7-4

「――おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 そこで耳をつんざくような、そんな声が響き渡った。俺は目を開いて、そして。

 何かの上に落ち、足元が急に安定した。

「な、何!?」

「お前……来てくれたのか」

「……やっぱり!! わ、ワシだけ仲間外れというのは、その、ず、ズルいのじゃ!! ワシも混ぜろ!!」

「自分から離脱したくせに……」

「そ、そうだけど……」

「冗談。……ありがとな」

 俺の言葉に、少女は弾かれたように顔を上げた。そして少女は……雛都は、どこか泣きそうな、そんな輝いた笑顔を浮かべた。

 俺たちが今乗っているのは、小型の飛行機……だろうか。まるで船のような操縦盤を、雛都が操っている。どうやらこれで俺たちのことを、体が負傷しないような角度で滑り込んで、拾ってくれた、というところだろう。……どうせこの飛行機もこいつの私物だ。ツッコむのも馬鹿らしい。

 雛都はいつものようにニシシと笑っているが、その足は小刻みに震えていた。……相当怖かったのだろう。一度は怖さで家に戻った。それでも雛都は、来てくれた。雛都の傍には、俺たちが捕らえた“キグルミゾク”二人の姿がある。あいつらに居場所を聞き出して。

 きっと、恐怖を振り切るくらいの、勇気と覚悟を持って。

 ここまで、来てくれた。

「蛍太!! 美月ちゃん!! 大丈夫!?」

「よ、夜さん」

「夜、お前こそ……大丈夫だったか?」

「僕は全然!! 寝そうになってたところを雛都ちゃんに拾われてね!! ははっ!!」

「……あの、夜さん、大丈夫ですか本当に……」

「え!? 大丈夫だよ!? 夜更かししちゃったからね!! これが深夜テンションってやつかな!?」

 雛都の横から現れた嫌にハイテンションな夜に、美月は完全にドン引きしたような表情をしていた。……仕方ないな。俺は、ため息を付いて。

「夜、俺たちは大丈夫だから、寝ろ」

「いったぁ!? ……すぅ」

 思いっきりその頭をぶん殴って、俺は夜を地面に倒した。夜は一瞬悲鳴を上げたが、床に横になると眠気がピークだったのか、すぐに眠りだした。……こいつ、とっくの昔に限界だったクセに……ほんと、馬鹿が付くほどのお人好しだ。

「ね、ねぇ、夜さん……大丈夫なの?」

「起きたら正常に戻ってんだろ」

「ええ、そんな適当な……」

「あ、そうじゃ。……おい蛍太!! 操縦代われ!!」

「え、は!?」

 すると突然そこで、雛都が俺の手を引いた。そして何かを握らされる。……それは、操縦盤。いや、操縦しろって……。

「俺、操縦の仕方なんてわかんねぇんだけど!?」

「えーっと、これじゃなくて……おっ、これじゃな!!」

「聞けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 俺が悲鳴を上げると同時、雛都が何かのボタンを押す。すると。


 雨が降ってきた。


 思わず空を見上げる。しかし目の前に広がるのは、夏特有の透き通るような青空で。雨雲なんてどこにもない。でも雨は降っていて。

「うむ!! 成功じゃな!!」

「雛都ちゃん、何したの?」

「名付けて、『天気雨で“キグルミゾク”大撃退☆作戦』じゃ!!」

「……」

「……」

「お前ら、すぐに黙るな」

 作戦名こそふざけているが、その効果は絶大のようだ。こちらの様子をうかがっていた“キグルミゾク”たちは、慌てふためいたように逃げ惑って、パニックになっていた。ついでに、こちらにいる“キグルミゾク”二人も隅っこで身を寄せ合って震えている。

「というかお前、きちんと操縦出来ているじゃないか」

「騙し騙しだわ……落ちても責めるなよ」

「えー、責める」

「じゃあお前操縦に戻れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 笑顔で俺を責める宣言をした雛都に、俺は思わず声を上げる。しかし雛都は知らん顔だった。くっそ……。


