#9 母の抱擁

 風呂からあがると母さんから


「ご飯ができましたよー!」


 とのお呼び出しがかかったので、タオルで体を拭き水気を取り次第、ぐにキッチンへと向かった。




 テーブルに並んでいたのはビーフシチュー。パディの記憶通りだった。

 俺の中のパティの記憶が「母さんのビーフシチューは世界一よ!」と言っている。匂いも見た目も食欲をそそり、うん、俺も好きになれそうだった。



 実際に食べてみて、パティの言うことが嘘ではないことを確認できた。

 レンさんなんか


「マーシュさんは学者として優秀なだけでなく、料理もお得意なんですね。これなら料理人としても成功しますよ!」


 と言っている。


 だが、その意見に対して俺の中で(前の)パティが(言え)と言っていることがあるので言っておく。


「レンさん。母さんの料理を褒めていただいくのはありがたいですけど、これ以外は……評価しがたい出来なんですよ……悪い意味で」


 ……まあ食べられないわけではないが、人様に出すような出来じゃあなかったと思う。俺の記憶が確かなら。


 俺の言葉を聞いて、母さんは否定もせず批判を渋々受け入れるように苦笑いしていた。


 ――レンさんはこの空気を無表情で乗り切ろうとしていた。



「ところで」


 ちょっぴり気まずくなった空気を切るように、レンさんが切り出した。


「マーシュさん……いえ、マロウ博士は『転生』というものを御存知ですか?」


 ブッ、と口にしたものを吹き出してしまった。

 母さんが「お行儀悪い」とナプキンを差し出してくれたので、それで口元と周囲を拭く。

 「ごめんなさい」と一応謝ったが……いきなり『転生』のことを持ち出すレンさんも悪い! 一体どういうつもりだろうか。


「――そうねえ。はるか東に住む部族に、そういう伝承があると聞いているわね。『人は死んでも、やがて生まれ変わる』とか。他にもそういった話はあるけれど……それがどうかしたのかしら?」

「では〈エトランゼ〉のこともご存知ですね?」

「ええ、ご存知よ。それがどうか――まさか!」


 母さんは驚いた顔で俺の方に目を向けた。


「……そのまさか、かもしれません」

「まあ!まぁ!まぁ! やっぱり!」


 母さんはレンさんの言葉に否定的になるどころか、大喜びで俺を抱きしめた!

 ぎゅう……と。だから苦しい、苦しいって!

 ……ああ、パティの記憶が少し蘇ってきた。母さんは父さんや俺のことで感情が高ぶると抱きついてくる癖があった。


 今度は何を思ったのか。抱き締められているせいで母さんの顔が見えない。


「そういえばレンさん。その〈エトランゼ〉というのが何か、私まだ聞いてない」


 熱苦しい母さんの腕の中にありつつ、レンに問う。


「〈エトランゼ〉というのは、一般に使われている言葉ではなくて僕達〈トラブルシューター〉のような一部の業界で使われている用語だ。

 意味は、この世界とは違う世界で生まれ育った存在のことを言う」


「――え? いや、でも、パティはこの世界で生まれたよ?」

「肉体はそうでも、君のその魂は異世界のものだ。そうでしょう?」


「……うん」納得して頷く。


「そして、その魂には前世でのが眠っている。――それは君自身が知っているはずだ」


 ……レンさんの言う通りだ。スマホやらアニメやらマンガやら、多分この世界には無いモノについて、俺は知っている。


「それをわざわざ名前つけて区別するってことは、そうしなきゃいけない事情があるの?」

「……流石、学者夫婦の娘さん。察しが良くて助かるよ」無表情にレンは続ける。

「『異世界の情報を持ち込む』これが良くないことだと考える人もいるんだ。

 例えば異世界の兵器だとか、戦術とか。例え平和的なものであっても異文明の知識を持ち込むだけでも良くないと言う人もいる。

 そう言ってる人達の中には過激な人もいる。

 けれど、さっき言った通り『転生』は一部の文化でしか語られていない概念で、実際に〈エトランゼ〉がいるということは更に一部でしか知られていないんだ。

 当然、危険人物が襲ってきても国は『個人の問題』として保護してくれない。

 そこで僕達〈トラブルシューター〉の出番だ。トラブルシューターに依頼を出せば、僕達は可能な限り依頼者を保護する」


 ……最後がビジネスの話になっていたけれど、自分が危うい立場にいるというのは分かった。


「それじゃあ、お金さえ払えば貴方がパティを護ってくれるのね」


 ……母さんがようやく俺を解放してくれた。

 母さんは救い主が見つかったとばかりの笑顔で、救いを求めるように、レンさんの手をとった。


「いや、でも、パティさんがエトランゼだというのは、まだ周囲に知られてないでしょうし。すぐじゃなくても……一旦、間をおいて機会があればお頼みくださればいいと思いますよ」


 レンはたじろいでいた。

 ――まあ、たじろぐよなあ。母さんのこの行動力には。



 でも……この世界に転生して本当に良かったんだろうか。ちょっと心配になった。

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