⑬ 要領良い上司
「そろそろお止めになったら?」
落ち着いた女性の声に嗄れた男の声がいいや、と遮る。その手には酒の入ったグラスが握られていた。
男の名は吉沢。みすぼらしい格好からは想像出来ないが、それなりに名の通った組織の幹部だ。ヤのつく所で働く彼は休みが続くと、この店へやってきて、夜通し飲み続ける。
「今度は何があったの?」
吉沢が飲み零した酒を拭きながらそう訊ねたのは、この店のママであるエリカだった。
大人の女性といった風なエリカは唇に微笑を浮かべて、自らも強めの酒を嗜んでいる。
「聞いとくれよ、ママ。・・・お頭がよォ、再婚するってんだ」
「あら、おめでたい話じゃない?」
「そりゃあそうなんだがな・・・」
何やら歯切れの悪い吉沢はまた酒を呷る。
飲み口の先からポタリと零れた酒を気にすること無く、ダンっとグラスをカウンターテーブルに叩き置くと、苛立ったように話し始めた。
「その女ってのが、オレの親父の元浮気相手だったんでい」
「あら、すごい偶然」
「その女のせいでお袋は家を出てっちまった。勿論浮気した親父も悪ィが、女はその後再婚するつって金だけ奪って逃げやがったんだ」
「・・・ねえ、その女性・・・、お頭さんと再婚するのよね?」
話の内容を思い出したエリカは、顔を青くして吉沢に訊ねる。吉沢はげんなりとした様子で顔を上げずに言葉を落とす。
「女はオレの事なんかすっかり忘れてやがったが、オレは気が気じゃねぇ。お頭が結婚詐欺になんて遭っちまったらどうしようかと・・・」
吉沢は頭を抱えて溜め息を吐いた。
エリカは項垂れる吉沢を見ながら思う。
いっその事、そのお頭とやらに言ってしまえばいいのでは、と。
しかしエリカは三度ほど店に来た事のある頑固な彼を思い出して頭を振った。
「はい、これで最後になさいね」
「うぅ、ママ・・・オレ、どうすれば・・・」
「そうねえ・・・、あ。いらっしゃい。・・・あら」
考える素振りをするエリカだったが、チリンと入口の鈴が鳴って客が入ってきたと分かると、直ぐにそれを止めて客を出迎えたが、その客を見てエリカは微笑みを深めた。
「吉沢さん」
「ん、何でい・・・マ、・・・マ」
エリカに肩を叩かれて振り返った先には先程の話に出ていた吉沢の上司、組織のお頭が数人の男を従えてそこに立っていたのだ。
吉沢はそれはもう驚いて、酔いなんぞどこかへ吹っ飛んでしまった。そんな吉沢を見てお頭はニヤリと笑った。
「再婚は無しだ、吉沢」
「え、・・・え、何でですかい。お頭」
「あの女、巷じゃあ有名な詐欺師でなァ。奪った額は小さいにしても、うちのシマやうちの組員が被害にあったってんなら黙ってもいられねェ。・・・んでとっ捕まえンのに一芝居打ったって訳さなァ」
つらつらと言葉を並べ立てたお頭に、吉沢は何とかその端々を拾い上げて理解した。つまりは、最初から女の正体を分かっていたという事である。
つまりそれは、吉沢が気に病まなくて良かったという事でもある。
「何だ、そうならそうと・・・ってうちの組員の誰が被害にあったんですかい」
「どれくらい奪われたんだ」
「ひゃい! ・・・へ?」
「だから、お前の親父さんがあの女にどんだけ奪われたんだって聞いてんだよ」
「え、っと・・・随分昔なんで覚えてねえですが、ざっと700万くらいは」
「・・・そうか。おいエリカ。コイツの飲んだ分はここに置いとく。釣りは要らねェ」
そう言って一万円札を置くや否や店を出ていったお頭。
全身の力が抜けてカウンターテーブルに突っ伏した吉沢は、暫くそうしていたが、バッと顔を上げる。
「何でオレの親父が詐欺に遭った事知ってんでい」
呆然とそう呟いた吉沢にエリカは微笑む。
三度ほど店に来た事のある彼は頑固だが、とても仲間想いで優しい人なのだと彼女は知っているからだ。
END
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