第39話

 ツァズパニの奇策は上首尾じょうしゅびに終わりました。大きな池に浮かぶいかだの上、十人はみんなほっと胸を撫でおろしました。その時点で筏の上の十人には一体感が芽生えていたそうです。もちろんみんな一緒に戦った仲間ですが、手枷をはめられているシダラとツァズパニは仲間を売り隊長を殺めた張本人です。それでも四方の森が燃える湖の真ん中で、世界の終わりに自分たちだけが生き延びたような、そんな達成感を共有していたと言います。


「ヴェルン、本当に助かりました」ノシリアが言います。「あなたの力が無ければみんな今頃焼け死んでいたでしょう。魔法力はまだ残っていますか?」

「お望みなら池を倍に広げられる」

 とヴェルン。きっと生意気な顔をしていたに違いありません。


 するとノシリア・ルクヘイデは虚空から杖を出しました。それは本来のヴェルンの杖でした。テモドート伯爵家の至宝であるアロンの杖の代わりにヴェルンの杖はノシリアが預かっていたのです。


「ヴェルン。こうなってしまった以上、ノイル隊に貸与されたアロンの杖は返してもらわなければなりません。了解してもらえますか?」

 ヴェルンは頷きます。

「とりあえず杖を交換しておきましょう」とノシリア。「慣らしておかないとすぐに使えませんから」

 そういってノシリアが本来のヴェルンの杖を差し出すと、ヴェルンもアロンの杖をノシリアに返しました。


 杖は、持ち主を変えても本来はすぐに使えるものではありません。新しい持ち主のアストラル体がしっかり浸透するのを待たなければなりません。それでも魔法の色が同じならば他人の影響下にある杖を他人の魔力を使って使うことができます。ヴェルンが石橋を造った時には、ヴェルンはわたしの杖を使う事でわたしが供給する魔力を自分の魔力の様に使いました。仮にこの時わたしが魔力を供給しなくても魔石には一定の魔力が蓄積されていますから、杖を交換しただけでもある程度の魔法は使えたはずなのです。わたしと同様に、ノシリアもヴェルンと似た色の魔力を持っていました。杖を交換した二人ですから、このことは最初から分かっていたことです。


 さて、今ノシリアはヴェルンの使っていた杖を手にしました。魔石にはヴェルンの魔力が一定量蓄積されていて、しかもアロンの杖には魔力を増幅する効果があります。ヴェルンはというと、ノシリアが保管していた本来のヴェルンの杖を手にしたのですが、すぐに違和感を感じたと言います。ノシリアの魔力の弱さではヴェルンの本来の力が発揮できないのです。ヴェルンは軽く杖をかかげて調子を見ました。


「錬金術を使うには心もとない。ノシリアはその杖を持っておきたいのか?」とヴェルン。ノシリアの方を向き、眼を合わせて、尋ねます「その時になったらちゃんと返すから二本持っていてはだめか?」

「わたしも魔法使いのはしくれですから、杖が無いと心細いんです」

 と、ノシリアが返答したその瞬間にヴェルンは自分自身の制御を失ったと言います。魔法力の弱い魔法使いでしかなかったノシリアですが、魔石に蓄積されたヴェルンの魔力を一気に消費してヴェルンに精神操作の魔法をかけたのです。ヴェルンの制御を奪ったいま、ヴェルンのアストラル体の影響を受けているアロンの杖にはヴェルンから魔法力が供給されます。ノシリアはその魔法力を自分の物のように使う機会を手にしたのです。


 この時点までヴェルンはノシリアの魔法種を知らなかったと言います。おそらく誰も知らなかったでしょう。そもそもノシリアは魔法使いとはいえほとんど魔法力を持っていないということは分かっていましたし、部隊ではノシリアは魔法使い要員ではありませんでしたから。しかし、魔法力をほとんど持たないノシリアは、高出力の魔力さえ自由に使えれば人の精神操作の魔法を使えるだけの才を持っていたのです。


