に通い、同年代の人間と交流しなければならない。
「……はぁ」
とにかく、憂鬱であった。
「すみません。”龍一”さんにも、ぜひ来るように伝えたのですか。仕事が忙しいとのことで」
「……どうでもいい」
輝夜は未だに、自分の父親である”龍一なる人物”と会ったことがない。そして、会いたいとも思っていなかった。
今さら、見ず知らずの身内と会うのも面倒くさい。
”精神年齢的に、親は必要としていない”。
「何なら、誰も来ない朱雨が可哀想だ。わたしを送り終わったら、あいつの方に向かってもいいんだぞ?」
「いいえ、今日は輝夜さんの入学式に参加します。朱雨さんは、小中としっかり見てきたので」
「……その時は、父も参加したのか?」
「いえ、龍一さんはあまりそういった行事に参加なさらないので」
「まったく、どんな父親だ」
まだ見ぬ父親を思い。
輝夜は、遠方のタワーを睨んだ。
◆
私立神楽坂高校、校門前にて。
「では、ご武運を」
「あぁ」
黒塗りの高級車から、1人の少女が降りてくる。
真っすぐ伸びる黒髪に、人形のように白い肌。
目も鼻も整いすぎており、とても同じ人間とは思えない。
”圧倒的な美少女”。
その登場の仕方もあり、周囲に居た他の生徒たちは、みな輝夜の姿に釘付けになっていた。
視線を浴びながらも、輝夜は気にした様子もなく歩いていく。
まっすぐ前を見て、堂々と。
まるで、自分が頂点だと自覚しているように。
だが、その内面では、
(……クソが)
周囲全てを呪わんとするほど、真っ黒な怒りに満ち溢れていた。
――”死ぬほど恥ずかしい”。
それが怒りの原因である。
他の生徒などどうでもいい。
適当に無視しておけばいい。
ジロジロ見られたら、睨み返せばいい。
この場所に来るまでは、それくらいの気概があったのだが。
いざ視線に晒されると、頭が真っ白になってしまう。
頼みの綱の影沢も、生意気な弟も居ない。完全に一人っきり。
輝夜は唇を噛みながら、校舎へと向かった。
下駄箱で靴を履き替え、教室へやって来る。
中に入ると、当然のように注目を浴びるが。
彼らは人間ではなく、ただの肉の塊だと認識することで感情を鎮めた。
自分の席を探そうとするも、輝夜の名字は
わかりやすく、入口側の一番前の席である。
(クソ)
自分の苗字を恨みつつ、輝夜は席に座った。
時計を見ると。入学式、もしくはホームルームが始まるまで、かなりの時間があった。
スマホを弄っていいのかも分からない。
そのため、とりあえず黙って待機することにしたが。
かわいい。
マジ可愛い。
いや、超カワイイ。
後方から、ざわざわと話し声が聞こえてくる。
耳を澄ます必要はない。向こうも、普通に聞こえる声量で呟いている。
こういった反応も、ある程度は覚悟していたが。
”生まれて初めての感覚”に、顔全体が熱くなる。
(……やばい)
このままここに居ては死んでしまう。
周囲の雰囲気に耐えきれず、輝夜は教室を出ていった。
◇
気分が悪いという事にして、保健室に転がり込もうとも思ったが。
探しても場所が分からなかったので、とりあえずトイレへと逃げ込んだ。
「ふぅ」
個室の中に閉じこもり、深呼吸をする。
幸いにも、トイレに他の生徒は居らず、話し声も聞こえない。
ほどよい静寂が、心拍数を落ち着かせてくれる。
便器に座りながら、輝夜はスマホを弄った。
式が始まるまで、まだかなり時間がある。ギリギリになるまで、ここで時間をつぶすことに。
登校初日だというのに、一体何をしているのか。
自分の不甲斐なさに、ため息が漏れる。
「「――はぁ」」
奇しくも、隣からも同じような声が聞こえた。
(……まじか)
登校初日に、トイレに篭ってため息。そんな残念な生徒が、隣にもいる。
輝夜はそれを自覚すると。不思議と、胸が軽くなったような気がした。
緊張する必要なんて無い。
周囲の連中は、単に”美少女っぷり”に驚いているだけ。
そう自分に言い聞かせ。
心を落ち着かせると、輝夜は個室から出る。
そのまま教室に戻っても良かったが。
気まぐれに、隣の個室の前に立つと。
「……あー、うん。聞こえるかな?」
何を血迷ったか、中の人に声をかけた。
「わたしは一組の紅月と言うんだが、よかったら話でもしないか?」
どうせ相手も一年生。しかも、登校初日にトイレにこもる残念女子である。
気軽に話しかけて、親睦を深めようとするものの。
「もしもーし」
いくら声をかけても、反応がない。
(……マズい。もしかしたら、”イタい奴”と思われたかも知れん)
輝夜が、そんな懸念を抱いていると。
個室の鍵が開き、ゆっくりと扉が開く。
すると、中に居たのは。
引きつった表情をした、1人の生徒。
目元が隠れるほどの、長めの茶髪だが。
”どう見ても、女子ではない”。
「……あの、ここって男子トイレじゃないんですか?」
その生徒の言葉に、輝夜は一瞬で青ざめた。
ゆっくりと振り返れば、後ろにあるのは小便器。
つまり、ここは”男子トイレ”である。
(しまった)
輝夜は”公衆トイレ”について完全に失念していた。
病院では、基本的に多目的トイレを使い。
家のトイレでは、そもそも気にする必要もない。
故に、この場所へナチュラルに辿り着いてしまった。
(登校初日に、これはヤバい)
急いで、この場を離れようとするも。
――トイレの外から、話し声が近付いてくる。
「くっ」
今出ていけば、完全に鉢合わせになる。
輝夜は反射的に周囲を見渡し。
入口の反対側に窓を見つけると、考える間もなく窓を開けた。
(行ける!)
幸いにも、ここは一階。
普通に出入りが可能な高さである。
輝夜は一心不乱に窓から飛び出すと。
そのまま華麗に、地面へと着地した。
だが、しかし。
――バキッ。
「あ」
何かが、”折れるような音”。
それと同時に、足で体を支えられなくなる。
間一髪、トイレからは脱出できたものの。
輝夜はその場に、膝から崩れ落ちた。
記念すべき、登校初日。
輝夜は、”右の足首”と”両膝”を骨折した。
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