屈辱の時(二)
影沢舞は、毎日輝夜の病室にやって来た。
余程、輝夜と話せることが嬉しいのか、影沢は様々な事を教えてくれた。
影沢は輝夜の”父親”に仕える秘書、もしくはメイドであるらしい。秘書とメイドは全くの別物だと思うが、尋ねるのにも労力を必要とするため、輝夜は黙ることに。
聞くところによると、輝夜には同い年の”弟”がいるらしい。つまり、輝夜は双子の姉ということになる。
輝夜と違い、弟は元気の塊であり、会うのを楽しみにしているとか。
残念なことに、輝夜の”母親”はすでに他界しているとのこと。詳しいことは話してくれなかったが。そもそも、輝夜の精神的にはほとんど赤の他人なため、悲しみを抱くこともなかった。
輝夜は、生まれてからずっと目を覚ますことがなく。この病院で10年も寝たきりだった。
影沢は、輝夜と話すのを彼女が生まれる前から楽しみにしていたらしく。今はそれが叶って、とても嬉しいとのこと。
毎日、毎日、影沢は病室にやって来た。
始めはほぼ一方的に影沢が話し、輝夜はそれを黙って聞いているだけだったが。一週間も経った頃には、ある程度喉も回復してきたのか。少しずつ、適度な相槌を返すようにしていった。
その気になれば、流暢に世間話をすることも可能である。しかし、あくまでも輝夜は、ずっと眠っていた”何も知らない少女”として振る舞った。
実は中身は男なんだよ、とは。口が裂けても言えない。
ずっと大事にしていた少女の中身が、どこの馬の骨とも分からない奴だと。知ればきっと、影沢は悲しむであろう。
この病室で目覚めて、一週間が経ち。
輝夜に、新たな出会いが訪れる。
◇
「おー、ほんとに動いてるじゃん!」
その少年は、病室に入って輝夜の顔を見ると、まず始めにそう呟いた。
年齢は輝夜と同じくらいだろうか。基本的に病室で生活している輝夜にとって、知り合いは影沢と担当の看護師くらいなもの。当然、少年は初めましての相手である。
(何だ、このガキ)
内心、輝夜のストレス値が上昇する。
輝夜は”子供が嫌い”であった。
「輝夜さん。こちら、輝夜さんの弟である、
影沢が、少年を紹介する。
「よぉ! 初めましてだな!」
「……はじめまして」
少年、輝夜の弟である
それが頭に響き、若干イラつくものの。輝夜はそれを押し殺して挨拶をする。弟ならば、我慢するしかない。
「おおっ、喋った! すっげぇ!!」
しかし、輝夜と言葉を交わして、余程嬉しかったのか。朱雨はさらにテンションを上げる。
(……勘弁してくれ)
圧倒的な”陽の気”に、輝夜は謎の震えが止まらない。
10年間も眠りっぱなしで、全体的に身体も衰えている。そんな今の彼女に、子供の陽気は強すぎた。
「おまえ、うるさい」
「な、なんだと!」
相手が弟だろうと、子供だろうと関係ない。
輝夜は朱雨を拒絶する。
「お前、ずっと寝てたくせに生意気だぞ!」
「だまれ、くそがき」
「――ちょ、ちょっと2人とも、どうか仲良くしてください!」
姉弟初めての会話、多少の緊張くらいはあるだろうと予想していたが。
まさかの展開に、影沢は動揺を隠せない。
「もっとしずかにしゃべれ」
「うるさい!」
「うるさいのはおまえだ」
「オレは弟だぞ!」
「わたしはあねだ。このバカめ」
大人げなく、輝夜は朱雨に対抗する。
輝夜は、本当に子供が嫌いであった。元々、”こうなる前”からそうであったが。
なまじ舐められる分、今はさらに嫌いである。
「うぅっ」
初対面の姉に、まさかの態度を取られ。
朱雨は機嫌が悪くなる。
「なんだよ! ”出来損ない”のくせに!」
そしてついに、言ってはいけない言葉を口にした。
「朱雨さん!」
影沢も、それは流石に容認できず、朱雨を叱りつける。
「言っていい事といけない事。それが分からないほど、貴方は子供ではないはずです」
「うっ」
どんな人間相手にも、そんな言葉を使うべきではない。
そして朱雨も、それを理解できないわけではない。
「輝夜さんは、まだ外のことを何も知りません。朱雨さんは”先輩”なので、どうか広い心を持ってください」
「……わかった」
自分の言ってしまった一言で、輝夜を傷つけてしまった。そう思い、朱雨はぐっと拳を握りしめる。何だかんだ言いながら、彼も輝夜と会うのを楽しみにしていたのだから。
謝ろうと、輝夜の顔を見てみると。
「フッ」
”傷ついているどころか”。叱られる朱雨を見て、輝夜は鼻で笑っていた。
10歳の子供に何と言われようと、輝夜には傷つきようがない。見た目は可愛らしい少女だが、中身は単に”子供嫌いの青年”なのだから。
「影沢、こいつ性格悪くね?」
「……いえ、そんなことはありません。朱雨さんが強い言葉を使うので、輝夜さんも少し興奮気味なだけです」
