初めての学校






「お似合いです、輝夜さん」


「そうか?」




 若干、機嫌良さげに。輝夜は影沢の前でくるりと回る。


 輝夜が着ているのは、今日から通う学校の制服。

 よくある紺色のブレザーであり、赤くて大きなリボンが特徴的である。




「……気持ち悪い」




 影沢があまりにも嬉しそうだったので、調子に乗って回りすぎてしまう。

 輝夜は三半規管も弱かった。




「まるで、生まれたての子鹿だな」




 テーブルでコーヒーを片手に、朱雨があざ笑う。

 朱雨が着ているのは、かなり特徴的な白色の制服であった。


 輝夜と朱雨は、それぞれ”別々の高校”へ通うことに。

 朱雨はかなり頭が良いらしく、姫乃でも有数の進学校へ。リハビリ漬けの輝夜では、手が届かないほど頭の良い学校であった。




「学校だと、同年代の人間が大勢いるんだぞ。お前、そんなので大丈夫か?」


「はっ、わたしを舐めるな」




 輝夜も同じテーブルにつき、影沢の作った軽めの朝食にかじりつく。




「仮に俺が隣の席だったとして、どうやって声をかける?」


「――初めまして、わたしは紅月輝夜。仲良くしてくれると嬉しいな。あはは」


「……」




 ”病院の中しか知らない、世間知らずのお嬢様”。

 こんなので大丈夫なのか、朱雨は不安に思った。




「まぁ、今のは冗談だよ」




 だが周囲の人間が思っているほど、輝夜は世間知らずではない。この世界での経験は5年程度だが、精神的には”その数倍”の時を生きている。

 高校生活に関しては二度目であり、もはや児戯に等しかった。


 ただ一つ心配なのは、”体力面”のみ。普通の歩行程度なら問題はないが、体育の授業などは難しいだろう。

 とはいえ、別に体育の授業が受けられなくても問題はない。同年代の子供と、出来れば運動などしたくない。


 そもそも、輝夜は同年代の人間とろくに話したことがなかった。

 基本的に話し相手になっていたのは、担当の看護師と影沢くらいなもの。




「心配するな。何かあったら、すぐに保健室に行くさ」















(ついに学校か)




 車の窓から、輝夜は頬杖をつき、外の風景を眺める。

 車を運転するのは、使用人の影沢。

 朱雨の学校は徒歩で行けるほど近いので、乗っているのは輝夜のみ。



 外の風景を眺めながら、輝夜は首にぶら下げた”アダプター”を握りしめる。きっと学校へ行けば、同じようにぶら下げた人間も居るだろう。


 今、輝夜は学校へと向かっている。

 人が大勢いる場所へ向かっている。

 ”一つの社会”へと向かっている。


 5年間もの間、輝夜は病院という狭い空間で過ごしてきた。

 故に、少なからず緊張はしていた。




(ようやく、”始まる”)




 自分が高校生になるということ。それはすなわち、この世界、正確には”ゲームの物語”が始まるということ。

 本当にここがゲームの世界で、もしも自分が主人公だったとしたら。そう遠くない未来に、”悪魔と戦う運命”が待ち受けている。


 そもそもプレイをしていないため、ゲームの内容について知っていることは少ない。

 覚えているのは、主人公が高校生だったこと。

 髪の白いヒロインらしきキャラが居たこと。

 そして、”指輪の力”で悪魔と戦うこと。


 だがしかし、輝夜に髪の白い知り合いはおらず、特別な指輪も持っていない。




(……”悪魔”、か)




 テレビのニュース番組や、最近手に入ったスマホを使い、輝夜は悪魔についての情報を調べていた。


 分かっていることは、悪魔が”別の次元”からやって来た生命体であること。

 魔法のような特殊な力を使い、人間など簡単に殺せること。

 銃や刃物で殺すことも可能だが、あくまでも弱い個体に限る。恐ろしいことに、軍隊でも太刀打ちできないような”化け物”も存在するらしい。


 だがしかし、人類側も悪魔に一方的にやられるだけではない。

 悪魔がこの世界に現れて、20年。

 人類側も悪魔の存在を研究し、それに対抗する手段を生み出していた。


 その最たるものが、




(――”ロンギヌス”)




