第17話

 先ほどシクリーンが口をつぐんだ時、この子がどんな推測を巡らせたのかは分かります。それは部外者のクシュギワさんに話せない内容ですからね。二人でコテージに戻る道すがら、シクリーンはその推測をわたしに打ち明けました。

「ナピさんがお嬢様の治療をされているから命を狙われているのでしょうか?」

「実はわたしはそうは思っていないんですよ。最初にゴーレムに襲われた時、わたしがお嬢様の治療にあたっていることが人に知られていたとは思えないのです。すこし時系列を追って考えてみましょう」


 わたしのコテージに戻ると、外の作業台でシクリーンと少し話をしました。


「病院にて初めて執事のキピトイチャさんにお会いした日が十日前の二十二日です。その時に診てもらいたい人が居ると依頼されました。でもすぐには都合が付かないということで、結局お屋敷に出向いてお嬢様を診察できたのは二十五日でした。この時、わたしは完璧にメイドに変装していましたよね」

「……」

「なんですか? わたしの立ち居振る舞いになにか問題が?」

「いえ、そういうわけではないのですが……、あの……。それは別にしておいても、貴族の世界は謀略の世界なんです。謀略と情報戦は日常茶飯事です。もちろん最善の手を尽くしましたが、絶対にばれていないという確信は持てません」

「そういうものですか……」

「はい。――その後お嬢様がマナーハウスに移られたのは二十七日です。行き先は隠しましたがそれでも人目を引いたと思います」

「ですがその移動にわたしは参加していません。そしてわたしが最初にゴーレムに襲われたのは一日です。つまりですよ、手紙のやりとりはあったものの、その時点ではわたしが実際にウタイーニャ家を訪れたのは二十五日の一回だけなんです。それに、最初にゴーレムに襲われた一日の時点でお嬢様は快方に向かっていませんし、わたしはお嬢さまの病気を治す方法を掴んでいません。ヴェルンからアグリコラの花鳥紋について聞いたのはその直後なんです。――わたしがお嬢様に関わったことで誰かの不興を買ったと考えるには、襲われるタイミングが早いと考えています」

 シクリーンは納得してくれなかったみたいですが、その点は保留にして話題を別の方向に移しました。

「仮にナピさんが狙われているとして、犯人はどうしてナピさんが森に入るタイミングを知っているのですか?」

「最初の時は石化した人が居ると通報があったのです。この付近の森で石化している人が居れば、治療に向かうのはわたしです。誰かを石化させてしまえばそこで待ち伏せすることができます。しかも召喚獣であるバジリスクを使えば、犯人の悪意を相当程度誤魔化すことができます。実際、石化した男性もバジリスクを召喚した何者かに対するうらみつらみは口にしませんでした。ジングマリの森ではそれくらいのことはあり得るし、それくらいは自己責任の範疇範疇と考えているのですね。ちなみにその時石化した人を見つけたのはヴェルンの使い魔です。

 そして今日はというと、ポッセにルビアを集めてほしいという依頼があったのです。ルビアは薬草ですから、やはり薬草の知識のあるわたしがルビアの群生地に出向く可能性は高い。そしてそれはコノハチョウの池である可能性が高い」

「そういうことだったんですね……。そうなると、そのルビアの採集を依頼した人があやしくないですか?」

「依頼人は国境警備に当たっている軍です。軍は普段はこんな依頼をしないらしいのですが、今はルビアは品薄になっているんですよ。宮殿の改築の影響でリダトゴでは市場からルビアが消えたそうです。ルビアは赤い染料であり止血剤ですから軍にとっては必需品です。必需品のルビアが逼迫ひっぱくしてきたとき、軍が地元のポッセに調達の依頼を出すことは不自然ではありませんし、軍が調達に動きポッセに依頼したとなればいろいろな人の耳に入るでしょう。――実際、薬局さんも軍がポッセに依頼していたことを知っていた様子ですし……。そうなってくると依頼人の線からゴーレム使いを特定するのは難しいと思いますね」


 誰がわたしを襲わせているのかも分からないし、何のために襲わせているのかはもっと分かりません。シクリーンは黙り込んでいろいろと考えを巡らせているようです。


「もしナピさんが命を狙われている原因にお嬢様のことが関係してるならば……、わたしの腕を切り付けた犯人はゴーレム使いと同一人物か、一味ということになりますよね?」とシクリーン。

