第18話

 市場で食料品の買い物をした帰り道、例のでかい白い犬に出くわしました。往来の真ん中、気怠けだるそうに横になっています。しかし頭だけすっと持ち上げてわたしの方を見ています。


「ライラプス、今日は玉子があるので飛びつくのはやめてくださいよ」


 ライラプスは尻尾を左右にふっています。わたしはバスケットを両手に抱えてゆっくりとライラプスの横を通り抜けます。


「いい子ですね、ライラプス。また今度遊びましょうね」


 わたしは無事ライラプスをやり過ごしました。越してきてから随分と経ちますから犬とも仲良くなったし、猫とも仲良くなったし、顔見知りも増えました。コテージまでの道を歩いていればいろんな人に挨拶されます。しかしポッセの屯所を超えると人通りは減ります。森が近いですからね。とくに子どもたちはそれ以上先にはいかないように言いつけられている様です。


 しかし今日は脇道の先に女の子たち三人が遊んでいるのが見えます。脇道の奥には森があります。一人は犬のライラプスと仲が良い少女。名前は確かコモスベ。いつもクリーム色のチュニックに赤い帯を巻いている少女です。他のふたりはよく見かけるけど名前は知りません。


「森に近づくと危ないですよ!」

 わたしは遠くから大きな声を出して注意をしました。

「とんぼ!」

 少女たちが応えます。少女たちの指さす先には青と緑にキラキラときらめくトンボがいます。なるほどトンボを追いかけていたんですね。

「魔除け鈴はもってますか?」

「忘れちゃった」と少女の一人。

 わたしは自分の鈴を渡しておこうと近づきますが……、その瞬間!


「!?」


 草むらから勢いよく飛びだした赤茶色の影が少女コモスベの腕に食らいつき、そのまま茂みの中へと少女を引きずり込んでいきました。


「コモスベ!」


 わー! きゃー! と、少女たちの悲鳴が響きます。わたしは玉子の入ったバスケットを放り投げて少女たちの元へと走り出します。――と同時に腕を振り回して虚空から杖を取り出しました。


 さらわれたのはコモスベ一人です。わたしは残りの二人に駆け寄り、「コモスベはわたしに任せて。二人はポッセの屯所まで走って誰か呼んできて!」と、それだけ伝え、コモスベを追って茂みをかき分け、森の中へと入っていきました。

 森の中にはコモスベの悲鳴が響いていますから、その声を追ってわたしは走りました。枯れ葉に足をとられ、枝に顔を引っかかれ、すぐに息が上がってしまいます。

「コモスベー!」

 はあ……はあ……。

「どこですかー?」

 はあ……はあ……。すると、

「ヴェルン! 助けてー!」

 と、森の中にコモスベの悲痛の叫びが響きます。さすがヴェルン、わたしよりも人望がありますね。

 はあ……はあ……。

 困ったことにわたしは体力には自信がありません。しかし相手は子どもを引きずっているわけですから、そんなわたしでもすぐに目標が見えるところまで接近することができました。

「狐か……」

 はあ……はあ……。


 大きい狐です。あの大きさ……、怪異でしょうね。大きい狐がコモスベの腰のあたりに噛みついて頭を左右にふっています。コモスベが暴れるものだから運びやすいように体勢を整えているように見えます。


 わたしは、いま行きます! と叫ぼうとしましたが息が続きません。するとコモスベは、

「ライラプスー!」と叫びます。


 今度は犬ですか。まぁ、仲良しですからね。しかしわたしの名前は一向に呼んでもらえません。犬でさえ呼ばれたのにわたしは頼ってもらえません。頼りない魔女で申し訳ないですね。コモスベの奴、そもそもわたしの名前を知らない疑惑が出てきました。


 次の瞬間、大きな狐はコモスベの首根っこに噛みつきました。コモスベは「ヴェッ!」と声をあげてちぢこまり、暴れるのをやめてしまいました。


「コモスベ!」


 でかい狐はそのまま森の奥へとコモスベを引きずり込んでいきます。わたしは慌てて追いかけます。なんとかわたしの魔法力圏内に入れてしまえば、つる性植物を使って動きを止められるはずです。ゴーレムのようなパワー系には無力ですが、大きいとはいえ狐ならば……。わたしはハッとして足を止めてしまいました。


「わたしが森に誘い込まれてる……?」


 思わずあたりを見渡しますが、異常は見当たりません。ゴーレム錬成は南方の魔術師、ヘルメティシストが得意とする術です。狐が召喚獣だとすれば今回の敵は召喚士サモナーです。となると同一人物ということはなさそうですが、協力しているという可能性はあります。


 狐でわたしを誘い込んで、ゴーレムが待ち伏せしている……?


 わたしが思案を巡らせているうちにコモスベを引きずった狐はどんどんわたしから離れていきます。首根っこを噛みつかれているコモスベが声を上げなくなった今、狐の姿を見失うのは危険です。わたしは再び走り始めましたが、追跡に集中できません。物陰から、木の上から、背後から、ゴーレムが飛びかかってくるのではないかと思うと気が気ではありません。そうこうしているうちに狐とコモスベがどっちに向かったのかほとんど分からなくなってしまいました。


 ――救援を待つのが賢明でしょうか。


 と、そう思ったその時、背後からザザザザザッとリズミカルな足音! 何かが下草をかき分けるような音がものすごい勢いで近づいてきます。わたしは杖を握りしめて振り返ります。わたしが振り返ると同時にものすごいスピードでわたしの横をすり抜けて行く白い影、犬です!


「ライラプス!」

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