 輝夜は窓の外、遥か遠方にある”巨大な塔”に目を向ける。


 世界で唯一、悪魔を殺すことを目的とした組織、それがロンギヌス。

 この姫乃の街には、日本におけるロンギヌスの拠点があった。




「……はぁ」




 窓の外から視線を戻し、輝夜は自分の手を見ると。

 リハビリを思い出し、開いたり閉じたりを繰り返してみる。

 しっかりと機能はしているが、どうしようもなく弱々しい。

 こんな体たらくでは、悪魔どころか小学生にすら負けてしまうだろう。



 そして、幸か不幸か。


 この姫乃の街は、悪魔に対抗するべく最新の技術が投入されていた。

 外敵を阻むために、街は鋼鉄の壁に阻まれ。街中のいたる所に、悪魔を感知するためのセンサーが張り巡らされている。


 ”悪魔はこの街に手を出せない”。

 この5年間で、姫乃では一度も悪魔関連の事件は起きなかった。


 今の暮らしの中では、悪魔と出会うことなどあり得ない。




(……まぁ、何でもいいか)




 問題が起きないなら、それに越したことはない。

 目の前に悪魔が現れて、もしも自分に戦う力があるのなら、また話は別だが。




 輝夜は今日から高校生になる。

 しかも、女子として学校に通い、同年代の人間と交流しなければならない。




「……はぁ」



 とにかく、憂鬱であった。








「すみません。”龍一”さんにも、ぜひ来るように伝えたのですか。仕事が忙しいとのことで」


「……どうでもいい」




 輝夜は未だに、自分の父親である”龍一なる人物”と会ったことがない。そして、会いたいとも思っていなかった。

 今さら、見ず知らずの身内と会うのも面倒くさい。

 ”精神年齢的に、親は必要としていない”。




「何なら、誰も来ない朱雨が可哀想だ。わたしを送り終わったら、あいつの方に向かってもいいんだぞ?」


「いいえ、今日は輝夜さんの入学式に参加します。朱雨さんは、小中としっかり見てきたので」


「……その時は、父も参加したのか?」


「いえ、龍一さんはあまりそういった行事に参加なさらないので」


「まったく、どんな父親だ」




 まだ見ぬ父親を思い。

 輝夜は、遠方のタワーを睨んだ。

















 私立神楽坂高校、校門前にて。




「では、ご武運を」


「あぁ」




 黒塗りの高級車から、1人の少女が降りてくる。


 真っすぐ伸びる黒髪に、人形のように白い肌。

 目も鼻も整いすぎており、とても同じ人間とは思えない。



 ”圧倒的な美少女”。



 その登場の仕方もあり、周囲に居た他の生徒たちは、みな輝夜の姿に釘付けになっていた。




 視線を浴びながらも、輝夜は気にした様子もなく歩いていく。

 まっすぐ前を見て、堂々と。

 まるで、自分が頂点だと自覚しているように。


 だが、その内面では、




(……クソが)



 周囲全てを呪わんとするほど、真っ黒な怒りに満ち溢れていた。





――”死ぬほど恥ずかしい”。


 それが怒りの原因である。





 他の生徒などどうでもいい。

 適当に無視しておけばいい。

 ジロジロ見られたら、睨み返せばいい。


 この場所に来るまでは、それくらいの気概があったのだが。

 いざ視線に晒されると、頭が真っ白になってしまう。



 頼みの綱の影沢も、生意気な弟も居ない。完全に一人っきり。


 輝夜は唇を噛みながら、校舎へと向かった。








 下駄箱で靴を履き替え、教室へやって来る。


 中に入ると、当然のように注目を浴びるが。

 彼らは人間ではなく、ただの肉の塊だと認識することで感情を鎮めた。



 自分の席を探そうとするも、輝夜の名字は紅月あかつき

 わかりやすく、入口側の一番前の席である。




(クソ)



