第24話
ワラズエルートというのはすなわちジングマリの森へと突入するルートのようです。名目上の国境は森の中を走っていますが、森自体がどちらの勢力圏にも属していないのが実情です。森の手前には川があり、かつては橋があったらしいのですが、政情の悪化の中で橋は落とされてしまったようです。地域を支配する勢力にとってルートは少ない方が管理しやすいですからね。わたしたちはその川を渡り、森の中へ逃げ込み、二日か三日くらいかけておうちに帰ることになるらしいです。わたしは今日中に帰れるつもりで参加したのですが……。子猫にミルクをあげないといけないので帰らせてもらえませんかね。だめでしょうか。
ワラズエルートはなだらかな起伏があるものの、開けた草原地帯になっていました。人々が牧畜を営んでいるようです。見晴らしが良いというのはわたしたちにとっては良いことでしょう。
四台編成の馬車が草原地帯を走っていきます。わたしの乗る馬車は最後尾へと移動しました。追手を警戒して最後尾に戦力を集中させる布陣です。車列が小高い丘に上るとかなり遠くまで見晴らしが利くようになります。すると「追手が来ている!」と紳士の一人が声をあげました。たしかに、はるか遠くに影がちらつきます。馬なのか、荷馬車なのか、戦車なのかは判別できません。しかし、かなりお急ぎのようですね。紳士を満載した私たちより身軽なのは確かなようです。カーキの魔女も険しい顔つきになります。
するとヴェルンが杖を掲げ、岩を錬成し、道路に転がしました。それを三回繰り返しました。意地悪な魔女が意地悪を言います。
「そんなもの避けて通れる。こう開けた草原で律儀に道を走る必要なんてないのだからな」
「それなりの規模の部隊なら先頭が岩をどかすはずだ。敵の振舞いで戦力が分かる」とヴェルン。「お前たちのサイコキネシスはあの岩どかせるか?」
「愚問だ。馬車で走りながらどかせるな」
「あいつら投げ返してきたぞ」と、ヴェルンが返答するやいなや、後方でドーン!と大きな音が響きました
「ええ!?」と驚くわたし。「あの岩をサイコキネシスで飛ばしたんですか?」
「さすがにここまでは飛ばせないようだ。しかし少なくともサイコキネシストが一人はいることが分かる。空を飛んでこないところを見ると、十分な人数は居ない。そろそろ石でも飛ばしてくるかもしれないな」
黒い魔女が走る馬車の幌の上に乗りました。何か飛んできたらサイコキネシスで何とかしようということでしょう。カーキの魔女はというと黙って、険しい顔で、後方を見つめています。すると一人、味方の魔女が杖に乗って飛び込んで来ました。うちの部隊がサイコキネシストばかり揃えているのは接近戦を想定していないということでしょう。
「どうだ?」
「先に川を見てきたが渡れそうにない。川まで逃げ切っても袋のねずみだ。川に追いつめられるよりは山岳地帯に逃げ込もう」
考え込むカーキの魔女。
「やむを得ないか。岩山ならばサイコキネシストをそろえてきたこちらに分がある。ソウワ一人を伝令として飛ばし、救援がくるまで岩山に身を潜めよう」と、少し不安げなカーキの魔女。
「いや、このまま道をすすめ」とヴェルン。ヴェルンはおもむろに立ち上がり、御者台に移動します。そして御者に「この馬車を先頭にすすめてくれ」と指示しました。
「ヴェルン、なにか秘策があるんですか?」
「わたしが橋を錬成する」
「そんな時間はない」とカーキの魔女。
「わたしなら馬車の上から橋を造れる」
と自信ありげなヴェルンです。
「ばかな」とカーキの魔女。「そんなことが出来るわけがない」
ヴェルンはカーキの魔女を無視し、ソウワと呼ばれる魔女に質問しました。
「川幅は?」
「元の橋は三十メートルほどだ。とても無理だろう」
「高さは?」
「一番深いところで人がくぐれるくらいの高さは必要だ」
ヴェルンはやはり自信ありげに、何度か頷きました。
「おそらく魔力が足りなくなる。ナピ、途中で杖を貸してくれ」
「はい。でも役にたちますか?」
「一度借りている。問題ないはずだ」とヴェルン。
わたしたちの馬車はペースを早め、車列の先頭に出ました。主導権をヴェルンに取られたカーキの魔女は戸惑っているようです。そんなことできるわけがない、と言ったものの、ヴェルンの立ち居振る舞いからにじみ出る自信に期待を寄せているようです。一方で黒の魔女やソウワは杖に乗って四台の馬車の間を飛び回り計画を共有したり、追手を警戒したりしているようです。そして黒い魔女が報告にやってきました。
「追手は距離を詰める気はないようだ。危険を犯さずにわれわれを川に追い詰めるつもりらしい」
「そうか。敵とてこちらの戦力は分からないはずだからな」
とカーキの魔女は上の空で応えます。カーキの魔女は急にヴェルンに興味を持ち始めたような、そんな印象です。ヴェルンはというと、御者台で集中力を高めている、といった様子です。やがて川が見えてきます。
「速度を落として、橋があるつもりで馬車をすすめてくれ」とヴェルン。
「そんなことが、出来るわけがない」
とカーキの魔女。ソウワと呼ばれる魔女がやってきて「わたしは追手を牽制する」と言い残し飛び去りました。
「そんな芸当ができるのはあのノイル隊の錬金術師くらいだ」
カーキの魔女は当惑が隠せない様子……。いや、止めようとしないあたり本当は期待しているのかもしれません。当然ですが御者のおじさんも戸惑っています。
「臆するな」とヴェルン。「山に隠れるのも分の悪い賭けだ。だったらわたしを信じてくれ。橋があるつもりで馬をすすめろ」
川が近づいてきます。ヴェルンは御者台に立ち上がり、杖を高くかまえました。空間がぎゅっと圧縮されたような妙な感覚を覚えます。キーンと耳鳴りが響きます。ものすごい空間魔法圧です。
「魔法圧が……」
わたしは左手でこめかみのあたりを押さえました。カーキの魔女に目をやると、彼女は顔を歪めて片耳を抑えていました。しかし
前方を見るとどんどん川が近づいてきます。そこにはもともと石橋が架かっていたような痕跡が見て取れます。いくら御者が覚悟を決めてもこれでは馬が怖がるのでは? と思った刹那、ヴェルンが叫びます。
「錬金術の真髄をその目に焼き付けろ!」
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