 ヴェルンの魔法力を自由に使えるようになったノシリア。彼女が筏の上に立ち上がってアロンの杖を高く掲げると、筏に乗っている全員がノシリアの魔法にかかりました。催眠術師ヒプノタイザーの奥義、精神操作魔法は強力ですが、信頼関係にある人にしか操ることが出来ないという条件があります。しかしここにいる十人はそもそもが顔見知りであり戦友であり、今まさに死に直結する危機を乗り越えて、油断しているところでした。ノシリア本人と気を失っているフノテンボガを除く八人が完全にノシリアの操り人形となったそうです。みんながみんな筏の上に力なく座り込んだままうつろな目でノシリアを見上げていたと言います。


 うつろな目の八人を前にノシリアは言います。


「まずシダラとツァズパニ。わたしはあなたたちの裏切りが許せません。しかしわたしは貴族として生まれた身として私情よりも人々の幸福を優先する義務があると感じています。わたしはあなたたちの計画を知っていたら全力で阻止したでしょう。たしかにわたしはノイル隊の一員ではありませんが、二年間一緒に戦ってきた彼らを仲間だと思っています」


 ノシリア本人が貴族だと知ったのはこの時が初めてだったとヴェルンは言います。ノシリアは続けました。


「しかし、こうしてノイルノイル・イスハレフが死んだ今。あなたたちの計画は成功したように見せる必要があります。内戦を長引かせるべきでないという、あなたたちの考えはおそらく正しい。帝国臣民しんみんにとって最も良い形で内戦を終わらせるために、あなたたち二人にはがんばってもらいます。ノイル隊に内通者など居なかったことになります。あなたたちの計画に誰が関わっているのかは知りませんが――、あなたたちの目的の半分は達成したが刺客の四人は殺され杖も回収できなかった、という形で報告してもらいます――」

「――ノイル隊はたまたま帝国軍の包囲攻撃に会い、壊滅した。ノイル隊の七人にはここで起きたことを全て忘れてもらいます。この筏に乗っている面々は、様々な理由により運よく助かったことになります。この物語が歴史になるはずです。わたし、ノシリア・ルクヘイデはここで死んだことになります。アロンの杖はここで失われたことになります。わたしは自分が死んだことにするために今後も何回か杖を使う必要がありそうですから、ヴェルンにはもう少し付き合ってもらう必要がありそうです。リーニ、あなたとはこれでお別れになりそうです。わたしと親しくしていただき、ありがとうございました」


 ノシリアが語り終わるとそこで意識がなくなったとヴェルンは言います。おそらく眠らされのでしょう。火が落ち着くと目覚めさせられ、ヴェルンたちはまるでネクロマンシーの操る死体のように、各々四方に散らばり、すすだらけになりながらそれぞれの居場所へと帰っていったそうです。シダラシダラ・リカーリーニー、ニコーヘ・ツァズパニ・ケルサン、モンガモンガ・タリスルノ、イノイノ・パノミモイ、ルノルノ・パノミモイ、ラーメラーメ・イタリオトシはさまざまな理由で現場には居なかったことになりました。


 気を失っていたフノテンボガ・エリニハシは筏の上で目を覚ましたときにノシリアの魔法にかけられました。シダラら参謀の裏切りなど無かったし、アロンの杖の行方も全く分からなくなった。ノシリアは焼け死んだことになり、幼かったヴェルンヴェルン・ヨーアイテは留守番をしていたことになった。ノシリアはまだヴェルンを必要としていました。ノシリアはヴェルンの魔力無しには人の記憶を操作するような魔法は使えなかった。


 ノシリアは操り人形となったヴェルンを連れまわしながらノシリアとしての自分を知っている人間の記憶を消して回りました。しかしその人数はそれほど多くなかったとヴェルンは言います。ノシリアは貴族と会うときは本来の名前と顔を使っていたのでしょう。一連の作業が終わるとヴェルンは解放されました。それ以来ノシリアには会っていないと言います。普通に考えればそれ以来、ノシリアは魔法使いとしての力を使っていないということになるでしょうか。もちろんヴェルンに代わる協力者を見つけたとすればその限りではありませんが。

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