屈辱の時(二)






 影沢舞は、毎日輝夜の病室にやって来た。

 余程、輝夜と話せることが嬉しいのか、影沢は様々な事を教えてくれた。


 影沢は輝夜の”父親”に仕える秘書、もしくはメイドであるらしい。秘書とメイドは全くの別物だと思うが、尋ねるのにも労力を必要とするため、輝夜は黙ることに。


 聞くところによると、輝夜には同い年の”弟”がいるらしい。つまり、輝夜は双子の姉ということになる。

 輝夜と違い、弟は元気の塊であり、会うのを楽しみにしているとか。


 残念なことに、輝夜の”母親”はすでに他界しているとのこと。詳しいことは話してくれなかったが。そもそも、輝夜の精神的にはほとんど赤の他人なため、悲しみを抱くこともなかった。


 輝夜は、生まれてからずっと目を覚ますことがなく。この病院で10年も寝たきりだった。

 影沢は、輝夜と話すのを彼女が生まれる前から楽しみにしていたらしく。今はそれが叶って、とても嬉しいとのこと。




 毎日、毎日、影沢は病室にやって来た。

 始めはほぼ一方的に影沢が話し、輝夜はそれを黙って聞いているだけだったが。一週間も経った頃には、ある程度喉も回復してきたのか。少しずつ、適度な相槌を返すようにしていった。


 その気になれば、流暢に世間話をすることも可能である。しかし、あくまでも輝夜は、ずっと眠っていた”何も知らない少女”として振る舞った。

 実は中身は男なんだよ、とは。口が裂けても言えない。


 ずっと大事にしていた少女の中身が、どこの馬の骨とも分からない奴だと。知ればきっと、影沢は悲しむであろう。




 この病室で目覚めて、一週間が経ち。

 輝夜に、新たな出会いが訪れる。















「おー、ほんとに動いてるじゃん!」



 その少年は、病室に入って輝夜の顔を見ると、まず始めにそう呟いた。

 年齢は輝夜と同じくらいだろうか。基本的に病室で生活している輝夜にとって、知り合いは影沢と担当の看護師くらいなもの。当然、少年は初めましての相手である。



(何だ、このガキ)



 内心、輝夜のストレス値が上昇する。

 輝夜は”子供が嫌い”であった。




「輝夜さん。こちら、輝夜さんの弟である、朱雨しゅうさんです。朱雨さん、ご挨拶を」



 影沢が、少年を紹介する。




「よぉ! 初めましてだな!」


「……はじめまして」




 少年、輝夜の弟である朱雨しゅうは元気いっぱいであり、やたらと声が大きかった。

 それが頭に響き、若干イラつくものの。輝夜はそれを押し殺して挨拶をする。弟ならば、我慢するしかない。




「おおっ、喋った! すっげぇ!!」



 しかし、輝夜と言葉を交わして、余程嬉しかったのか。朱雨はさらにテンションを上げる。



(……勘弁してくれ)



