第9話

「この鈴をつけていれば怪異かいいは寄ってこないんですか?」

 私は森の中を歩きながら先を行くヴェルンさんに尋ねました。

「意図を持っていない怪異は寄ってこない。しかし人を傷つける目的を持った怪異はその限りでない。それに、この森には怪異のみならず悪意をもった魔法使いや野盗やとうたぐいがいても不思議はない」

 なるほど、警戒はしておくべきですね。 

「そもそも、この森はなんなんですか? なんでこんなにあやしいんですか?」

 私がそう尋ねると、先を行くヴェルンさんは一度振り返り、一呼吸おいてから話し始めました。


「ここはジングマリの森。内戦では激戦区のひとつだった。三つの国にまたがる国境地帯にあって国家主権の及びにくい場所ということもあり、先帝の目指した専制君主体制に反発したさまざまな武装勢力がこの森に集まった。当時はラパラティナ公国を盟主とする聖血同盟と様々な魔法主義マギクラティズム勢力が反皇帝派として同床異夢の共同戦線を張ったものだ。知っての通り、今は先帝は退位し帝国はひとつにまとまっている。ところがそれでは腹の虫が収まらない魔法主義マギクラティズム勢力は森の中や、国境の向こう側を拠点にして武力闘争を続けている」


 ふむ。三年前に戦争は終わり、帝国はまとまりを取り戻したというのがわたしの感覚だったのですが、この地にはまだ火種が残っているのですね。ヴェルンさんは続けます。


「こちらウコタンポポ帝国側は治安は良いと言えるが、魔法使いと不佞ふねいの平等をことさら強調する新体制の下で都会に居づらくなった保守的な魔法使いたちが集まってきていて、警戒感が高まっている」

「ほう、都会に居づらくなった保守的な魔法使いですか……。わたしのことですね」

「そしてこの森に怪異が多いのは、独立志向の魔女たちが意図的に怪異を放流しているからだ。この森には様々な思惑おもわくでゴーレムからピアレイからリッチー、バジリスクが放たれている」

「ホムもその一人です!」

 と、元気よく割って入ってきたのはヴェルンさんの使い魔でした。


「そういうことだ」とヴェルンさんは続けます。「怪異の存在によってこの森には国家の支配が及びにくくなっている。そこでわたしも情報収集のために森の奥にとりでを確保してある。戦時に作られた前哨ぜんしょう基地だ。そこを整備して情報収集のためのホムンクルスを数名常駐じょうちゅうさせている。今回石化した魔法使いを発見したのもホムンクルスだ」


 ホムンクルスとは錬金術師アルケミストの錬成する人造人間です。噂には聞いていましたが、見たのは初めてですね。

「ちなみにホムンクルスは知能は高いが戦闘はからっきしなのであてにしないでくれ」

 と、ヴェルンさん。するとホムが言います。

「マスター、そろそろバジリスクが出るかもしれませんので気を付けてください」

「ナピさえ無事ならばなんとかなる。ナピは一番うしろからついてきてくれ。そしてあまりきょろきょろしないように」

 バジリスクは八本足のトカゲです。目を合わせた人を石化させる危険な怪異です。しかし――、

「わたしは石化には耐性があるので心配御無用です」

「そうなのか?」

 ヴェルンさんが足をとめて振り返りました。

「石化に限らずあらゆる状態異常には耐性があるようです。というより、無意識に自分で治癒する体質みたいですね」

「便利だな」

「はい。その代わりわたしも戦闘はからっきしなんでよろしくお願いします。――それはそうと、ヴェルンさんは普段はどうやってバジリスク対策をしているんですか?」

「これはバジリスクけになる」

 そういって腰にぶら下げたイタチのマフラーを指さしました。バジリスクがイタチの体臭を嫌うという話は聞いたことがあります。彼女は続けます。

「だいたいそこまで危険な怪異がでることはまれだ。なにしろ怪異を放流しているテロリストたちもここで活動を……」

 先頭を軽快に歩いていたホムが足を止め、ヴェルンさんの方を振り返ります。ヴェルンさんは「誰かいる……」とささやき、その場にとどまるようにわたしに合図を送ります。

「わたしから少し距離をおいてまわりを警戒していてくれ」

 とヴェルンさん。


 たしかに遠くに人影が見えます。緊張が走ります。わたしは例によって近辺にツル性植物を探します。身近にツルアジサイがありました。人影の見える方向にはヤマフジもありますね。森の中ならば何かしら見つかるものです。ヴェルンさんはゆっくりと人影に近づきながら誰何すいかします。


「トーダルコンの者か? 道に迷ったか?」


 人影は両手を上げているように見えます。敵意がないことの表明でしょうか。人影は黙っていますが、ヴェルンさんは話し続けます。黙って近づいていくと警戒させますからね。ホムもヴェルンさんの後ろに下がって大人しくしています。人ならざる者が近づいても警戒させますからね。

「ここはウコタンポポ領内だ」

 しかし妙です。なにか気配を感じます。人影とは別にもっと近くでなにか……。はっ!


