第19話
コモスベの悲痛な叫びがライラプスに届いたのでしょうか。でかい犬がものすごい勢いででかい狐を追いかけていきます。ライラプスは一瞬で木々の中へと消えていきました。ライラプスが先を行ってくれればわたしは安心です。わたしも気持ちを切り替えて犬を追います。
「ライラプス!
すると森の中から「わんっ!」と聞こえます。賢い犬ですねぇ。わたしもそちらに向かって必死で走ります。すると今度はもう少し甲高い声で「ぎゃっぎゃっ」と
「コモスベ!」
ぜえぜえという息はしていますが喉を押しつぶされて声が出せないようです。わたしは杖を大きく振り回しコモスベの喉に触れるか触れないかの位置でぴたっと止めます。魔法をこめるとあたり一帯の空気が重くなったような感覚を覚えます。追跡も戦闘もライラプスに任せきりですがこれだけは自信があります。治癒魔法です。緊急事態なのでそれっぽい呪文も無しです。
コモスベの苦しそうな息遣いが軽快になり、突然大声で泣き始ました。ぴえーぴえーぴえー、とそれはもう大きな声で。わたしはコモスベを抱き寄せて声をかけます。
「もう大丈夫ですよ。ライラプスのおかげですね。――私の名前はナピです」
木々の間ではライラプスと狐が唸り合ったり、噛みつき合ったり、取っ組み合ったりしています。普段寝てばかりの犬が今日は殺気立っています。覚醒ですね。犬はばっと狐にとびかかり喉元にかみついたようにみえましたが、狐もひらりと身をかわし、犬のお尻のあたりにかみつきます。ギャっと鳴く犬。そしてまた威嚇の鳴き声が響き、取っ組み合いが始まります。
犬と狐が大騒ぎをする間、わたしの腕の中では少女が泣き叫んでいます。ぴえーぴえーぴえー、とそれはもう大きな声で。
「ライラプス、コモスベは無事です。無理しなくてもいいですよ!」
すると犬と狐の唸り声は少しずつ収まり、狐の唸り声はだんだんと遠ざかり、ライラプスが前足を引きずるようにして戻ってきました。ライラプスはわたしの腕の中で泣いている少女を
わたしはライラプスを
「ライラプス、今日は本当に助かりました。――足をやられましたね?」
「ライラプス、足怪我したの?」とコモスベ。
「コモスベ、立てますか?」
コモスベは自分の足で立ち、ライラプスに抱きつきました。コモスベは体中すり傷だらけで泥だらけです。すり傷は今は治さなくてもいいでしょう。
「コモスベ、そのままライラプスの気を引いておいてください。足を診てみます」
そう言って、わたしはそっとライラプスの前足の怪我のあたりを触ってみます。骨が折れているというようなことはなさそうです。そしてわたしは手で触った状態で魔力を込めてみました。
「……ん?」
手ごたえがない。
「ライラプス治る?」とコモスベ。
「これは……。奇妙です……」
石に魔法をかけているみたいに手ごたえがない。
「治らないの?」
「大丈夫ですよ。骨は折れていないので痛みが落ち着けば自分で歩けるでしょう」
ライラプスは自分で自分の傷を舐めました。するとわたしたちが来た方から軽快な声が聞こえます
「みなさんご無事ですかー?」
ホムです。紺色の魔女ヴェルンの使い魔です。すぐ後ろからヴェルンもついてきています。わたしは手を振りました。ホムが軽快に駆け寄ってきてくれました。
「あの少女たちが知らせてくれたんですね?」
「見たことのない魔女が知らせてくれましたよ。先に行くって言ってましたけど……、見当たりませんねぇ」とホム。
「見たことのない魔女? 誰でしょう。ポッセ経由でヴェルンに知らせが行ったのでしょうか」
するとヴェルンがやってきます。
「てっきりナピの知り合いかと思ったけどな。東洋風の黒い魔法衣だった」
とヴェルン。彼女はそのまま付近を警戒するように視線を四方に向けました。
「被害者はこのコモスベだけです」と、わたしは状況を報告します。「コモスベは赤茶色の大きい狐に