『安全装置、起動開始。緊急避難開始。動かず、その場でお待ちください』


 するとそこで、そんな機械音が鳴り響いた。


「えっ、俺マズいことしたか!?」

「いや、ワシはそんな機能を付けた覚えはない。これは……」

焦る俺に対し、雛都は真面目な顔でそう返す。雛都でもないのなら……。

「ねぇ、二人とも、あれ見て……!!」

 すると俺たちの後ろにいた美月が、そう言って指をさす。その先を追うと、そこには……何やら魔法陣のようなものが、空に大きく浮かんでいた。

「あれ……お父さんとお母さんの資料で見た……。……“キグルミゾク”が、その住み家と地球を繋ぐ、ゲートだって……」

「ゲート……」

 俺がそう呟くと同時、沢山の“キグルミゾク”たちが、そこに吸い込まれていった。一人一人、順々に、消えていく。

 ……安全装置、緊急避難って……。

 ……あいつらが、帰るってことなのか……。

「……、……っ」

 するとそこで、俺たちの後ろにいる“キグルミゾク”二人組が、苦しそうにうごめき始めた。……縛っているから、上手く帰れないのか。

 どうする、と一番近くにいた雛都と目を合わせたのも束の間、美月がふらりと動いた。

「! 美月?」

「大丈夫。任せて」

 そう、しっかりとした声で言われたら、何も言えなかった。美月はしっかりとした足取りで、“キグルミゾク”二人に近づき……その縄を、解いた。

「許してあげる」

 そして、そんな美月の声が響く。

「全部、許すよ。貴方たち、自分たちを守りたかったわけなんだよね。安全を脅かしてごめんなさい。でも私たちが貴方たちを傷つけるなんて、そんなの絶対しないから。誓う」

 ねぇ、と美月は言って、俺を振り返った。突然目が合って、俺は思わず肩を震わす。

「な、何だよ」

「預けてたやつ。あれちょうだい」

「……わかった」

 雛都に操縦盤を任せて、俺は美月に近づき、ポケットに無造作に突っ込んでいたものを差し出す。……それは、“キグルミゾク”についての、資料。


『ねぇ、あのさ』

『何だよ』

『ちょっと、お願いがあって』

 昨日、突然そう言われて、差し出されたのは……資料だった。

『これを、どうしろと?』

『持っててほしいの』

『……俺に?』

『うん、あんたに』

『……何で俺?』

『まぁ、万が一があったら、これを奪われないように。……それを考えたら、あんたに持っててほしくて』

 あんたがいいの。

 その言葉に押し負けて、俺は書類を受け取った。

 そしてその万が一は、起こってしまったわけだけど。


「うわ、ぐっしゃぐしゃじゃん」

「人に持たせといて文句言うな!」

「ま、いいや。もう、いい」

 そのどこか投げやりな、でもしっかりした意志のこもった声に、俺は何も言えなかった。美月は書類をしっかり握ると。


 それらを、真っ二つに破いた。


 息を呑む俺たちに構わず、美月は更にそれを破いていく。ビリ、ビリッ、と、引き裂く音だけが響く。丁寧に、敬意を払うように、ゆっくり破いていった。

 やがて破くのが大変になる大きさまで来た。その紙くずを、美月は大事そうに抱えて。

「……あとでちゃんと、燃やしもするから。大丈夫。貴方たちを脅かすものは、この世から消えた!!」

 だから。と、美月は笑う。

「もう、大丈夫だよ。安心してって、貴方たちの仲間にも伝えて」

「……」

 “キグルミゾク”の二人は、ゆるりと立ち上がった。俺は慌てて美月を庇うように前に出る。

 しかし、二人は何もしてこなかった。代わりに、一人が俺たちに向け、手を差し出す。

 ……な、何だ? なんか、握手、みたいな、手の差し出し方……。

「ニンゲン、友好を示すとき、こうすると、聞いた」

「まさかの正解だった」

 俺は美月を振り返る。美月は頷いて、俺の前に出た。そして、その手を……握り返す。

「……うん、友好の証。もう、傷つけあうのは、やめよう」

「わかった。オレたち、もう、オマエを狙わない」

「……お前、じゃなくて、私の名前は、美月。貴方のお名前は?」

「……ソーイタキヌ」

「ソーイタキヌさん。……ありがとう。バイバイ」

「ああ。ありがとう。……ミツキ」

 その言葉を最後に、“キグルミゾク”の二人組は……ソーイタキヌたちも、魔法陣に吸い込まれるように……消えた。そして魔法陣は、消え失せる。初めから、何も無かったみたいに。

「……終わった、のか……?」

「……の、かな……」

「……そう、じゃな……」

 俺たちは、何も言えなかった。相変わらず、雛都の起こした天気雨が降り続いて。

 ……。

「雛都お前!! 操縦はどうした!!」

「え、あ。マズッ」

「マズッ、じゃねぇわ!!」

 それと同時、飛行機が大きく揺れた。雛都は慌てたように操縦に戻る。せっかく……せっかく全員無傷で無事だったのに、こんなとこで死んでたまるか!!