「上! 何かいます!」


 わたしはとっさに叫びました。

 それに反応したヴェルンさんが上を見上げるのと同時に、巨大な土塊つちくれのようなものがどしんと、ずどんと、木の上から落ちてきて彼女を押しつぶしました。


「マスター!」


 叫ぶホム。しかし、巨大な土塊が腕をぶんっと振り回すとホムはバラバラに砕け散りました。土で出来た人形のように砕け散りました。一瞬の出来事でした。わたしは杖に魔力を込めて先ほど確認しておいたツルアジサイを一息に成長させ、巨大な土塊――人型の土塊に巻きつけました。

「うおりゃぁ!」

 土塊……、これはゴーレムです。ヴェルンさんはすでにゴーレムの太い足の下です。小さい体ではひとたまりもありません。彼女の魔法衣まほういは血に染まり、小さい体はおかしな方向に折れ曲がっています。目をそらしたくなる痛々しい光景です。

「おのれぇ!」

 わたしは怒りに任せて叫び、魔法を込めて成長させたツルアジサイでゴーレムを引っ張り上げて無力化しようと試みます……が、ゴーレムが腕をぶんっぶんっと振り回すとせっかく巻きつけたツルアジサイはぶちぶちぶちっとちぎれてしまいました。わたしの魔法はパワー系にはあまりにも無力です。ゴーレムはわたしの方をぎろりとにらみました。


 これはマズイ!


 と思った瞬間、ゴーレムの足の下でなにやらつややかで、赤黒く、弾力のある物体がむくむくとふくらみ始めました。これは……、臓物ぞうもつです。まるで臓物です。牛のお腹の一番柔らかい部分をざくっと切り裂いてやれば、きっとこのような物体がでろでろとこぼれ落ちるのではないかと思われるような物体。それがゴーレムの足の下でわなわなと不規則に膨張をはじめ、ついにはゴーレムを持ち上げます。その物体からはところどころ血が噴き出しています。


「こ、これは……」わたしは息を呑みます。「血肉を錬成している……!?」


 そう。ゴーレムの足の下にはつぶれた錬金術師アルケミストがいたはずです。彼女の魔法だとしか考えられません。するとヴェルンさんの声が聞こえてきました。


「くっくっくっ。特級錬金術師アルケミスト奥義おうぎを見せてやろう……」


 どこから声を出しているのでしょう。まるで血と脂身あぶらみを詰め込んでぱんぱんに膨らんだ腸です。その肉の塊がまだまだ膨張を続けます。ゴーレムはその肉塊をやたらめったらに殴りつけ、そのたびに体液があたり一面に飛び散り、肉片が飛び散り、付近を赤く染め上げていきます。

「ま、まさか自分の体を自在に錬成……。れ、れんせ……、うっぷ。臭い! すごく生臭い! は、吐きそう‥‥‥‥」

 これが特級錬金術師の奥義なのでしょうか。世界の錬金術師たちのあこがれなのでしょうか。肉片と鮮血が飛び散るたびにわたしは後ずさりました。服を汚したくないので。


 すると突然、今度はゴーレムが苦しそうにのけ反りました。そのままゴーレムが膨張していきます。ゴーレムの土塊の体の節々から血液が噴出しはじめて、そして爆発四散! あたり一面に土塊と肉塊を撒き散らしました。

「まさか、今度はゴーレムの体内にタンパク質を!?」

 わたしがあっけにとられていると散乱した臓物の中に一人の少女が立っていました。全裸で。腰に手を当てて。そう、例の錬金術師アルケミストです。


「ゴーレムごときで私が倒せると思ったか! 姿を現せ!」


 すっぽんぽんでも自信満々です。ゴーレムの主人とおぼしき例の影は見当たりません。逃げられてしまったようです。それにしても素っ裸の錬金術師、冷静沈着に見えた彼女もぺちゃんこにされて流石に鶏冠とさかにきているようです。


おくしたか! 貴様の口の中にこやしをしこたま錬成してやるから覚悟しておくんだな!」


 と、すっぽんぽんの魔女。

 治療が必要かと思い裸の錬金術師を観察しましたが、傷ひとつありません。それどころか赤ん坊のようなみずみずしい肌です。自分の体を錬成することで傷を治すことが出来るのでしょうか。これが特級錬金術師が持つと言われる不老不死の能力なのでしょうか。わたしは感動すら覚えました。わたしが目を丸くしてまじまじと見つめていると裸の錬金術師は仁王におう立ちでわたしに向き直り、言いました。

「特級錬金術師の奥義をその目に焼き付けるがいい」

 自信たっぷりでなんか生意気です。わたしは言ってやりましたとも。


「いいから服を錬成しなさい」


 この時、なんだかヴェルンとの距離が縮まった気がしました。

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