「そんなに思いつめないでください。まだ仮定の話ですよ。犯人を特定するために被害にあった現場を歩き回るとかやめてくださいよ?」

 その日の推理はそれくらいにして、シクリーンは日が落ちる前に宿に帰っていきました。




 翌日、わたしはシクリーンにルビアの根の洗浄を頼み、少し遠くの病院のお手伝いに行きました。病院でのお仕事は何事もなく終わり、昼頃にコテージに戻るとシクリーンがうれしそうに出迎えてくれました。

「ルツフェさんがお手紙が来ました」

 ルツフェさんはお嬢様のメイドのなかで最年長の方ですね。わたしは勝手にメイド長とあだ名をつけています。

「目に見えてお嬢様の症状が回復しているとのことです」と、シクリーン。

「と言うことは推測は正しかったようですね」

「はい。ナピさんのおかげです。ありがとうございます」

「よかったですね」

「はい!」


 シクリーンの様子からは安堵あんどしたという感情が読み取れます。本当にお嬢様を慕っているのですね。わたしが患者さんから差し入れにもらったコケモモのパイの包みを作業台の上に乗せると、シクリーンはお茶の準備をしてくれました。


「お嬢様は明日にはお屋敷に戻られるそうです」とシクリーン。

「明日ですか……。早くないですか?」


 シクリーンがお嬢様の元を離れたのが一昨日の夜。昨日はルビア採り……。ふむ。三日もすれば虫は死ぬという話でしたが、もう一日くらい余裕を持った方がいいような気がします。しかしシクリーンが計画を教えてくれました。

「明日の午前中にはお嬢様がお屋敷に戻られます。わたしはその後で今お嬢様が滞在しているシオツージのマナーハウスのお片付けに向かうということみたいです。わたしはもうしばらくお嬢様にはお会いできません」

「なるほど、入れ替わるわけですね。そういうことなら心配ありませんね」


 お嬢様もゆっくりなさればいいと思うのですが、そこは復帰を急ぎたい事情があるのでしょうね。政界にも関わっているという話でしたし、もう既に二週間くらい体調不良を世間から隠しているわけですから。


 シクリーンはルビアの洗浄を午前中にすっかり終えていて、コテージの中も掃除してくれたみたいです。さすが良家のメイドですね。シクリーンのことですから明日の朝もお手伝いに来てくれることでしょう。


 二人でコケモモのパイを食べながら少しゆっくりしていると、どこからともなく黒白の猫がやってきました。鳴くでもなく、ゆっくりと歩いてわたしの元に近づいてきて座りました。そしてわたしをじっと見ています。

「なんでしょう、パイが欲しいのでしょうか……」とわたしがつぶやくと猫は「ニャー」と鳴きました。

「この猫はよく来るんですか?」とシクリーン。

「いや、初めて見ましたよ。でもネズミけになるので手なずけておいてもいいかもしれません」

 わたしはコケモモのパイをその黒白猫に少し分け与えました。猫はパイをくわえて崩れかけた石積みの上に移動しコケモモのパイを楽しんでいます。石積みはわたしのコテージの北側の境界を示しています。ネコには安心できる場所なのでしょう。




 目論見もくろみ通り、黒白猫はわたしのコテージ付近に居ついてくれました。黒白猫にはコケモモという名前をつけました。仮にも薬を扱っている場所ですからネズミ除けになる猫は歓迎です。しかし猫に毒になるようなハーブの扱いには気を付ける必要がありますね。


 イヨクナお嬢様もすっかり良くなったそうです。あの不気味な浅黒い紋様もすっかり消えたそうです。メイドのシクリーンももうお屋敷に戻ったそうです。ただ……、誰の策謀だったのかは分からずじまいです。しかし、お嬢様が狙われること自体に不思議はないというのが共通認識のようです。となるとまた別の事件が起きそうだなと、そんな気がしますね。


 後日、ゴーレムについてヴェルンに相談に行きました。一応耳に入れておこうと思った程度だったのですが、かなり真剣に聞いてくれました。それは当然かもしれません。治安維持のために付近の情報収集を担っていると語っていましたからね。しかし犯人をつかまえてくれるんですかと問うと、

「それは期待しないでほしい」と、けんもほろろ。

「そんな。冷たい」

「追跡、捜査、制圧みたいなのは得意ではない。しかしわたしの手の届く範囲に逃げ込んできてくれれば安全は確保しよう。そういうのは得意だ」

「ありがとうございます。その時はお願いしますね」

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