第43話

 すると今度は先ほどの演説をしている老魔法使いの方で一際ひときわ大きい騒ぎがおきました! 煙です。複数個所からもくもくと煙が上がっているのです。なにが起きたのでしょうか。わたしがきょろきょろしているとヴェルンが叫びます。


「陽動だ。空だ!」


 ヴェルンの視線の方を見やると、演説をぶっている老魔法使いとは逆の方から、杖に乗ってものすごいスビードで飛んでくる魔女がいます! その魔女の向かう先は……、ウタイーニャ家の二台目の馬車です。お嬢様一行は馬車から降りたところで群衆と同じように煙に包まれる老魔法使いを見ています。ヴェルンが叫びます。


「空だ、魔女に気をつけろ!」


 そう言ってヴェルンはお嬢様の方へと走り出しましたが、飛んでいる魔女が速い! 魔女、しかもこん棒を持っています。魔女らしからぬ武器ですが、たしかに空から頭を狙えば確実かもしれません。何しろみんな誰が狙われているのか分かっていない。


「狙いはお嬢様です! イヨクナお嬢様!」


 イヨクナお嬢様につっこんでいく魔女! 杖の上でこん棒を振りかぶり、身体を乗り出しています! 間に合わない! と思ったその瞬間、急接近してきた魔女は突如空中に現れた黄色い巨大なけものに衝突しました。虎です! 突如、巨大な虎が空中に出現したのです。勢いよくぶつかった魔女は虎ともつれるように落下し地面を転がっていきました。するとイヨクナお嬢様が虎に向かって叫びました。


「ルヒカ!」


 するとすぐに群衆と煙幕えんまくをかき分けて突進してきた男が短剣を抜き、お嬢様に襲い掛かります……が、その刺客しかくは武装した護衛が受け止めました。やはり刺客が参列者にまぎれていた様です。しかし幸いなことに一般にまぎれていた刺客なので大きな武器は持っていなかったようです。


「ノシリア、馬車に戻れ!」


 ヴェルンがお嬢様に向かって叫びますが、煙の中からそのヴェルンに向かって何かが飛んできました。ヴェルンはおもわず手で払いのけます。それは煙幕でした。ヴェルンの足元で煙を吹き出し始めます。その煙幕を投げたのは……、


「フノテンボガ……」ヴェルンが呟きます。


 煙の中から現れたのは首に大きな傷のある、ガタイのいい髭面の男性です。わたしも会ったことがある退役兵であり、ヴェルンの戦友でもある、フノテンボガ・エリニハシです。右手に剣を持って、じっとヴェルンを見つめています。少しずつ煙に包まれていくヴェルンを……。そのフノテンボガがわたしを一瞥し、それからヴェルンに話しかけました。


「お前も思いだしたんだな? ヴェルン」


 ヴェルンはその問いには答えず、前に出てフノテンボガとの距離をつめますが、それに合わせてフノテンボガは煙の中に姿を消しました。


 そうです。フノテンボガはヴェルンの間合いを良く知っているのです。煙幕を投げつけたのもそうです。まともにやり合ってはヴェルンの錬金術に勝てないことを知っている。


 すると、煙の中からフノテンボガがヴェルンに向かって問います。

「貴族を許したのか? ヴェルン」

「それとこれとは話が別だ!」

 と、煙の中からヴェルンの声。既にあたり一帯は煙に包まれています。そして……

「ぐぁ」っとヴェルンの悲鳴が響きます。

「ヴェルン!」


 いや、心配はいらないはずです。痛いのはかわいそうですが、ヴェルンが剣士に殺される心配はありません。しかしこれは良くない。敵のペースです。わたしは思わず叫びました。


「誰か、風を! 風をお願いします!」


 するとどこからともなくびゅっと風が吹き込んできて煙を吹き飛ばしてくれました。すぐに追加の煙幕が風上に向かって投げ込まれますが、一時的に見晴らしが回復しました。

 ヴェルンはしゃがみこんでいて、足から血を流しています。アキレス腱を狙われたのでしょうか。かわいそうですが正直ヴェルンの事はあまり心配していません。いま優先すべきは、そう。お嬢様です。


 お嬢様一行はまだ馬車の前です。イヨクナお嬢さま、メイド長のルツフェ、メイドのシクリーンが固まっています。剣を構えた護衛兵がそれを守っています。その護衛兵に向かってつっこんでいくのがフノテンボガでした! 護衛が一歩踏み出すと同時にフノテンボガに向けて剣をふり下ろします。それをひらりと避けるフノテンボガ・エリニハシ! 流れるような動きで護衛兵の足を切り付けました。「がぁ」っと声をあげて崩れ落ちる護衛兵。鮮やかです!


 フノテンボガはそのままの勢いでイヨクナお嬢様に斬りかかります。身をていして立ちふさがるのはメイド長ルツフェです。ルツフェが斬られる……という瞬間、先ほどの巨大な虎が突進してきてフノテンボガの頭に食らいつきました。


 あたりは騒然として、そこかしこで悲鳴が上がっています。煙幕が少しずつ濃くなっていきます。わたしはとりあえずヴェルンのいた場所に足を進めますが、一歩踏み出した瞬間、どんっという音とともに馬車の車輪がぱんっとはじけ飛びました。


「投石だ!」誰かが叫びました。「伏せろ!」


 すぐに続いてどんっどんっどんっとリズミカルに音が響き、そのたびに石が跳んだり、馬車の窓が弾けたりします。


「北西だ!」誰かが叫びました。「北西から狙われている」


 付近の人々もみんなその場に伏せました。お嬢さまやメイド長やメイドのシクリーンがその場に伏せると、巨大な虎が三人に覆いかぶさりました――と、ほとんど同時に鈍い音がして虎が苦悶くもん咆哮ほうこうを上げました。その咆哮は低く響き、そして徐々に弱くなり、喧噪けんそうの中に消え入りました。


「ルヒカ!」


 というお嬢様の叫び声。ほぼ同時に空間魔法圧が高まる感触、そしてどーんっという迫力のある音。大理石の壁が出現しました。こんなことが出来るのはヴェルンだけです。


「壁に隠れろ!」誰かが叫びました。


 みんなが壁の影に殺到しました。メイド長やお嬢様が虎を引きずって壁の影に向かっているのが見えましたが、急に煙幕が濃くなって一メートル先も見えなくなりました。わたしも頭を上げてお嬢様のもとに駆け寄ります。石が飛んでくるような音も消えました。


 煙の中にしゃがんでいるシクリーンを見つけました。肩に手を置いて声をかけます。


「シクリーン、ナピです。みんな無事ですか?」


 すると煙の中から伸びてきた手がわたしの手をつかみます。お嬢様でした。


「ナピさん、ルヒカを治してやってください! お願いします!」

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