#20 新生活の始まり(夏季限定)
「さて、ビジネスの話をしましょうか」
事務所のテーブルを
母さんの余裕に対して、レンはポーカーフェイスを気取りながらも、どこか目線が落ち着かない。内心、圧倒されているようだ。
俺はというと、そんな二人の為にお茶を沸かしていた。
茶葉は事務所に無かったので、ウチからお土産に持ってきたものだ。
カップは事務所にあったが、アレだったので、母さんが魔法を使ってまでキレイに洗った。
俺がテーブルの上に3人分のお茶を差し出し、母さんの隣りに座ってから、話は始まった。
「レンさん。私はここに来る前まで貴女に娘の護衛を勤めて戴くだけのつもりでした」
母さんの声も態度も、冷静・冷徹な仕事モードに切り替わった。
落ち着いてゆっくりと静かながらも相手に一字一句が響く声。さっきまでの快活で明るいものとは違う。
この声を、この数日だけでも何回か聞いてきた。
対してレンも仕事モードに入ったようだ。さっきまでの様子が嘘のように、母さんに臆することなく、相手の言葉を聞き逃さず意図を理解しようと目をあわせ聞き入っている。
――俺がどちらかの対面にいたなら逃げ出したい空気が部屋の中を漂っている。
「『ここに来る前は』とはどういう意味ですか?」
「依頼を変更します」
母さんはレンに有無を言わせないように目を鋭くした。
そして大きくはっきりとレンに言い放った!
「この娘を夏休みの間〈アザレア=エクスプローラーズ〉に雇って戴くことを依頼します!」
――――。
母さんの宣言のような言葉に対して、ある一言が俺の口から自然と出た。
「そんな話、私、聞いてない」
「聞いてないでしょうね。私、今、初めて言いましたもの」
その身勝手さが気に入らず、俺は顔をしかめた。
――しかめたところでどういう意味も持たない、ということをこの数日で学んでもいるが。
「パティ。夏休み、若い娘が勉強もせず家にぶらぶら閉じ籠もっているのは非常に不健康だと思いませんか?」
「ま、まあ、そうだけど。それはこの前のような事が起きたら大変だと思って……」
俺はたじろぐ。
魔物に襲われて逃げた末に意識を失う。
この間は前世の記憶が蘇るだけで済んでよかったが、次はどうなるか。その時もレンが来てくれるとは限らない。
そう思うと外に出てなんかいられない。
心底そう思っている。
――母さんは俺の反応を残念がってか、顔に、わずかに陰りが見えた。胸がチクッと痛くなる。
母さんはふぅ、と一息ついて、続けた。
「だから、ここで働きなさい、と言っているのです。
ここならばレンさんに
街の空気に触れていることで失った記憶も戻ってくるでしょう。
――第一、家にばかりいて、夏休み明けまでに記憶や常識が戻らなかったらどうするのです」
……前世で母親に言われていたような事を今世でも言われている。
生まれ変わって大きく変わるものがあれば、変わらないものもあるんだなあ、と今、痛感している。
「まあ働くのが嫌ってわけじゃないんだけど」
ぼそっと
「それに誰かが、レンちゃんの側にいて見張ってないと、彼女またここをゴミ屋敷にしちゃうじゃない」
「……それが本音?」
「それも本音。『一石二鳥』というやつね」
そのことわざ、この世界にもあったんだ。
それはさておき、レンに対する母さんの心配も分かる。
分かる、けど……。俺にも言いたいことはある。なので言わせてもらう。
「私も大変だけど、まだ何の予兆もない分、危険な目にあう可能性は低いわ。
母さんこそ魔物が棲む森に一人で住むなんて大丈夫なの?」
俺が心配してそう訊くと、母さんは微笑んだ。
「ええ、問題ないわ。元々あの家に引っ越すのも、私だけのはずだったでしょう。あなたは私を心配して、ついてきた。
……パティ、あなたは昔も今も変わらず優しい娘ね」
そう言ってハグしてきた。……嫌な意味で昇天しそうになるぐらい強い、あのハグを。
ただし今回は大丈夫。ちゃんと対策した。両腕を構えてハグが完全には極まらないようにしたのだ。
――頭を撫でられることに対しては対策できなかったが。
頭を撫でられるのは、ちょっと恥ずかしいが嬉しい。
「――これでこちらは問題ないわ。
レンさん、どう? この子を雇ってもらえないかしら?」
「トラブルシューターには危険な仕事もありますよ」
「多少なら平気よ。
本来この娘はコボルドやゴブリン数人くらい問題なく相手にできるわ。
『前世の記憶』とやらが蘇ったせいで今までに得た記憶を失っていても、また鍛え直してあげればいいだけ。
――それに、この娘あの時は忘れ物などで実力を発揮できなかったんだし」
そういえばレンと初めて出会った、あの時のパティは、魔除けだけじゃなくて護身用の
――今、俺が持っているショックガンは部屋の引き出しにあったものだ。
「……分かりました。一週間、働いてもらって、ここで仕事を続けていけるかどうかを評価しましょう。
もし問題があれば、この話はなかったということで」
契約が決まった。細かいことは母さんとレンとの間で決めてもらうとして、俺は席を立った。
窓の外に広がる街を見る。
森の一軒家の中で本にかじりつくのも悪くないが、せっかく異世界に転生したんだ。
これからの生活にちょっとだけドキドキと期待の両方を感じた。
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