第36話

 実はちょうどこの時期に皇帝が退位するという出来事がありました。健康上の理由だとされていますが、事実上のクーデターだったと見る向きもあります。しかしこの出来事はすぐにはラパラティナまでは伝わってこなかったそうです。


 さて、イスハレフ大隊は反攻作戦の一手として、要塞を出て森の中を北上し、トワノウリョを奇襲する作戦を立てました。この少数精鋭の遊撃部隊はほぼノイル隊だったといいます。その方が作戦内容が敵に漏れる心配が少なかったからです。ノイル隊を除いた勢力の大半は陽動ようどう部隊としてモニュマハイト北西にとどまりました。ノイル隊はサイサロン村を野営地ときめ、秘密裏に物資を運び込み、少しずつ人員を送り込んでいました。そこからなら一日でトワノウリョまで届くはずでした。ところが奇襲作戦の決行前夜、焼き討ちを受けたのはノイル隊だったのです。


 歴史では、ノイル隊は皇帝派の奇襲を受け、四方から火攻めに合い、村ごと焼きつくされたことになっています。作戦に参加した者に生存者はいないとされました。プジャージン出身の中核メンバーで生き残ったのは現地に連れて行ってもらえなかったヴェルンだけだったとされました。


 しかしこれもおかしな話で、ノイルの部隊にはサイコキネシストやアニメーガスなど空を飛べる魔法使いだって何人も居たといいます。なぜ、誰一人逃げ出せなかったのか。みんな寝ていたからというのもありえない話ではありませんが、なにか引っかかっていた人は多かったようです。カーキの魔女も納得できない部分があると言っていました。しかし今、ヴェルンは全てを思いだしました。現地に連れて行ってもらえなかったと言っていたヴェルンですが、当時自分がサイサロン村に居たことを思いだしました。


 今はイスハレフ廟となっている当時のサイサロン村は、森の中にある人口三十名ほどの集落でした。ノイルの部隊五十名ほどが作戦決行予定日の前日、深夜に村に入り込み、多くの者はテントで夜を過ごしました。中にはうまやに寝た者もいたし、幹部たちは礼拝堂を間借りしました。深夜に移動した理由は、昼間に敵に見つからずにモニュマハイトからサイサロン村まで移動することが難しいと考えられたからです。一度森に入ってしまえばこっそり一日を過ごすことはそう難しくないはずでした。


 しかしあの夜。深夜の移動に疲れてみんなが寝静まった夜に騒ぎが起きました。その時ヴェルンはテントで仲間三人と寝ていたそうですが、気がついたら三人とも殺されていたそうです。ちょっと意味が分かりませんが、ヴェルンの言葉を借りれば、


「気がついたらわたしは殺されていた。わたしは殺されると意識を失う」だそうです。


 わたしは言ってやりました。


「みんなそうです。誰でも殺されれば意識を失います」


 ヴェルンは続けます。


「それでもアストラル体とエーテル体が残っている限り、わたしは無意識に自分自身を再生しようとするらしいんだ。手当たり次第にむやみやたらと自分の体を再生しておよそ人の体ではなくなるのだが、ある時点で意識が戻る。それから自分の身体を再生することができるようになるらしい」

「らしいって……。そのことは自分でも知らなかったのですか?」

「そうだ。死んだのはその時が初めてだった。しかし、もしも自分が瀕死の重症を負った時にはそうなるのだろうな、というような予感は確かに持っていた。わたしは例えばナピとそっくりな人体を錬成することはできない。そんな彫刻家のような技術はわたしにはない。わたしが人体を錬成できるからといって、誰かの姿になりすますようなことはできないんだ。それなのに自分の身体に関してはほとんど無意識に自分のあるべき姿の、それも相応の年齢の姿に復元することができる……、というか復元されてしまう」


