第34話

「ヴェルン!」

「どうした血相けっそう変えて」


 わたしはイスハレフ廟から馬車で戻り、駅から一心不乱に走ってヴェルンの小屋までやってきました。ヴェルンはいつものようにカバードデッキで重たそうな本を読んでいます。わたしの様子を見ていたホムンクルスが棚からカップをとって、ヴェルンに差し出します。ヴェルンは虚空こくうから水を錬成して、カップに注ぎました。ホムはそれをわたしに差し出します。わたしは受け取り、ぐいっと飲み干しました。


「ヴェルンは……」息切れします。「水はいつもこうやって……」汗だくです。「用意しているのですか?」

「楽でいいだろ?」

「心理的抵抗があります」


 食べ物も錬成しているのでしょうか。少なくとも人体を錬成できることを知っていますが……、気分が悪くなりそうなので大事な話に移りましょう。


「ヴェルン、わたしに嘘はついていませんよね?」

「なんだやぶから棒に」

「わたしはフノテンボガ・エリニハシの記憶の一部が消されていた話をしましたね?」

「ああ。フノテンボガは行方不明なので、素性が分からないということだった」

「リーニリーニ・モチモーマの記憶の一部が消されていた話をしましたね?」

「ああ。リーニは今も同胞団に誘拐されたままだと、ナピはリーニを助けたいと言っていたな。そしてどちらのケースも記憶を消す魔法をかけたのは、同じ魔法使いだった」

「そうです。ノシリア・ルクヘイデです。ヴェルンはフノテンボガ、リーニ、ノシリア、この三人の誰も知らないと言いましたね」

「誰も知らない。仮に顔を合わせたことがあったとしても、その名前に心当たりはない」

「ノシリア・ルクヘイデの名前がイスハレフ廟の石碑にありました」

「……そうなのか?」

「そうです」

「だとしても……、知らない。あの石碑の名前の大半をわたしは知っているが、知らない名前もあるし、そのことに不思議はない。あの地で死んだのは、ノイル隊だけでは……」

「フノテンボガ・エリニハシがわたしの治療を受けたとき、彼は自分の記憶が改ざんされていることを自分では気が付いていませんでした。わたしが気が付いたんです。その特級催眠術師メスメリスト、ノシリア・ルクヘイデは自分が目の前で魔法をかけたという記憶すら奪う事が出来るようです。記憶を奪われた者は自分ではそのことに気が付けないんです」

「何が言いたい?」

「わたしがここに越してきてから、ヴェルンとは一番長い付き合いですが、わたしはヴェルンには一度も魔法をかけたことが無いんです。理由は単純で、ヴェルンは自分で自分の傷を治せるからです。わたしが一度でもヴェルンの治療をしていれば気が付いたはずです」

「ナピ……。まさか、わたしの記憶が改ざんされているとでも言いたいのか?」

「ヴェルン、あなたはフノテンボガのことも、リーニのことも、ノシリアのことも知っているはずです。わたしはそう思います」

「そんな馬鹿なことが……」

「この推測が正しいかどうか、すぐに確かめられますよ?」


 少し思案するヴェルン。


「良いだろう、試してもらおうか」


 ヴェルンはおもむろに立ち上がり、軽く手を広げました。好きにしてくれと言わんばかりです。わたしも立ち上がり、そっとヴェルンの頬に触りました。ひと月くらい前、ゴーレムに潰されたときに再生したばかりのやわらかく、みずみずしい頬です。そのまま軽く魔法を込めます――まずは確認のために。そして、確かに手ごたえを感じました。わたしは少しにやにやしていたと思います。べつに勝ち負けじゃないのについにヴェルンをへこましてやったという、そんな感情が芽生めばえていました。


「ヴェルン、わたしの勝ちです」




「わたしの記憶が改ざんされている……?」と驚きの表情を隠せないヴェルン。「全く記憶にないが……?」

「記憶にないのが問題なんですよ。いま解いてあげます」


 わたしは手を広げて軽やかに一回転しながら杖を取りだし、ヴェルンにかけられた魔法を解いてやりました。


"コニアよ、オサンデルよ、イチゴダイフクよ。願わくばこの者の尊き犠牲に祝福を!"


 するとどうでしょう。いつも余裕がありそうな表情をしているヴェルン。自信たっぷりのヴェルンが、深刻な顔をして震えています。


「思いだした……全て思いだした……」


 迂闊うかつでした。ヴェルンにだって思いだしたくない記憶もあるでしょう。心の準備をさせるべきでした。これは不合格です。ダルノーハ記念病院の院長が見たら不合格を言い渡すでしょう。そこにわたしの知りたい記憶があると思い、気がはやっていました。

「大丈夫ですか、ヴェルン。それは全て過去の記憶です。今のヴェルンは子どもたちに頼られるヴェルンです。わたしも信頼しているヴェルンです。深刻にとらえすぎないでくださいね」

「ノシリア・ルクヘイデ……。おのれ……ノシリア・ルクヘイデ……」


 ヴェルンの身体が震えています。ヴェルンの使い魔のホムもあたふたしています。


「落ち着いてください、ヴェルン。一度に全て消化する必要はありません。お茶でも飲みませんか? ホム、お茶の準備、出来ますか?」

「シダラめ……。シダラシダラ・リカーリーニー……。よくも、よくも……」


 知らない名前が出て気ました。少し気をそらしてやった方が良さそうな気がします。


「ヴェルンは茶葉も錬成したりするんですか? ヴェルン、どうなんですか?」

「出来るが……美味しくないっ!」


 ヴェルンはこぶしで机を叩きました。


「そうですよね。わたしも魔法で成長させたハーブは味も効果もいまいちなんですよ」


 そこにホムがポットをもってやってきてテーブルに置きました。お茶の用意が早いですね。お湯はずっとかまどに掛けてあったようです。


「ホム、わたしはこのカップでいいですよ」


 わたしは水を飲んだときのカップをすっと出しました。


「はい」とホム。


 ホムはヴェルンの分と、わたしの分のお茶を出してくれました。


「あ、わたしが作ったカモミールミントティーですね?」

「はい。さわやかで美味しいですね」


 ホムンクルスも味が分かるのか……と、わたしは疑問に思いました。こんなことを言ったらホムは傷つくでしょうか。


「ヴェルン、とりあえず座りましょう」

 ヴェルンは椅子に腰掛けなおし、少し空を眺め、深呼吸をしました。

「少し……、取り乱した。すまない」とヴェルン。

「落ち着きましたか?」

「許せない……」

「ヴェルン、一度に……」

「分かってる。許せないと感じているは過去のわたしだ。今の私は、ノシリアの選択は正しかったと思っているらしい……」

「ヴェルン、クッキーとか錬成出来ないんですか?」

「出来るが……、美味しくないっ! 美味しくないんだ!」


 苦しそうに顔をゆがませて、ヴェルンはこぶしで机を叩きました。

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