 圧倒的な”陽の気”に、輝夜は謎の震えが止まらない。

 10年間も眠りっぱなしで、全体的に身体も衰えている。そんな今の彼女に、子供の陽気は強すぎた。




「おまえ、うるさい」


「な、なんだと!」




 相手が弟だろうと、子供だろうと関係ない。

 輝夜は朱雨を拒絶する。




「お前、ずっと寝てたくせに生意気だぞ!」


「だまれ、くそがき」


「――ちょ、ちょっと2人とも、どうか仲良くしてください!」




 姉弟初めての会話、多少の緊張くらいはあるだろうと予想していたが。

 まさかの展開に、影沢は動揺を隠せない。




「もっとしずかにしゃべれ」


「うるさい!」


「うるさいのはおまえだ」


「オレは弟だぞ!」


「わたしはあねだ。このバカめ」




 大人げなく、輝夜は朱雨に対抗する。

 輝夜は、本当に子供が嫌いであった。元々、”こうなる前”からそうであったが。

 なまじ舐められる分、今はさらに嫌いである。



「うぅっ」



 初対面の姉に、まさかの態度を取られ。

 朱雨は機嫌が悪くなる。





「なんだよ! ”出来損ない”のくせに!」



 そしてついに、言ってはいけない言葉を口にした。





「朱雨さん!」



 影沢も、それは流石に容認できず、朱雨を叱りつける。 



「言っていい事といけない事。それが分からないほど、貴方は子供ではないはずです」


「うっ」




 どんな人間相手にも、そんな言葉を使うべきではない。

 そして朱雨も、それを理解できないわけではない。




「輝夜さんは、まだ外のことを何も知りません。朱雨さんは”先輩”なので、どうか広い心を持ってください」


「……わかった」




 自分の言ってしまった一言で、輝夜を傷つけてしまった。そう思い、朱雨はぐっと拳を握りしめる。何だかんだ言いながら、彼も輝夜と会うのを楽しみにしていたのだから。


 謝ろうと、輝夜の顔を見てみると。




「フッ」




 ”傷ついているどころか”。叱られる朱雨を見て、輝夜は鼻で笑っていた。

 10歳の子供に何と言われようと、輝夜には傷つきようがない。見た目は可愛らしい少女だが、中身は単に”子供嫌いの青年”なのだから。




「影沢、こいつ性格悪くね?」


「……いえ、そんなことはありません。朱雨さんが強い言葉を使うので、輝夜さんも少し興奮気味なだけです」




 朱雨と影沢が、そんな話をしている最中も。輝夜はニヤニヤとした表情で朱雨を見つめていた。影沢には、見えないように。

 影沢が振り返ると、また元の無表情に戻る。




「輝夜さんも、朱雨さんと仲良くしてあげてください」


「はい」




 頭を撫でられながら、輝夜は影沢の言うことに従う。もちろん、上辺だけである。


 そんな輝夜を見ながら。もしかしたら自分の姉は、とんでもない奴なのかも知れない、と。朱雨は内心、不安に思った。






「では、わたしは先生とお話があるので。しばらく、二人で仲良くしていてください」



 そう言って、影沢は病室から出ていき。何とも言えない空気で、輝夜と朱雨が残される。


 先程のやり取りで、朱雨は輝夜に若干の苦手意識を持ち。輝夜は単純に、子供と二人っきりという状況に辟易していた。

 元の自分なら、子供程度いくらでも対処できたが。今は相手と同い年であり、しかも腕力的にも敵わない。



「……はぁ」



 つまるところ、最悪の気分であった。





「おい! 輝夜」



 輝夜が、内心げんなりしていると。朱雨が近くに接近してくる。




「オレのほうが先輩だからな! さっきのは許してやるよ」


(このクソガキめ)




 朱雨の言葉に、輝夜は内心”プッツン”する。

 相手は憎っくき子供。しかも、精神的には自分のほうが年上なのに、今はあくまでも”同格”として接しなければならない。輝夜には、それがたまらなく苦痛であった。




「お前って、まだメシも1人で食えないんだろ?」


「……ああ」




 全身の筋肉が衰えているため、輝夜は食事の際に看護師の付き添いが必要であった。

 輝夜の状況的に、それは必要なことなのだが。それもまた、輝夜のストレス値を上昇させていた。




「これやる」



 そう言って、朱雨がポケットから取り出したのは。コンビニなどで買えそうな和菓子、”大福”であった。

 なぜ、ポケットに大福が入っているのか。輝夜は疑問に思ったが、聞くのも面倒なため黙ることに。

 単純明快、朱雨が”和菓子好き”なだけなのだが。




 朱雨が大福を差し出したのは、輝夜と仲直りをするため。そしてそれは、輝夜にも理解が出来る。

 初対面の子供から、大福など貰いたくはないが。これを拒否するのは、流石に酷すぎるのではないかと。輝夜は考え。



「……わかった」



 朱雨から、大福を受け取った。

 手にとって見てみれば、どこでも買えそうな普通の和菓子である。


 ここ最近、輝夜は病室から出られず、看護師付きでの病院食しか口にしていない。

 別段、輝夜は大福が特別好きというわけではないが。今のこの状況においては、とても魅力的な”甘味”に思えた。



「……しかたないから、くってやるよ」



 そうつぶやきながら、輝夜は大福の包装を破ろうとする。

 だが、指先の力が足りないのか、ビニールの強度に負けてしまう。




「しょーがないな」



 そんな輝夜を見かねて、代わりに朱雨が大福の袋を開けてあげた。




「ほら、よく噛んで食べろよ」


「はいはい」




 よく噛むように、朱雨から言われつつも。

 子供じゃあるまいしと、輝夜はパクリと大福を口にする。




「……」



 そして、その瞬間。生まれて初めて甘味を口にしたことで、輝夜の脳が覚醒した。




(う、美味い!)




 少女の体になって、味覚が変わったのか。それとも、初めてだから美味しいのか。

 とにかく、輝夜は大興奮で大福を食べていく。

 バクバクと、小さな口で、ものすごい勢いで。




「……おい、大丈夫か?」



 その勢いに、朱雨も思わず引いてしまう。



 そして、ものすごい勢いで大福を食べ続け。

 輝夜の”未熟な喉”が、限界を迎えた。




「――はっぐ」




 焦った様子で、輝夜は首を押さえる。

 ろくに噛まずに、ある程度の大きさを保った大福が、喉の途中で完全に停止していた。

 完全なる、喉づまり事故である。




(しまった)



 まさに、不覚。あまりの大福の美味しさに、輝夜は自分の体の性能を見誤った。




(やばい、死ぬ)



 喉に大福がつまり、輝夜が死にかけていると。




「おいっ、死ぬな!」



 朱雨が彼女の背中を叩き、なんとか大福を吐き出させようと奮闘する。


 すると、その頑張りが実を結び。

 輝夜はなんとか、詰まっていた大福を吐き出した。




「……はぁ、はぁ」



 まさか、大福で死にかけるとは。

 自分の浅はかさを恨みつつ、輝夜は助けてくれた弟の顔を見る。


 死にかけた輝夜ほどではないが。とっさの救命措置に、かなり疲労した様子だった。

 流石の輝夜も、それには罪悪感を抱く。




「……わるかった」


「ううん。輝夜も弱ってるのに、詰まりやすいのをあげたオレがバカだった」




 輝夜が謝るものの、朱雨は自分の責任であると考える。




(――”オレが、しっかりしないと”)




 この時、朱雨は強い決意をしていた。


 これが輝夜と、弟の朱雨とのファーストコンタクト。





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