恩讐の彼方に
航太の方に白く巨大な腕を伸ばしている化け物。
その化物は黒い円錐状の塊で、脇から四本の白い腕が生えていた。また、中央には人の顔をした不気味な仮面がくっついていた。
「お、怨呪? どうして」
これはあの蠅と同じ怨呪だと、航太は気づいた。
「きゃああああああ」
怨呪は女性の甲高い悲鳴のような声を発する。
航太はビビり過ぎて、尻餅をつきそうになる。
「そうか、じゃあ、学校で見ていたのはお前だったんだな」
やっと合点がいった。
廊下で視線を送っていたのは目の前の化物だった。
航太は確信することが出来た。
それから航太は中央の顔の方に注目した。
「待てよ、あの怨呪の顔、どこかで……」
そう、航太にはあの顔に見覚えがあった。
ついに思い出すと、航太の顔から血の気が引いた。
「まさか!」
その直後、怨呪がものすごい勢いで迫ってきた。
「きゃああああああ」
「う、うわああああ」
たまらず航太は逃げ出した。
一方、一人になった後も天狐は航太のことについてずっと思案していた。
「なるほど、航太の元気がなかった理由はそれかあ」
「こんこん」
一人で納得している主に相槌を打つように、Qちゃんが鳴いてみせる。
「確かに航太の自分を責める気持ちも分かる。
ということは、航太の咒力の源は姫路高穂への罪悪感か。
どうして気づかなかったんだろ?
普通の人が怨呪が見えるほどあんなに咒力を持っているはずがない。
つまり、航太の咒力の核をなす彼女への罪悪感が尋常ではないということ」
天狐はついに違和感の正体に気づいた。
丁度そのとき、遠くから男の叫び声が聞こえてきた。
「うわああああああ」
「この声は航太! まさか、怨呪が」
素早く状況を理解した天狐は声のする方に急いで向かった。
駆けつけると、まさに航太は怨呪に追い詰められているところだった。
「怨呪! やっぱりか。航太から離れろ」
抜刀した天狐が刀を振り下ろすが、怨呪はそれを回避する。
その隙に天狐は航太のもとへ急いだ。
「大丈夫?」
「うん」
どうやら今のところ、航太に怪我はないようだ。
「まさか私が目を離した隙を狙うなんて……」
悔しがる天狐だったが、航太は誤りを指摘する。
「違うよ。
「それはどういうこと? それより彼女って……」
理解が追いついていない天狐に航太は全て説明する。
「分かるだろ?
あの怨呪、彼女こそが姫路高穂なんだ」
「嘘!?」
天狐はびっくりして、固まってしまう。
「本当だよ。現にあの顔は彼女そっくりなんだ」
そう、既視感の正体はそれだった。
怨呪の顔は姫路高穂の顔と完全に一致していた。
「それと天狐、怨呪にはそれぞれ成り立ちがあるって話だったよね?」
「そうだけど……」
「じゃあ、彼女は僕への恨みによって存在しているんだ。
則ち、僕が産み出したものなんだ」
「……」
天狐はもはやパニックでわけが分からなくなっていた。
対称的に航太は妙に落ち着いていた。
「彼女は怨呪になって僕を裁きに来たんだ、罪人の僕を。どうやら僕はこれまでみたいだ」
まるでこれが今生の別れであるかのように話す航太を天狐は叱りつけた。
「バカ言わないで!
