初めての暴力






「「退院おめでとう、輝夜さん!!」」




 大勢の看護師たちが祝福の声を上げる。

 みな純粋に、”彼女”の退院を祝う気持ちでいっぱいであり。担当者のまどかに至っては、大号泣していた。

 そんなまどかから、花束を受け取り。




「こちらこそ、お世話になりました」




 お礼の言葉を返すのは、息を呑むほど美しい黒髪の少女。

 長い黒髪は腰まで届き。身長もかなり伸びて、女性らしい体つきに。



 15歳になった、紅月輝夜あかつきかぐやである。



 担当医や看護師たちと挨拶をして、輝夜は車の後部座席に乗り込む。いかにも高級車らしい、黒塗りの車である。

 運転席に座るのは、紅月家の使用人である影沢舞かげさわまい。5年前とあまり変わらない顔立ちに、相変わらずのスーツ姿である。




「ふぅ」



 車が走り出すと、輝夜は隣の席に花束を無造作に放り投げた。









 陽の光が降り注ぐ街並みを、車は走っていく。輝夜は頬杖をつきながら、車の窓から外の風景を眺めていた。

 知らない土地に、知らない街。かなりの都会であり、高層ビルがいくつも立ち並んでいる。

 これが、輝夜の暮らす街、”姫乃”である。


 しばらく、無言で外を眺める輝夜であったが。




「ふ……ふふ」



 少しずつ、笑いがこみ上げてくる。




「輝夜さん、どうかしましたか?」


「……いいや、何でも無い」




 影沢に指摘され、輝夜は笑いをごまかす。

 まさか、”この5年間で一番気分が良い”などと、口が裂けても言えやしない。




(やっと、病院とおさらばできる)




 まるで、全てから解放されたような気分である。感覚的には、翼が生えていてもおかしくはない。

 その解放感に、ついにやけてしまう。




(長かった。あまりにも長かった)




 この5年間を、輝夜はリハビリのみに費やした。

 やたらと進歩した最新の技術を駆使しても、これだけの時間がかかったのである。


 少し無理をすれば骨が折れ、それが治るのにまた時間がかかり。またリハビリをし、身体のどこかが不調をきたし、それの繰り返しである。

 自分のあまりの身体の弱さに、笑ってしまう時もあった。


 しかし、その地獄の日々も終わりである。

 病院から解放され、輝夜はようやく一人の人間として生きていくことが出来る。


 そう、しみじみとしていると、影沢に声をかけられる。




「輝夜さん。”パーソナルアダプター”は、ちゃんとお持ちですよね?」


「あぁ、もちろん」




 輝夜はポケットに手を入れる。

 しかし、そこには何もなく。

 若干焦りつつも全身を探して、ようやくそれを見つける。


 それは、小さな”USBメモリー”らしき物。

 ネックレスのように、首にかけられるよう加工されていた。




「首からかけて、絶対に失くさないようにしてください」


「はぁ、分かったよ」




 ため息をしつつ、輝夜はアダプターを首にかける。

 普通の感覚からすると、かなり奇妙なファッションである。




「わたしには必要ないんだから、壊してもいいんじゃないか?」


「万が一、ということもあります。朱雨しゅうさんがそうである以上、貴女にも”可能性”はあるんですから」


「……そういうものか」




 影沢に説得され。輝夜はアダプターへの興味をなくすと、再び外の風景に目を向ける。

 今までずっと待ち望んでいた、外の世界。



 屈辱の時は終わりを告げ、この春より新生活が始まる。










「……デカいな」




 車から降り、輝夜はその建物を見る。

 3階建ての大きな一軒家、これが紅月家の暮らす家。

 正確には、輝夜たち双子の姉弟と、使用人の影沢が住む家である。



 家の中に一歩踏み入れると、輝夜はその場で深く息を吸った。

 ずっと、病院生活だったゆえに、生活感のある匂いが心地良い。





「輝夜さんの部屋は、”3階”にあります」


「……正気か?」




 それほどの階段を上り下りすれば、数日で疲労骨折をする自信がある。それほどまでに、輝夜と階段との相性は悪い。




「ご心配なく、エレベーターがありますので」


「むぅ」




 まさかのエレベーターに、輝夜は唸る。

 これほど大きな家に、エレベーターなど。想像以上の豪邸である。




「そんなに金があるのか? この家は」


「……そうですね」



 影沢は、何かを思いながら窓の外を見る。




「”龍一”さんは、かなりの高給取りなので」




 窓の外、その遥か遠方には。

 一際目立つ、”巨大な塔”が建っていた。

















(とりあえず、部屋に行くか)




 自分の部屋へと行くために、輝夜はエレベーターに向かう。

 すると、その前に影沢に呼び止められる。




「あと一つ。朱雨さんの部屋には、勝手に入らないほうがいいですよ」


「……わかった」




 そう返事をしつつ、エレベーターに乗り込み。

 扉が閉じると同時に、輝夜はにやりと微笑んだ。

 その拳は、力強く握られている。




(やってやる)




 今までずっと、輝夜は我慢を続けてきた。

 病室で動けない間、朱雨は頻繁に部屋を訪れ。出てけと言っても出ていかず、黙れと言っても黙らず。

 さんざん好き放題されていた。



 ”ここ1年”は、なぜかめっきり面会に来なくなったが。


 ついに、復讐の時が来た。




 エレベーターから降りた後、輝夜はいくつかの部屋を片っ端から開けていき。そして、朱雨の部屋を見つける。


 恐る恐る、ゆっくりと部屋に入ると、部屋の中は真っ暗であった。

 真っ昼間なのに、カーテンも閉められている。


 とりあえず、電気をつけてみると。




「ッ」




 部屋の中の様子に、輝夜は思わず息を呑む。


 目を引くのは、デスクの上に置かれた大きなパソコン。

 今も稼働中なのか、微かな音と光を発していた。



 そして弟の朱雨は、真っ昼間だというのにベッドの上で眠っている。



 初めて会ってから、5年が経ち。

 その身長は輝夜を軽々と超えていた。


 顔立ちもイケメンと化し、すっかりと大人びている。




(こんな時間から寝てるのか?)