 また機体が大きく揺れ、美月がよろめき、俺にしがみついてきた。そのことに、思わず心臓が大きく跳ね上がる。

「み、美月、大丈夫か?」

「……」

 美月は黙っている。そのことに俺は眉をひそめた。まさか、どこか怪我とかしたんじゃ……!

「……怖かった」

「……え?」

「……すっごく、怖かった……!!」

 そこで美月は顔を上げる。その瞳には、大粒の涙が溜まっていた。

「ずっと、怖くないふりしてたっ、でもっ、本当はすごく、怖くてっ……怖くて、どうしようもなくてっ……でもそれ以上に、私を助けてくれた貴方たちが怪我とか、したらって……その方がずっと怖くてっ……!! 大好きだから、もう、何も失いたくなかった……!! でも、でもね、あんたが助けに来てくれて、すごく私、嬉しかったの。怖かったのに、嬉しかった……!! あんたがずっと、私の手を握ってくれるなら……!! 私は、っ、何も、いらなかった……!! なんにも、怖くなかった……!!」

 まるでダムが、決壊したかのようだった。そんな勢いで、美月は喋り続けた。涙を流しながら、必死に、俺に、伝える。


「ありがとうっ……私を、迎えに来てくれて、ありがとうっ……!!」


 俺は、何も言えなかった。心臓が大きく鳴って、顔が熱い。

 美月が俺を見つめる。涙を流して、微笑んで。

 見ていられなかったから、俺は美月を抱きしめた。

「……!!」

「……別に、そんな、お礼を言われるようなことは、してない。……俺は……」

 お前が。

 その先の言葉は、やはりどうしても、口に出せそうになかった。

「……お前が無事で、良かった」

「……うん」

 美月の涙は止まらない。しかし美月は、静かに泣き続けた。

「……っていうか良かったのかよ。書類、破って」

「いいの。……あれは、この国に大事なものだったかもしれないけど……でも、いいの。私、二人に勝手に押し付けられただけだし。……だったら、私がどうしようと、私の勝手でしょ?」

「……ははっ、確かに」

「でしょ?」

 その暴論に納得して、俺はニヤリと笑う。美月も、ニヤリと笑ってきた。

「次は、国に追われるかもねー」

「げっ……縁起でもないこと言うなよ」

「そうなったら、あんたも共犯だからね?」

「……わーったよ」

「ほんと? ……また、迎えに来てくれる?」

「宇宙の果てまで行ってやるよ」

「待って、私何に連れて行かれたの」

「また地球外生命体じゃないか?」

「ええ、もう勘弁。……っていうか、ソーイタキヌってさ……めっちゃ変な名前じゃない?」

「こいつ……人がツッコまないようにしていたことを……」

「あんたも思ってたんじゃん」

 軽口を叩き合いながら、俺たちは笑い合う。いつしか美月の涙は止まり、俺は美月を解放した。

「さて、約束通り、こんなの早く燃やしちゃお!!」

「かなり破って、もう読めねぇと思うが?」

「そうだけど。完全に葬ってあげなきゃ」

 そう言って美月は善は急げと言わんばかりに、夜から借りパクしてるライターを取り出した。そして紙くずに、火をつけて。

「……」

「……」

 燃え上って、消えていく。初めから、何もなかったみたいに。

 涙は止まったはずなのに、美月が鼻をすする声が、聞こえた。そっちは、見ない。

「……お父さん、お母さん。……終わったよ。……終わらせたよ」

 だから、安心して、眠ってね。

 その声で、気づく。これはただ証拠隠滅をしているんじゃなくて……弔っているんだ。美月は、両親を。

 この煙が二人に届くよう、願って。

 煙がゆらゆら、昇っていく。天気雨のせいで発生した虹に、その煙がかかる。その光景が、一瞬も目をそらしたくないほど、綺麗で。

 でも俺は、目を閉じた。そして俺も祈る。美月の両親が、向こうで幸せであることを。


 明日がどうなるかなんて、わからない。

 明日なんか、見えない世界で。

 これから俺たちがどうなるかも、わからないけれど。

 きっと、いや、絶対大丈夫だ。絶対上手くいく。

 何故だか、そんな確信があった。

 明日を生きよう。

 いい夢を見て。


 ほら、夏が来る。

 俺たちはこの空の、青に溶ける。

 夏になる。

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