朱雨と影沢が、そんな話をしている最中も。輝夜はニヤニヤとした表情で朱雨を見つめていた。影沢には、見えないように。
影沢が振り返ると、また元の無表情に戻る。
「輝夜さんも、朱雨さんと仲良くしてあげてください」
「はい」
頭を撫でられながら、輝夜は影沢の言うことに従う。もちろん、上辺だけである。
そんな輝夜を見ながら。もしかしたら自分の姉は、とんでもない奴なのかも知れない、と。朱雨は内心、不安に思った。
「では、わたしは先生とお話があるので。しばらく、二人で仲良くしていてください」
そう言って、影沢は病室から出ていき。何とも言えない空気で、輝夜と朱雨が残される。
先程のやり取りで、朱雨は輝夜に若干の苦手意識を持ち。輝夜は単純に、子供と二人っきりという状況に辟易していた。
元の自分なら、子供程度いくらでも対処できたが。今は相手と同い年であり、しかも腕力的にも敵わない。
「……はぁ」
つまるところ、最悪の気分であった。
「おい! 輝夜」
輝夜が、内心げんなりしていると。朱雨が近くに接近してくる。
「オレのほうが先輩だからな! さっきのは許してやるよ」
(このクソガキめ)
朱雨の言葉に、輝夜は内心”プッツン”する。
相手は憎っくき子供。しかも、精神的には自分のほうが年上なのに、今はあくまでも”同格”として接しなければならない。輝夜には、それがたまらなく苦痛であった。
「お前って、まだメシも1人で食えないんだろ?」
「……ああ」
全身の筋肉が衰えているため、輝夜は食事の際に看護師の付き添いが必要であった。
輝夜の状況的に、それは必要なことなのだが。それもまた、輝夜のストレス値を上昇させていた。
「これやる」
そう言って、朱雨がポケットから取り出したのは。コンビニなどで買えそうな和菓子、”大福”であった。
なぜ、ポケットに大福が入っているのか。輝夜は疑問に思ったが、聞くのも面倒なため黙ることに。
単純明快、朱雨が”和菓子好き”なだけなのだが。
朱雨が大福を差し出したのは、輝夜と仲直りをするため。そしてそれは、輝夜にも理解が出来る。
初対面の子供から、大福など貰いたくはないが。これを拒否するのは、流石に酷すぎるのではないかと。輝夜は考え。
「……わかった」
朱雨から、大福を受け取った。
手にとって見てみれば、どこでも買えそうな普通の和菓子である。
ここ最近、輝夜は病室から出られず、看護師付きでの病院食しか口にしていない。
別段、輝夜は大福が特別好きというわけではないが。今のこの状況においては、とても魅力的な”甘味”に思えた。
「……しかたないから、くってやるよ」
そうつぶやきながら、輝夜は大福の包装を破ろうとする。
だが、指先の力が足りないのか、ビニールの強度に負けてしまう。
「しょーがないな」
そんな輝夜を見かねて、代わりに朱雨が大福の袋を開けてあげた。
「ほら、よく噛んで食べろよ」
「はいはい」
よく噛むように、朱雨から言われつつも。
子供じゃあるまいしと、輝夜はパクリと大福を口にする。
「……」
そして、その瞬間。生まれて初めて甘味を口にしたことで、輝夜の脳が覚醒した。
(う、美味い!)
少女の体になって、味覚が変わったのか。それとも、初めてだから美味しいのか。
とにかく、輝夜は大興奮で大福を食べていく。
バクバクと、小さな口で、ものすごい勢いで。
「……おい、大丈夫か?」
その勢いに、朱雨も思わず引いてしまう。
そして、ものすごい勢いで大福を食べ続け。
輝夜の”未熟な喉”が、限界を迎えた。
「――はっぐ」
焦った様子で、輝夜は首を押さえる。
ろくに噛まずに、ある程度の大きさを保った大福が、喉の途中で完全に停止していた。
完全なる、喉づまり事故である。
(しまった)
まさに、不覚。あまりの大福の美味しさに、輝夜は自分の体の性能を見誤った。
(やばい、死ぬ)
喉に大福がつまり、輝夜が死にかけていると。
「おいっ、死ぬな!」
朱雨が彼女の背中を叩き、なんとか大福を吐き出させようと奮闘する。
すると、その頑張りが実を結び。
輝夜はなんとか、詰まっていた大福を吐き出した。
「……はぁ、はぁ」
まさか、大福で死にかけるとは。
自分の浅はかさを恨みつつ、輝夜は助けてくれた弟の顔を見る。
死にかけた輝夜ほどではないが。とっさの救命措置に、かなり疲労した様子だった。
流石の輝夜も、それには罪悪感を抱く。
「……わるかった」
「ううん。輝夜も弱ってるのに、詰まりやすいのをあげたオレがバカだった」
輝夜が謝るものの、朱雨は自分の責任であると考える。
(――”オレが、しっかりしないと”)
この時、朱雨は強い決意をしていた。
これが輝夜と、弟の朱雨とのファーストコンタクト。
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