第15話

 さて、本来の目的地はイスハレフ廟よりも奥にあるイワダレ池です。


 すこし道が険しくなりますが、そうは言っても草や枝をかき分けるというほどではありません。たまに枝がかぶさってくる程度です。前を行くシクリーンよりわたしの方が背が高いので、シクリーンが破らなかった蜘蛛くもの巣がわたしの顔にまとわりつきます。ちなみにシクリーンとて池まで行くのは初めてだとのことです。


「池が見えましたよ」とシクリーン、しかしすぐに「あれ、犬がいます。こっちに向かってきます! きゃーっ!」と悲鳴をあげます!


「気を付けてください!」


 わたしは歩を速めてシクリーンとの距離を縮めますが、水面をキラキラと輝かせる池が視界に飛び込んでくるのと同時に白いでかい犬がわたしに飛びついてきました。犬は前を行くシクリーンを無視して、わたしに飛びかかってきたのです。

「ひいっ! おま……」わたしは尻もちを付きました。

「ナピさん!」

「大丈夫です。知り合いです」


 そう、なぜかポッセの屯所あたりを徘徊している犬。治癒魔法師ヒーラーに飛びつき、引っ張り、追いまわすという犬、ライラプスです。


「おまえ、こんなところまで縄張りなんですか?」

 ライラプスはわたしの顔を舐めました。なんかいつもより友好的に思います。

「ナピさん、怪我はないですか?」

「大丈夫です。この犬にはかばんを噛まれたり服を引っ張られたりしますが怪我をさせられたことはないんですよ。――それにわたしは怪我は治る体質ですから」


 思わぬ出会いでしたが、私たちは犬のライラプスをなだめてから作業を開始しました。ライラプスはこの池をねぐらにしている様子ですね。巣穴というほどではないですが、草むらにあるくぼみに納まってくつろいでいます。わたしたちは池の周りを歩き、ルビアを見つけては掘り棒でほじくっていきます。ルビアの根からは止血剤が作れますが赤い染料にもなります。


 池のほとりの木に縄がしばりつけられているのを何か所かで見つけました。よく見るとその縄は池の中へと伸びているのです。田舎育ちのシクリーンによると魚を獲る網や巻貝まきがい漁のかごを沈めてあるんだとか。

「巻貝? 食べるんですか?」

「美味しいですよ。都会育ちの人は抵抗あるかもしれませんけど」


 なんだか、"都会人には分からないだろ"みたいなあなどりを感じますね。シクリーンにそんなつもりは無いでしょうけど。


 働き者のシクリーンは黙々と作業をしていますが、働き者じゃないわたしは少し背中を伸ばしたり肩を回したりしてなまけています。池に目をやりますと、水はきれいとは言いがたいですがそれほど嫌な臭いはしません。水面からは立ち枯れになった木が何本も何本も伸びています。水に浸かった立ち枯れの木……。これは池が新しいことを意味します。


 ふむ……。


 少し不自然な感じがするんですよね。林立りんりつする立ち枯れの木は、森の中に突然池が現れたことを示しています。にもかかわらず、このあたりの森も一度燃えているような痕跡があります。若い森なのです。三年前に森が燃えた後に水がたまったと仮定すると、池の中に林立する立ち枯れの木は不自然ですよね。違和感のなぞはこれです。森は若いのに池に沈んでいる枯れ木は――もちろん頭しか出ていませんが――何百年も生きてきたような立派な木のように思えるのです。三年前のイスハレフ隊焼き討ちの直前くらいに土砂崩れかなにかで川がせき止められたのでしょうか……。


 きょろきょろと池を見渡すとすぐに答えがでました。岩ですね。池の南の岸に巨大な一枚岩の頭が見えています。その岩の横から池の水が流れ出ているようです。すこし遠くて分かりませんがイワダレ池というくらいですからそうなんでしょう。鉄砲水かなんかで巨大な岩が転がってきて川を堰き止めた、と言ったところでしょうか。


 わたしがじっと池を眺めていると突然ばしゃっという音が聞こえました。そちらに目をやると、それは水浴びをするライラプスでした。

「犬はお気楽でいいですね……」

 わたしは思わずつぶやきます。わたしも仕事を怠けている最中なんですけどね。

 ライラプスは水かきで泳ぎ回り、そしてわたしの方を見てわんっと吠えます。ずいぶんと好かれたものです。

「はいはい。泳ぐの上手ですね、ライラプス」


 すると背後から人間のおじさまの声が聞こえました。


「やあ? 先客とは珍しいね」


 振り返ると、年齢はいっているものの引き締まった体つきのおじさまでした。ゆったりとした衣服に身を包み、背中には雑嚢ざつのう、腰には短刀とノウサギをぶら下げています。格好から察するにわな猟師でしょうね。

「こんにちは。ルビアを採集しています」

「自由にやってくれ」

 とおじさま。しかし池で泳ぐライラプスを見ると弱ったなぁというような顔をします。漁の邪魔になるのでしょうか。

「あの犬はここによく来るんですか?」と、わたしは尋ねてみました。

「あいつか? あいつはここをねぐらにしているようだ。泳いでいるところは初めて見たが……」

「野良犬は群れて行動するものだと思ってましたよ」

「あれは人に育てられんだろ。飼い主一家は焼け死んだが、ここで主を待ってるとかそういうんじゃないか? それこそ、あいつは泳げたから助かったのかもしれないな。知らないが」

「そういえば日中は街にいるんですよ。自分を人間だと思ってるのかもしれませんね」

「なるほど。主人の行商行商に付いていく習慣があったのかもしれないな」

 と、おじさま。わたしは思いがけずライラプスの悲しい過去を知ってしまいました。


「ライラプス……。お前も戦争の被害者だったんですね」


 ルビアがバスケットに一杯になると、わたしたちは池を後にしました。馬車は昼前には街に着き、わたしとシクリーンは停車場からバスケットを抱えて歩き始めます。すると慌てて走る女性に呼び止められました。ポッセ屯所たむろしょの女性事務員クシュギワさんでした。


「ナピさん、いいところに! けが人が出たので屯所までお願いできますか?」


 クシュギワさん、息も絶え絶えです。わたしが「はい」と応えるよりも早く、シクリーンが「荷物はコテージに運んでおきます!」と言ってわたしの抱えていたバスケットを奪いました。

「お願いします!」

 わたしは走り出しました。

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