屈辱の時(三)






 ある日。

 輝夜はベッドの上で起き上がり、両手に機械のようなものを装着されていた。

 指全体に沿うような形をした、手袋にも見える機械。”リハビリ”のために用意された、最先端の技術である。




「大丈夫ですよ。セーフティがしっかりしているので、怪我の心配はありません」



 補助として、いつもの看護師が隣で説明を行う。




「……これは、どうすれば」



 輝夜にとっても、リハビリは生まれて初めてなため。使い方も何も分からない。




「簡単ですよ。手を動かそうと、そう念じるだけで、輝夜さんの”頭の中にあるチップ”が思考を読み取ってくれるので。あとは、ロボットが自動でやってくれます」


「……ん?」



 さらっと看護師が説明するも、輝夜には一つ引っかかることがあった。

 ”頭の中のチップ”が思考を読み取り、ロボットが勝手に動いてくれる。看護師は確かにそう説明した。

 どう考えても、輝夜の知っているリハビリではない。



「頭の、チップ?」


「あー、そうですね。正確には、”脳インプラント”と言うんですけど」



 輝夜の疑問に、看護師はチップについての説明を行う。


 元々は、”ルナティック症候群”という病気の治療のために開発された技術であること。輝夜はその病気ではないが、ずっと眠り続けていたため、その調査のために施術を行ったとのこと。

 つまり、頭にチップが埋め込まれている。



(おいおい、冗談だろ)



 衝撃の事実に、輝夜は震え上がる。

 少なくとも、今の体になる前ではあり得なかった話。明らかなオーバーテクノロジーが、自分の頭に埋め込まれていた。



(今、一体何年いつなんだ?)



 病室という、非常に限られた空間で輝夜は生活をしている。未だに一人で歩行もままならないため、好き勝手に見聞きすることも不可能。輝夜の中に入ってくる情報は、ほとんどが影沢や看護師の話が中心であった。

 今自分が、”どういう世界”で生きているのか。輝夜は何も知らなかった。




「すみません。まだ、難しい話でしたね」



 思いつめた様子の輝夜に、看護師が声をかける。

 何も知らない、”目覚めたばかりの少女”。そうであると疑っていない。



「あっ、そうでした! 今度、病室にテレビを用意するので、一緒に見ましょう。テレビと言うのはですね――」



 疑問は尽きないが。今の”この状況”では、あまりにも自由がなさすぎる。

 看護師によるテレビの説明を聞きながら、輝夜は手のリハビリに努めた。















「さぁ、いちに、いちに」


「くっ」




 看護師の声援を受けながら、輝夜は必死に”歩行練習”を行っていた。

 腰から下にかけて、また別の機械を装着しており。まるで、サイボーグのような格好をしている。


 輝夜が歩行練習を行うのは、病院内にあるリハビリルーム。かなり大きめのエリアであり、他の患者たちも普通に利用をしている。

 そんな初めての空間で、輝夜は看護師と共にリハビリに励む。




(これは、キツイ)



 下半身に装着された機械も、輝夜の”脳内チップ”と連動して動くようになっている。それ故、非常に違和感なく歩行が行えるのだが。

 あくまでも、機械は補助用に過ぎず。輝夜は己の筋肉を限界まで稼働させ、今出せる全ての力を用いて歩行を行っていた。

 一歩一歩、ゆっくりと。



「……チッ」



 その過酷さに、思わず舌打ちをしてしまう。

 10年間も使わずに眠っていた、全身の筋肉が悲鳴を上げていた。



「……ふぅ、ふぅ」



 歩いている距離は、ほんの僅か。しかし、輝夜は全身から汗を流していた。地獄の道を行くような、信じられないほどの苦行である。

 だが、不思議と頭は冴え渡っていた。

 高鳴る心臓の鼓動、とめどなく湧き出る汗。


 これ以上になく、輝夜は”生”を実感していた。


 自分の足で歩くことで、ようやく実感、理解をする。

 この体は、紛れもない本物。

 自分は、”紅月輝夜”であると。




 そんな、賢明にリハビリに励む輝夜を、他の看護師や患者たちも遠巻きに見守っていた。

 頑張る少女を応援する、あくまでもそういった意味の視線ではあるが。



(……クソッ)