 だそうです。


 ヴェルンが真っ先に殺された理由は明らかです。古代の遺物であるアロンの杖をヴェルンが持っていたからです。しかし霊界に隠した杖は影響を受けているアストラル体が消滅しない限り幽界に出現することはありません。ヴェルンらを襲った何者か、――刺客しかくとしておきましょう、刺客はヴェルンを殺せばお目当ての杖が手に入ると考えたはずです。


 しかしヴェルンを殺しても杖は出現しなかった。理由はヴェルンが死ななかったからですが、刺客は時間との勝負をしていますから、杖はどこか別のところに隠してあると考えてその場を離れたのではないか。これがヴェルンの推測です。


 ヴェルンが意識と身体を取り戻した時点で、ある程度時間が経過しています。例によってあたりはヴェルンの錬成した肉片が散乱していましたが、それ以外にも二人、ヴェルンの戦友がそこに死んでいました。ヴェルンは言いようのない怒りに駆られますが、とりあえず服を着て頭を落ち着けたそうです。なにか騒ぎが起きているらしいことは分かったが、何が起きているか全く分かりませんでした。


 隊員たちのテントは森の中に散在していました。なにしろ五十名の隊員を森の中に隠す計画ですから、みんなまとまっていたわけではないのです。このことはノイル隊の守りを脆弱ぜいじゃくにしていましたし、状況の把握を困難にもしていました。


 ヴェルンがテントの外に出るとあたりは混乱に包まれていました。若い隊員ばかりが右往左往していたそうです。その右往左往する隊員に話を聞けば、既に仲間が何人も殺されていたようでした。四方の森に火がつけられていることもすぐに分かりました。数人の刺客が入り込み、寝込みを襲われたのだということも分かりました。指導力のある隊員、近接戦闘に強い隊員、空を飛べる隊員が真っ先に狙われたようでした。つまり、敵はノイル隊をよく知っていたのです――森の中のテントの配置まで知っていたのです。誰かは分からないが、ノイル隊の中に仲間を売った者がいるのです。ヴェルンはすぐに隊長の寝泊まりしていた礼拝堂に向かいました。


 この時点ではヴェルンは礼拝堂で何が起きているかは知りませんでしたが、小さな礼拝堂の入り口には十人程度のノイル隊の仲間が集まっていたと推測できます。大層たいそうに「礼拝堂」などと言っていますが人口三十人くらいの村の礼拝堂です。小屋みたいなものです。後でわかることですが、その小屋に刺客が四人と裏切者二人がノシリアと桃魔女リーニを人質に取り、立て籠っていたのです。刺客は演壇や椅子をバリケードにして身を隠していたそうです。そして刺客のうちの三人は空を飛べるサイコキネシストでした。ノイル隊長も礼拝堂に寝泊りしていたましたが、合理的に考えて真っ先に殺されていたはずです。たてこもった刺客たちは「礼拝堂に入れば人質を殺す!」「杖をどこに隠した!」と叫んでいました――ヴェルンも見ていないのでおそらくですが。


 推測される刺客の作戦計画はこうです。刺客は闇夜にまぎれてサイサロン村に入り込み、ノイル隊の隊員の中から飛んで逃げられる隊員、戦闘に強い隊員をまず殺し、ノイル隊長も真っ先に殺したはずです。そして予定ではヴェルンの持っているアロンの杖を回収し、飛んで逃げる。そのころには森の外の仲間が森に火を放っていて、ノイル隊は残らず全滅する。ノイル隊が全滅すれば、謀略によってノイルノイル・イスハレフが殺されたことは明るみにならない。ノイルが死ねば、イスハレフ大隊は烏合うごうの衆に戻るのは確実だった。それが彼らの作戦だったのだと、ヴェルンは推測します。


 ところが刺客らはアロンの杖がみつからなかったので小さな礼拝堂に立てこもる羽目はめになってしまったというわけです。刺客は空を飛ぶ能力があるが、杖が見つからずもたもたしている内に礼拝堂に閉じ込められた。礼拝堂を包囲しているノイル隊はというと、状況を打開できるような魔法使いは真っ先に殺されていた。

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