「そうか。みんな無事なら何よりだ」とヴェルン。そしてライラプスを見て「お手柄だったな」といって軽く笑いました。
「ほんとにそうですよ。ライラプスがいなければどうなっていたことか……」
ライラプスは自分の傷を舐めています。そしてむっくと起き上がり歩き出しました。大きな白い身体を揺らしながら街の方へと帰っていきます。なんだか人の言葉を介しているように思える時があったり、気まぐれに行動しているようにも見える。不思議な犬です。コモスベがその不思議な犬、ライラプスを追いかけていきます。
「ああー、コモスベ! みんなから離れないでください!」
わたしたちはライラプスとコモスベを追って街に戻りました。
▣
コテージに戻ると、わたしは中庭の作業台に割れた玉子のはいったバスケットをぞんざいに置きました。わたしは椅子にすわり、作業台の上に上半身をぐったりと横たえました。足がパンパンです。
「今日は走りましたね……」
わたしはなんとなくライラプスのことを考えます。イワダレ池で出会った猟師は、ライラプスはもともとは飼い犬で、飼い主の一家は戦争で死んだと推測していました。
「いや、この話じゃなくて……」
「ニャー」
突然ネコの鳴き声が聞こえました。姿は見えないけどコケモモでしょう。このあたりに居ついた黒白猫です。
「ライラプスの事でさっき何か引っかかったんですよね。――考えが飛んでしまいましたが」
「ニャー」
「コケモモー? 割れた玉子食べますかー?」
「ニャー」
わたしはずっと作業台に突っ伏しているのですが、わたしからは見えない場所でコケモモが鳴いています。なんか様子が変ですね。わたしは重たい身体をおこしました。
「ねこー? どこですか?」
すると
「コケモモ、あなたの子ですか?」と尋ねると、「ウヤーッ」と鳴きます。否定しているようです。
「コケモモ、いつの間に出産したんですか?」私がたずねると、コケモモはまた「ウヤーッ」と鳴きます。否定しているようです。
「冗談ですよ。怪我してるネコを見つけて拾ってきたんでしょうね。大丈夫、何とかなりますよ」
わたしは子猫を抱えてコテージの中に連れて行きました。バスケットに適当なボロ布を敷き詰めて子猫を横たえてやりました。それをテーブルに置くと、コケモモもおそるおそるコテージに入ってきてテーブルの上に乗り、心配そうに子猫を見ています。
実はわたしは一度もコケモモに触れたことがありません。それなりに心を開いてくれているようですが、触らせてはくれないのです。今なら触れそうな気がしたので、子猫を心配そうに見つけるコケモモにわたしはゆっくりと手を伸ばしてみました。するとコケモモはひょいっと飛びのき、棚の上に移動しました。
「…………」
さて、子猫を診てやります。明るい灰色でお腹の方は白です。かなり衰弱しているようですね。鳴き声も上げません。足を怪我していますが怪我は大した事なさそうです。そもそもこの子猫、自立できる
わたしは杖を取り出して治癒魔法をかけてやりました。周りにいるのが猫だけなのでそれっぽい呪文を
「みゃあ」と子猫。弱弱しいなりに鳴き声を上げました。
「少しは元気が出たみたいです。あと問題は栄養状態でしょうね」
そう呟くと、棚の上で大人しく見ていたコケモモが降りてきて、子猫に寄り添い足をぺろぺろと舐め始めました。
「わたしが治療出来ることを知っていたんでしょうか……」わたしが呟くと、
「ニャー」とコケモモ。
「コケモモ、触ってもいいですか?」
「ウヤーッ」とコケモモ。
「触るのはだめなんですね。わかりましたよ。わたしはミルクをもらってくるのでお留守番しててくださいね」
「ニャー」
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