第12話
わたしはへたり込んで泣いているシクリーンに駆け寄って、肩を抱き寄せてやりました。
「まだ推測ですが、シクリーンが利用されたんだと思います。だとしてもあなたのせいではない。あなたは悪くない」
シクリーンはゆっくりと話し始めます。
「お嬢様が体調を崩される……三日か四日前でした。夕刻、わたしは石鹸を買いに行きました。重いものでもないので一人で行ったのです。するとその帰りに物陰から出てきた――おそらく男性が突然わたしの腕を掴み、その腕を切り付けたのです」
「その時に血を取られたように思いませんか? 例えば傷口を布かなんかで拭われたとか?」
気の毒に思いつつも大事なことなのでわたしは深掘りしていきます。しかしシクリーン取り乱してしまいました。
「やっぱり……。やっぱりわたしがお嬢様の近くにいるからお嬢様が治らないんですか!?」と、シクリーン。
「わたしはそう推測しました。でも……」
「シクリーン。こちらへ」とお嬢様。
「でも、お嬢様……」
と、遠慮するシクリーン。自分がお嬢様に近づくべきでないと考えているようです。
「傷を見せてごらんなさい」
とお嬢様。今度は少し語気が強い。
「はい」
シクリーンはお嬢様のベッドに寄り、ひざまづき、腕を見せます。治りかけの傷を見てお嬢様はそっと傷を撫でました。黙って、優しく傷を撫でました。
美しいですね。愛ですね。わたしは間に割って入りたい気持ちが抑えきれず、勝手に話をつづけました。
「わたしもシクリーンの傷を診ましたが確かに小さな傷でした。痕もほとんど消えているでしょう。むしろ犯人としては、シクリーンにはお嬢様にずっと仕えていてもらわなければ困るのですから、大きな怪我を負わせることは本意ではなかったはずです」
「シクリーン、このことは報告するべきでしたよ」とお嬢様。「ウタイーニャ家の者が狙われていとすれば、他の使用人もその事を認識しておくべきですから」
「はい。すいませんでした」
「血を取られたのですか?」とお嬢様。
「それは、わかりません。暗かったので。――でもたしかに腕をつかまれて逃げられなかったので、もっと乱暴されてもおかしくはない状況でした。ナピ様の推測とつじつまが合っているように思います」
「許しがたいですね」とお嬢様。シクリーンをいつくしむ顔が少し険しい顔に変わりました。「わたし自身は呪いをかけられるくらいの覚悟は出来ているんです。でもシクリーンを傷つけたことは許しがたいですね」
「お嬢様。もったいないお言葉です」
とシクリーン。シクリーンはお嬢様の手を強く握り、声をあげて泣き出してしまいました。
美しいですね。愛ですね。わたしは間に割って入りたい気持ちが抑えきれず、勝手に話をつづけました。
「三日か四日シクリーンをお嬢様から遠ざけておけば、この推測が正しいかどうかはっきりすると思います」
「そうですね。そうしましょう」とお嬢様。「ナピさんの仮説が正しいとした場合、シクリーンを
「そんな、わたしは親戚を頼りますので気になさらないでください。大体がわたしのせいでお嬢様が……」
「シクリーン、あなたは自分を責めてはいけませんよ」
「ですが、ですがお嬢様。お屋敷にもお嬢様の元にも居られないとしたら、わたしは何をすればよいのですか?」
「しばらくわたしのもとから離れていることがあなたの仕事です」
「はい……」
と、シクリーン。するとメイド長が口を開きます。
「この街には宿がありません。シクリーンを街に戻すなら早い方がいいですね。馬車を用意させますのでナピさんも乗って行ってください」
「それは助かります! 明日は朝の涼しいうちに済ませておきたい仕事がありますから」
メイドの一人が部屋から出ていきました。馬丁に状況を伝えに行ったのでしょう。シクリーンも涙をぬぐいながら「準備をしてまいります」と言って部屋を出ていきました。
わたしはというと、痛み止めの薬を持ってきたので服用方法をメイド長のルツフェに説明していました。するとお嬢様がわたしに尋ねてきます。