だからって死んでいいわけじゃない。生きていても反省は出来るでしょ?」
そう言うと、天狐は怨呪のいる方へと駆けていった。
さらに胸ポケットから相棒を呼び起こした。
「いくよ、Qちゃん」
「こんこん」
出番を迎えたQちゃんはポケットから飛び出すと、まるで真の姿を解放するように、巨大なキツネの姿に変化した。
「
そして、デカくて鋭い、獰猛な牙で、怨呪に噛みついた。
「きゃああああああ」
鼓膜が破けてしまうような絶叫が木霊する。
怨呪の一部を噛みちぎることに成功すると、Qちゃんはもとのお手軽なサイズに戻った。
「よし、きいてる」
喜んでいるのも束の間。
怨呪が巨大な鉈のような武器を持ち出して、薙ぎ払おうとする。
天狐はそれをなんとか回避することに成功した。
「おっと危ない……って、まずい。航太!」
再び怨呪が航太に接近する。
助けようと刀を振りかぶった天狐だったが、怨呪に刀を受け止められて、ふっ飛ばされる。
がはっ。
木に背中から激突した天狐は口から吐血する。
天狐は地面に倒れたまま、相手を睨みつける。
「嘘! 弱っているのに、どこにそんな力が……まさか、航太の咒力を吸っているの?」
そこで天狐は気づいてしまった。
怨呪が航太の身体から青いオーラ状の咒力を吸い上げていることに。
「僕はもう駄目だ。どうしようもない人間なんだ」
航太は地べたに座って、自分を責め苛んでいる。
そのたびに咒力がすごい勢いで増していく。
「そうよね、確かに航太の咒力は相当な量だから、それを使わない道理はない」
だけど、この状況は私にとって非常にまずい。
天狐が策を練っていると、怨呪が瞬間移動の如く突然、目の前に現れた。
「なっ、はや──」
言葉の続きを言う前に天狐はもう一度、身体を遠くに投げ飛ばされる。
地面をゴロゴロと転がり、天狐は地面に突っ伏した。
「いててて。しまった、刀があんな遠くに」
なんと途中で刀を手放してしまい、刀は遠くの地面の上に存在していた。
「きゃああああああ」
再び急接近してくる怨呪。
これじゃ刀を取りに行っている間に私がやられる。
くっ、ここまでか。
怨呪がまるで処刑人のようにナタを天高く掲げる。
万事休すかと思われたが、次の瞬間、予想外の展開が発生した。
「こ、航太!」
なんと怨呪のナタは航太の胸に突き刺さっていた。
胸からナタが生えているような格好になり、傷からは止めどなく血が流れていた。
苦しいはずなのに航太は毅然として言い放った。
「天狐! 僕がやられているうちに早く刀を」
「航太、どうして……」
「これは僕の問題だ。だから僕は死んでもいいけど、君は死ぬべきじゃない」
「そんな……」
動けないでいる天狐に航太はさらに催促する。
「早く!」
そこで覚悟を決めた天狐は急いで刀を拾いに向かった。
刀を握ると、航太にナタを抑え込まれて、動けずにいた怨呪を斜めから切り捨てた。
中央の仮面がパリンッと二つに割れる。
「きゃああああああ」
その後、最期の叫びと共にその身体は分解して、消失した。
宿敵がいなくなると、天狐は航太のもとに急いで駆け寄る。
航太はもはや虫の息で、真ん中には大きな穴がぽっかりと空いていた。そこから血が地面へと流れて出ていく。
「くっ、これじゃ助からない」
「いいんだ、もう。僕の死に場所はここなんだ」
弱々しい声で返事をする。
そんな航太の手を天狐はぎゅっと握った。
それから間もなくして、航太の意識は薄れていった。
視界がだんだんぼやけて……姫路さん?
幻想の中で航太は姫路高穂の膝の上にいて、手を握っていた。
ごめんね、今そっちにいくから。今度はちゃんと相手するから。
そして、腕の力は完全に失われた。
後日、航太の葬式が催された。
遺族たちがたくさん参列したが、その中に天狐の姿は見当たらなかった。
ただ、遺影の中の航太は何の蟠りもない笑顔を浮かべていた。
同時刻、事件があった神社に天狐はいた。
天狐はしゃがんで後ろ姿で、何かをしていた。
「出来た!」
天狐は手についた砂を払った。
実は天狐はお墓をつくっていた。
それは砂のお墓で、てっぺんには二つの棒が並んで刺さっていた。
そのお墓に向かって天狐は合掌すると、あの日に航太に買ってもらったキツネのお面を優しく撫でた。
すると胸ポケットから本物のキツネが頭を突き出した。
「こんこん」
「フフッ。行こうか、Qちゃん」
そうして二人は鳥居の下をくぐって、新しい一歩を踏み出した。
キツネの面を持つ祓い師とキツネの祓い魔はこれからも怨呪を狩る旅を続けていく。
狐の祓い師~狐の祓い師が呪いを斬る~ 紀悠軌 @kinoyuki
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