 自分の苗字を恨みつつ、輝夜は席に座った。








 時計を見ると。入学式、もしくはホームルームが始まるまで、かなりの時間があった。


 スマホを弄っていいのかも分からない。

 そのため、とりあえず黙って待機することにしたが。




 かわいい。

 マジ可愛い。

 いや、超カワイイ。


 後方から、ざわざわと話し声が聞こえてくる。




 耳を澄ます必要はない。向こうも、普通に聞こえる声量で呟いている。

 こういった反応も、ある程度は覚悟していたが。



 ”生まれて初めての感覚”に、顔全体が熱くなる。




(……やばい)




 このままここに居ては死んでしまう。

 周囲の雰囲気に耐えきれず、輝夜は教室を出ていった。















 気分が悪いという事にして、保健室に転がり込もうとも思ったが。

 探しても場所が分からなかったので、とりあえずトイレへと逃げ込んだ。




「ふぅ」




 個室の中に閉じこもり、深呼吸をする。

 幸いにも、トイレに他の生徒は居らず、話し声も聞こえない。

 ほどよい静寂が、心拍数を落ち着かせてくれる。


 便器に座りながら、輝夜はスマホを弄った。

 式が始まるまで、まだかなり時間がある。ギリギリになるまで、ここで時間をつぶすことに。




 登校初日だというのに、一体何をしているのか。

 自分の不甲斐なさに、ため息が漏れる。





「「――はぁ」」



 奇しくも、隣からも同じような声が聞こえた。





(……まじか)



 登校初日に、トイレに篭ってため息。そんな残念な生徒が、隣にもいる。

 輝夜はそれを自覚すると。不思議と、胸が軽くなったような気がした。




 緊張する必要なんて無い。

 周囲の連中は、単に”美少女っぷり”に驚いているだけ。


 そう自分に言い聞かせ。

 心を落ち着かせると、輝夜は個室から出る。



 そのまま教室に戻っても良かったが。

 気まぐれに、隣の個室の前に立つと。




「……あー、うん。聞こえるかな?」




 何を血迷ったか、中の人に声をかけた。




「わたしは一組の紅月と言うんだが、よかったら話でもしないか?」




 どうせ相手も一年生。しかも、登校初日にトイレにこもる残念女子である。

 気軽に話しかけて、親睦を深めようとするものの。




「もしもーし」



 いくら声をかけても、反応がない。




(……マズい。もしかしたら、”イタい奴”と思われたかも知れん)




 輝夜が、そんな懸念を抱いていると。


 個室の鍵が開き、ゆっくりと扉が開く。




 すると、中に居たのは。




 引きつった表情をした、1人の生徒。

 目元が隠れるほどの、長めの茶髪だが。



 ”どう見ても、女子ではない”。





「……あの、ここって男子トイレじゃないんですか?」





 その生徒の言葉に、輝夜は一瞬で青ざめた。


 ゆっくりと振り返れば、後ろにあるのは小便器。


 つまり、ここは”男子トイレ”である。





(しまった)




 輝夜は”公衆トイレ”について完全に失念していた。

 病院では、基本的に多目的トイレを使い。

 家のトイレでは、そもそも気にする必要もない。


 故に、この場所へナチュラルに辿り着いてしまった。




(登校初日に、これはヤバい)



 急いで、この場を離れようとするも。





――トイレの外から、話し声が近付いてくる。





「くっ」



 今出ていけば、完全に鉢合わせになる。


 輝夜は反射的に周囲を見渡し。

 入口の反対側に窓を見つけると、考える間もなく窓を開けた。




(行ける!)




 幸いにも、ここは一階。

 普通に出入りが可能な高さである。




 輝夜は一心不乱に窓から飛び出すと。


 そのまま華麗に、地面へと着地した。



 だが、しかし。






――バキッ。




「あ」






 何かが、”折れるような音”。

 それと同時に、足で体を支えられなくなる。



 間一髪、トイレからは脱出できたものの。

 輝夜はその場に、膝から崩れ落ちた。








 記念すべき、登校初日。

 輝夜は、”右の足首”と”両膝”を骨折した。







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