 周囲を見てみると。

 部屋のパソコンに、”パーソナルアダプター”が挿入されているのが目に入る。

 つまり今の彼は、アダプターを通じてパソコンに接続している最中である。




(ドリームエディター? いや、こんな時間に寝るのはおかしい)



 今は真っ昼間。もしも寝ているのであれば、とんだ怠け者である。




「……噂の”VRゲーム”か?」



 テレビでそんな話があったような、何となく思い出す。 




「おい、朱雨! 起きてるか?」



 声をかけるも、返事はない。




「姉が初めて家に来たんだぞ? なにか言うことはないのか」



 どれだけ声をかけても、全く反応がない。

 今の朱雨は、完全に現実世界と切り離されていた。


 その事実に、輝夜は笑みを浮かべる。





「……ずっと前から思ってたんだよ。いつか、お前を”殴りたい”ってな」





 輝夜はベッドの上に乗り。

 眠っている朱雨の上に、”馬乗り”になる。


 すると、



(こいつ、思ったよりデカい)



 上に乗っかりながら、朱雨の体の大きさを実感する。

 いくら双子の姉弟とはいえ、その体格差はかなりのものがあった。




(なら、”殴るチャンス”は今しかないな)




 輝夜は覚悟を決め、拳を握りしめる。

 眠っているその顔面を、思いっ切り殴ってやろうと、拳を振りかざした。


 だが、しかし。




「くっ」




 5年間で芽生えた、”ほんの僅かな良心”がその手を止め。

 拳ではなく、平手打ちに変える。


 そしてそのまま、眠っている朱雨の頬を、思いっ切りビンタした。



 ぺちーんと、軽い音が鳴る。



 輝夜は息を潜めるも、朱雨は起きる気配がない。

 パソコンに繋がっていることで、痛みの感覚がないのだろうか。




「はっ、こいつはいい」




 気を良くして、輝夜はもう一発ビンタを叩き込む。


 ぺちーん。


 もう一発、ぺちーん。



 何度も何度も、これまでの鬱憤を晴らすように、輝夜はビンタを叩き込み。


 すると、右手がぷるぷると震え始める。

 生まれて始めての暴力に、身体が悲鳴を上げていた。




「……これで、最後にしてやるよ」




 このままでは、右手が使い物にならなくなってしまう。

 名残惜しいものの、最後の一撃を叩き込むため、右手を思いっ切り振りかぶり。



 渾身のビンタを叩き込む。


 しかし、すんでの所で受け止められてしまう。


 目を覚ました、朱雨によって。





「――おい、なにをしてる」





 明らかに、怒りを帯びた声。

 彼に手を掴まれた状態で、輝夜は完全に動けなくなる。




「いや、眠っていたから、起こそうと思ってな」


「……手が震えてるぞ? いったい何発叩いたんだ」


「ぅ」




 残念ながら、嘘はバレバレであった。

 いい感じの言い訳が思い浮かばず、輝夜は黙り込む。



 朱雨が起きてしまった以上、体格的に勝ち目はない。

 どう切り抜けるべきか、輝夜が思考を巡らせていると。





「――輝夜さん? 入ってはダメだと、さっき言ったじゃないです…………か」





 影沢が部屋に入ってきて、その場で固まる。



 ベッドの上では、朱雨が横になり。

 その上に、輝夜が馬乗りになっている。


 しかも、手を握っているようにも見えた。





「……まさか、姉弟で?」


「あー」





 動揺する影沢の誤解を解くのに、2人はかなりの労力を使った。















「はぁ」




 色々と疲れた後、輝夜は自分の部屋へと入る。


 部屋の中は、かなり簡素であった。

 あるのは真っ白なベッドと、黒いローテーブル。それと、姿見があるだけ。

 今まで誰も使っていなかったのだから、当然である。




(明日買い物行くとか、言ってたな)




 簡素な部屋をひと通り見終わると。



 輝夜はおもむろに服を脱ぎ始め。

 下着も外し、”素っ裸”になった。



 その場で、軽く動きながら体の具合を確かめ。

 置いてあった姿見を使い、自分の裸を見つめる。




「……凄いな」




 裸体を眺めながら、輝夜はため息を漏らす。

 完全に、自分の体に見惚れていた。



 ”容姿全振り”は伊達ではない。

 ここまで完璧な美少女が存在するのか、そう思わずにいられない。



 素っ裸で好き勝手に出来る。病院に居た頃には不可能だった事である。


 自分だけの部屋、自分だけの空間。

 自分が一番偉いのだから、何をしたって構わない。


 5年間も入院生活を送った結果、輝夜の脳は開放感を求めていた。




 好きなだけ自分の体を眺め終わり。

 そのまま輝夜は、裸でベッドにダイブする。


 フカフカのお布団、その肌触りを全身で感じ取る。

 病院の布団とは違う感覚。高級な材質なのか、非常にすべすべしていた。




「……ん」



 ”なんとも言い難い感覚”、布の感触を楽しんでいると。





「――おい、飯は何が食いたいんだ?」





 乱暴に扉を開けて、弟の朱雨が部屋に入ってくる。


 だがしかし、部屋の中に居たのは。

 恍惚とした表情で布団を抱き締める、素っ裸の輝夜であり。




 空気が、凍りつく。






「……殺すぞ、お前」






 輝夜の一言。


 それ以来、部屋に入る時はお互いにノックをするようになった。





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