「
「はい。ルビアの根を集めるように依頼されているのです」
「ハーブですか。ナピさんはハーブの知識も豊富でいらっしゃるのですね」
「いえ、そんな立派なものでは……」
するとお嬢様はなにか
「そうだ! そういうことでしたらシクリーンにお手伝いさせましょう。ナピさん、使ってやってくださいませんか? あの子は農村育ちなので役にたつと思いますよ」
と、お嬢様。
▣
温かいミルクの匂いで目が覚めました。メイド姿のシクリーンがポリッジを作ってくれています。素晴らしい光景ですね。コテージが狭くて
「ごきげんよう。シクリーン、今日もいい天気ですわね」
「おはようございます、ナピ様。魔法使いの衣装や装身具に慣れていないものでお着替えの準備が出来ていませんが、なんなりとお申し付けください」
お嬢様ごっこを仕掛けたのに自然に返されてしまいました。
シクリーンは近くに宿をとっています。わたしが起きるよりも早く、このコテージにやってきたのです。わたしとしてはこんな汚いところに良家のメイドを泊めるのは気が引けたし、向こうとてわたしの狭いねぐらからシクリーンの寝床分の
わたしはベッドの上でしばし放心します。たしかにわたしはシクリーンにお手伝いを頼みましたが、わたしの計画ではわたしが出かける準備が出来た頃にシクリーンがやってきて、一緒に出かけるという形でした。そのシクリーンはいま、手際よく朝食の準備をしています。それを横目にわたしはベッドの上で放心しています。ベッドの上で放心することはわたしの日課です。メイドに甘えているわけではない。人生において着替えを手伝ってもらいたいなどと思ったことは一度もありません。
「そこまでは求めていません」
「? なにかおっしゃいましたか?」とシクリーン。
「シクリーン、中庭で一緒に朝食をとりましょう。おかゆ、ありがとうございます。わたしはお茶をいれますね」
中庭にある机は本来は作業台なのですが、わたしはよくここで食事をします。天気がよければ気持ちがいいですし、コテージの中は埃っぽいですからね。わたしが準備をしていると、
「わたしもご一緒してよろしいのですか?」
とシクリーン。やはりわたしのメイドをするつもりだったのでしょうか。
「わたくし一人住まいですから、シクリーンと食事が出来ることを楽しみにしていましたのよ」
「そうなんですね。わたしはお屋敷に住み込みですから、魔法使いのナピさんのお手伝いをさせていただけて新鮮な気持ちです」
「さあ、シクリーンもお茶を召し上がって。わたくしが作りましたミントとカモミールのハーブティですの」
その時かさかさっとコテージの生垣が揺れる音がしました。そっちに目をやると、人ならざる者がわたしたちの朝食を覗いていました。ホムです。ヴェルンの使い魔がわたくしのお嬢様ごっこを覗いていたのです。
「ナピさん……。何してるんですか?」
「あら、ホムさん。ごきげんよう」
ホムは首を傾げました。シクリーンもぽかんとして戸惑っています。人ならざる者に慣れていないのでしょうか。それともわたしが
「そういえばホム、ルビアの群生地など知りませんか? 今日はルビアの採集にいこうと思っているのですが」
「ルビアでしたら、コノハチョウの沼に群生していますよ」
「やっぱりそうなんですね。ポッセから依頼を受けた時にもそこをおすすめされました。でも今日はシクリーンが一緒なのでジングマリの森から遠いところでどこか知りませんか?」
「そうですね……。イスハレフ廟の向こうの池にもありますよ。イワダレ池とか呼ばれています」
「わかりました。そこに行って見ましょう。ああ、そうだホム。ヴェルンにお茶を持って行ってください」
「ありがとうございます。マスターも喜ぶとおもいます」
わたしは自分で作ったカモミールミントティーをホムに渡しました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます