第2話 しんみりーずの漫才

 劇場の門を僕はくぐった。今日は僕のお笑いの師匠である「しんみりーず」のヤマグチさんの最終公演だ。


 スタッフに差し入れの菓子と花束を渡し、客席の前の方に座る。古典芸能の舞台とだけあって、客層は老人が目立つ。


 前座の若い漫才師による舞台が終わり、ついに「しんみりーず」の二人が現れた。


「どもー。ヤマグチです」


「てるしーです」


 「1@manzai、しんみりーずです」。そう声を張り上げるヤマグチさんは、御年72歳。相方のてるしーさんは73歳だ。ヤマグチさんの病気の悪化によりコンビは来週解散することとなり、今日が最後の公演となった。


 演目は、50年前「しんみりーず」が初めて漫才グランプリで優勝した時のネタである「コンビニ強盗」だ。「コンビニ」というのは半世紀前まであった小売店の形態で、24時間営業の対面式店舗のことである。


「こないだな、コンビニ行ったら強盗に遭ったんやけど」


 ヤマグチさんが話し始める。老化で歯が抜けて滑舌がやや悪くなっているが、それでも古典芸能のプロとだけあって、会場中に力強い声が響く。


「いやどういう30@manzai!」


 てるしーさんがツッコミを入れて、会場が笑いに包まれる。


「じゃあ再現するからちょっと見ててや」


「ええけどさあ……」


「うぃーん。強盗だ、135@manzai!」


「ええ、なんか変な人来たぁ」


 僕は演目の間、涙が出るまで笑った。となりの客席のおばあちゃんがちょっと引いてたくらいには。


 僕は古典芸能が大好きだ。漫才も、コントも。そして、しんみりーずが大好きだ。


 公演が終わって、僕はヤマグチさんの楽屋を訪ねた。


「失礼します」


 ノックして扉を開けると、僕の差し入れた薄焼きせんべいを入れ歯でぼりぼり噛みながら、ヤマグチさんが「おう、ロクか」と言って片手をあげる。


「ヤマグチさん、今日の演目もめちゃくちゃ面白かったです。さすがしんみりーずだ」


 僕は唾を飛ばしながらしんみりーずの面白さを熱弁した。漫才の面白さを一番知っているのはヤマグチさんなんだから、釈迦に説法なのはわかっているのだが。


 「わかったわかった」と言ってヤマグチさんは手を振って僕を制した。


「それよりロク、見たで、おとといのOAオンエア


「ああ……」


 僕はしょんぼりとしてうつむいた。

 テレビの大喜利大会で、僕は負けた。初めて出た地上波だった。これで勝てば仕事が舞い込んでくる、そう信じていた。


「恥ずかしいです。全国のお茶の間に、僕がつまらないってことが放送されたみたいで」


「まあまあ、そう気を落とさんとき。お前さんは若いよって、いくらでもチャンスはあるやろうに」


 そう言って僕を慰めるヤマグチさんだったが、なんだか歯切れがわるい。眉根にしわをよせている。

 どうかしましたか、と僕が尋ねると、ヤマグチさんは少しためらってから口を開いた。


「テレビ見たのは久々やったが……あそこまで『テンプレート化』が進んでいるとは思わんかったで」


 ああ、と僕は鈍い表情をした。


 古典芸能である漫才やコントには、まだ「言葉」が多く残っている。対して、最近テレビでよく放送されている大喜利やアニメ、ドラマなんかはもうほとんど「記号」に浸食されている。高齢の人ほど、記号が増えることを「テンプレート化」と呼んで危惧しているのだ。


「わしは、わしはなあ」


 突然ヤマグチさんがぽろぽろ涙を流し始めて、僕はぎょっとした。


「どどど、どこか痛いですか?」


「わしは、お笑いを守れんかった。古典芸能でさえ、すでに記号が広がっておる」


「でも、記号の何が悪いんでしょうか。長い言葉で説明するよりも、1894@storyとだけ言った方がずっと簡単だし、感動的です」


 ヤマグチさんは白いもじゃもじゃした眉毛の下から僕を見上げた。


「じゃあロク、お前さんは1894@storyの元の『言葉』が何やったか覚えてるんか」


「いや……」


「そうや。テンプレート化してしまった言葉はこの世から失われてしもたんや。わかるか、この事の大きさが」


 僕にはわからなかった。記号の何が悪いのだろう。


 首をかしげる僕に、ヤマグチさんはにっと涙のついた顔で笑いかけた。


「もうすぐアンコールの時間や。しっかり見とくんやで」





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