第8話 道化師、雇われる

 食事を終え、レイヴンさんに客室へと案内された。

 客室というには、かなり豪華で広い。これが貴族の客室か。



「クラクモ様。メイドは近くの部屋で控えております。何か御用でしたら、そちらのベルを鳴らしてくださいませ」

「わかりました、ありがとうございます」

「いえ。それでは、失礼致します」



 客室に1人取り残され、レイヴンさんは出ていってしまった。

 ゆっくり……できないよね、こんな場所じゃ。

 悪い意味ではなく、豪華すぎてゆっくりできない。


 とりあえず部屋の中を見渡す。

 何か暇つぶしになりそうなものは……お、トランプがある。

 トランプを手に取っていろいろ見る。絵柄は地球とは違うけど、枚数も大きさも同じみたいだ。


 あぁ、手に馴染む。修行中の時は、毎日のようにいじってたっけ。

 トランプを片手に、部屋の至る所にある扉を開いてみる。

 トイレ。風呂場。ウォークインクローゼット。寝室。なんと書斎まである。

 正直、この部屋だけで生きていける。これが客室なのか。


 窓を開けてバルコニーに出る。

 階下では庭師が庭園を整えたり、従者たちが忙しなく働いている。

 これだけ広いお屋敷だ。仕事は山ほどあるだろうな。


 そんなことを考えていると、部屋の扉がノックされた。

 この気配──グレン様だ。

 扉を開けると、やっぱりグレン様がそこにいた。



「グレン様、如何されましたか?」

「少し良いか? 散歩しながら話そう」

「……わかりました」



 グレン様に連れられ、廊下を進む。

 客室の周りも、どこを見ても美術品だらけだ。下手な美術館よりよっぽど展示されている。



「ミチヤ殿は、旅の道化師とやらだったな。その途中で、賊に襲われたと」

「左様でございます」

「災難だったな。これからどうするつもりだ?」

「街の隅を借りて、路銀を稼ぎます。それからまた、旅を続けようかと」



 この世界で、ボクにできることはそれくらい。

 培ってきた技術があれば、道化師はどこでも自由だ。

 それに、この世界ならではのこともできるだろうし……まだ可能性だけど。



「ふむ。そこまでして旅を続ける理由は?」

「……世界中の人々を笑顔にしたい。それだけですよ」



 生前は、夢半ばで倒れてしまった。

 はっきり言ってしまえば、オルタナティブサーカス団での過密なスケジュールと練習量のせいだ。

 もう少し休みを取って、体調管理をしっかりすれば、ボクは今でも地球でみんなを笑顔にしていただろう。


 それを教訓にして、こっちでは1人で自由気ままに、自分のやりたいようにやろうと考えている。


 そのためには、この屋敷でお世話になっている少しの間に、この世界のことを勉強しなくちゃならない。

 魔物っていう脅威もあるけど……そこはどうにかなるかな。


 ボクの考えを聞いたグレン様は、感心したように頷いた。



「その若さで、人々のために旅をする……とても素晴らしい心意気だ。ますます君のことが気に入ったよ」

「恐縮です」

「どれ、何か芸を見せてくれまいか? 簡単なものでいい」



 ふむ、簡単なもの……なら、これかな。

 ボクは懐から赤い玉を取り出すと、それを1回だけ叩く。

 ぐぐぐっと大きくなり、サッカーボールくらいの大きさになった。

 それを指の上で回し、手首、腕、肩、そして反対側へと軽々と移動させる。

 そしてぽんっと頭上へ飛ばすと同時に息を軽く吹きかけると、赤い玉は瞬く間に七色の花弁となって廊下を彩った。



「おおっ、素晴らしい! まるで魔力を感じなかったぞ……!」

「魔法ではなく、種も仕掛けもある技術ですよ」



 花弁を集め、部屋にあったマッチで火を灯す。

 すると、燃え上がる炎は鳥の形を作り、一瞬で目の前から消えてしまった。



「い、今のも技術、か……?」

「はい。世界一を目指した、努力の結晶ですよ」



 これくらいの細工はお手の物だ。世界レベルの道化師を舐めてもらっては困る。

 グレン様は呆然とした顔をしていたが、すぐに何かを考えるような仕草をした。



「……ミチヤ殿。折り入って頼みがある」

「頼み?」

「うむ。貴殿が路銀を稼ぐ間……いや、十分な路銀はアーデラル家が出す。もちろん、リリナを助けてくれた報奨金も上乗せして。だからしばらくの間、この家に留まってはくれないか?」

「……留まる、ですか?」



 しかもお金まで払って? 理由がまったく見当たらないけど……。



「……理由をお聞かせ願えますか?」

「そ、それは……そうだな。いずれ知ることになるだろうから、今話しておくか」



 グレン様が先を行き、俺も後を追いかける。

 この廊下、さっきも通った。確かグレン様の肖像画がある廊下だ。

 思ったとおり、グレン様は肖像画の前で立ち止まる。

 ──否、正確には、肖像画と髑髏の絵画の中央に。



「私はね、妻の絵も好きだが、妻が絵を描いているところも好きなんだ。まっすぐに、ただまっすぐに、描きたいもののゴールを見つめる目が。……けど、この絵だけは違った。あんなに鬼気迫る妻を見たのは初めてだった。幾度となく止めようとしても、妻は絶対に止まらなかった。まるで何かにはやし立てられているように、妻はこれを描きあげたんだ」



 それは……なんとなく、わかる。

 筆のタッチは似ているけど、荒々しいという……本当に同じ人が描いたのか疑うほど、この2つは違う。



「妻がこの絵を描いてから、屋敷に妙な空気が流れていてな。従者たちもみな、心のどこかに不安を抱えている。今調査のため、退魔の術師を探しているところだ」

「退魔……?」

「うむ。……私は、この家が魔物かなにかに呪われているのではないかと睨んでいる」



 呪い……本当にそんなものがあるのか。

 魔法も魔物もあるんだから、呪いもないとは言いきれないけど。



「そこでミチヤ殿には、みなが不安にならないよう、定期的に芸を披露してほしいのだ。頼む、このとおりだ」



 グレン様が頭を下げる。

 一介の道化師である、ボクに。



「グレン様、顔をお上げください。ご当主であるあなたが平民に頭を下げているところを見られては、それこそ従者は不安がるでしょう。……その依頼、承りました」

「……感謝する。……ありがとう、ミチヤ殿」



 こうしてボクは、期間限定でアーデラル家専属の道化師として、働くことになったのだった。

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