 周囲からの視線に、輝夜は機嫌を損ねる。

 ただでさえ、極限状態で辛いのである。今のこの状況では、何もかもが苛立ちの材料になっていた。




「輝夜さん」



 疲弊した様子の輝夜に、看護師が声をかける。




「少し休憩して、ジュースでも飲みましょうか」


「……ふぅ」




 疲れているため、返事はせず。

 輝夜は休憩に突入した。








 輝夜と看護師は自販機の前へとやって来る。



「ほら、いっぱい種類がありますよ。輝夜さんは甘いのがお好きですか?」



 看護師の言葉を聞き流しながら、輝夜は自販機のラインナップを見上げる。確かに、様々な種類の飲み物があった。

 だがしかし。別段、輝夜に好きな飲み物など無い。

 その中で、強いて選ぶとするならば。



「……コーヒー」


「え?」



 輝夜の要求した飲み物に、看護師は固まり。

 少し間をおいて、おもむろにスマートフォンを取り出した。



「えっと、子供にコーヒーって、確かダメだったような。……あっ、やっぱり」



 ネットで必要な情報を確認し。

 看護師は問答無用で飲み物を購入。それを輝夜に手渡した。



「はい。”オレンジジュース”です」


「……くそ」



 明らかに子供っぽい飲み物に、輝夜は悪態をつく。



「えっ?」



 輝夜の悪態に、看護師は驚愕し。

 その衝撃に震える。



「どうして、そんな言葉を。……まさか、”弟さん”の影響?」



 動揺する看護師に対し。

 輝夜は、無言で頷いた。








 ごくごくと、輝夜は椅子に座ってジュースを飲む。

 くそ、などと悪態をつきつつも、輝夜はしっかりと味わって飲んでいた。

 そんな様子を、看護師は微笑ましく見つめている。



「美味しいですか?」


「……まぁまぁ」



 そう言いつつ、輝夜は小さなペットボトルの中身を全て飲み干す。

 そして、内心では。



(うっま)



 大福の時と同じように、オレンジジュースの味に感動していた。

 乾いていた体に、甘味が染み渡る。



 そんな輝夜を見て。

 看護師は、そっと頭を撫でた。



「くっ」



 その行為に、輝夜は反射的に苛立ってしまう。撫でられたり、笑顔を向けられたり。子供扱いされることに、未だに抵抗があった。

 だが、輝夜がそんな感情を抱いているとも知らず、看護師は輝夜の頭を撫で続ける。優しく優しく、とても大切に。



「……ずっと、ずっと、こうやって元気になって欲しくて、お世話を続けてきたので」



 輝夜の頭を撫でながら、看護師は”涙ぐんでいた”。

 それに対し、輝夜は複雑な感情を抱く。



(チッ)



 頭に触れる、手の感触と温かさ。

 伝わる優しさが、無性に痛かった。





「……まどか?」



 こうすれば、喜ぶのだろうかと。輝夜は看護師の名前を呼んでみる。

 すると、



「は、はいっ!」



 名前を呼ばれたことで、看護師は大興奮。

 満面の笑みを浮かべながら、輝夜を抱き締めた。



(くそ)



 流石に、そこまでは望んでいない。




「……ゴミ、捨ててくれ」



 看護師に抱き締められながら。

 力尽きるように、輝夜はペットボトルを落とした。















「……え。お一人で、ですか?」


「ああ。お前の手は必要ない。一人で十分だ」




 リハビリ終わりに、輝夜は一人でトイレに入る。

 看護師はドアの外で待機していた。




「ふぅ」



 個室の中で、輝夜はため息を吐く。

 今まではずっと、看護師に抱えられながらトイレに行っていた。そして、”何もかも”を手伝ってもらっていた。

 何もかも、である。当然のように、輝夜は凄まじい羞恥心を抱いていた。


 しかし、今日。補助具付きではあるが、輝夜は自力で歩くことに成功した。

 それ故に、もう一人で大丈夫と、なんとかトイレの個室に入ったのだが。



(……マズい。これ、どうやって外すんだ?)



 下半身には、補助具が装着されたまま。そして輝夜は、それの外し方を知らない。


 輝夜が、個室内で呆然と立ち尽くしていると。

 追い打ちをかけるように、外から看護師が話しかける。




「――わたし、輝夜さんが起きるまでずっと、”おむつ”の交換も行ってたんですよ?」




 その瞬間、輝夜は悟った。



 病院内にいる間は、逃げ場など存在しない。一人で動けるようになるまで、本当の自由はやってこない。

 さっさとリハビリを終わらせて、この病院から出ていきたい。

 そう、切に願う。




 しかし、輝夜は忘れていた。

 この体は、ステータスを”容姿”に全振りしていたことを。






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