第7話

 わたしがそれっぽい呪文を唱えると付近の空間魔法圧がぐっと高まり、ぼんやりとした光に包まれたように見えるはずです――魔法使いには。メイドたちは何も感じないでしょうね。


「一時的な処置ですが、痛みは治まっているはずです」

「はい。随分楽になりました。ありがとう」

 と、お嬢様。わたしは何事も無かったように杖を虚空こくうにしまいました。

「いくつかおうかがいしたいのですが……」とわたしはメイドたちに向けて話を始めます。「身近な方、とくにお嬢さまと共通の食べ物を口にしている方で同じ症状を発症した方はいらっしゃいますか?」

「食べ物が原因なんですか? 食中毒ですか?」とシクリーン。しかしすぐに自分の考えを打ち消します。「でもいま呪いだっておっしゃいましたね……」

「原因は実のところよくわかりません」とわたし。「アグリコラの花鳥紋は治癒魔法で治せない呪いとして有名だったんです。お抱えの治癒魔法師ヒーラーが魔法では治せないと言ったのは正しい診断です」

「そんな……」とシクリーン。

「しかし、この呪いがすたれたのには理由があります。転地療養で案外簡単に治ることが分かったからなんです」

「涼しいところがいいとか、そういうことですか?」と年長メイドのルツフェ。

「原因が分からないというのはそこなんです。理由はよくわからないが転地療養で治る。そのことがよく知られるようになると、この呪いは廃れていったそうです。北方で流行り、北方で廃れた呪いですからラパラティナの治癒魔法師が知らないということはありうる話だと思います。わたしはここよりは北の出身ですから」

 するとメイド長が質問してきます。

「ウタイーニャ家にはいくつかマナーハウスがありますので、旦那様に相談すれば転地療養は可能だと思います。ですがどういう場所がいいのか皆目かいもく見当が……」

「そうですね。わたしにも分からないというのが正直なところです。そもそもアグリコラの花鳥紋が呪いの一種だというのも状況から判断されたものにすぎません」

「そうですか……」とメイド長。

「分かっていることを話しておきましょう。わたしの知っている全ての情報を共有しておこうと思います」

 わたしはイヨクナお嬢様にキルトを掛けなおし、執事のキピトイチャも呼ぶように言いました。


「魔法による呪いは通常は術者の手を離れて作用します。術者の技量や魔法にもよりますが、対処しない限り半永久的に残るものです。しかしアグリコラの花鳥紋は術者が近くに居ないと術が解けてしまうようなのです。これは例えば、召喚獣が長期間召喚士サモナーから離れていると魔力が枯渇こかつして消滅してしまうのと同じことだと考えられています。当時の人々は転地療養が有効だと考えたみたいですが、この呪いが召喚獣と同じ様なものだと仮定すると、徒歩圏の病院への入院でさえ術者からの魔力の供給を断ち切ることは可能かもしれません」


「なんだか……、わたしの入院を許さなかった義母をとがめていらっしゃるようにも聞こえますが」と、お嬢さま。

「いえ、そういうつもりで言ったのではないんです」

 お嬢様はにこっと笑いました。そしてお嬢様が続けます。

「気になるのは、その呪いをかけるために必要な魔法種と、魔力の供給が可能な範囲。それから魔力の供給なしで呪いが維持される時間ですね」


 お嬢様、論点を的確に抑えてきますね。魔法使いではないのにお詳しいです。


「そうですね。確実に術者から距離を置くためには、――あるいは術者を特定するためには、そのあたりの情報が必要でしょう。しかし呪いの正体に関してはつかめていません。今の話を聞いてお嬢様の身近にいる魔法使いがあやしいと考えたかもしれませんが、魔力の供給範囲は魔法使いによってばらつきがあり一概には言えません。たとえばこの離れですと、すぐ隣に塀がありますよね。その塀の向こう側――、つまり敷地外からお嬢様のベッドまで魔力の影響下に置くことは、わたしには無理ですが、魔法使いによっては不可能ではないでしょう。つまり下手人げしゅにんが屋敷内にいるとは限りません。召喚獣でさえ三日くらいは魔力供給無しで活性を維持できますから、この呪いの活性を維持できる期間はもっと長い可能性があります。数日に一回標的に近づくだけで良いと仮定すると、街にいる限り術者を特定することは困難でしょう」


 わたしはそこまでしゃべると少しみんなの顔色を伺いました。魔法の使えない者たちには難しかったでしょうか。しかし少なくともお嬢さまは話を理解しているような顔をしていらっしゃいます。わたしは続けます。

「そして、食べ物が媒介ばいかいする呪いだということは間違いないようです。つまり呪われた食べ物を口にすることでその人が呪いにかかります。実際、過去には同じ食べ物を口にした一家が全滅したという話が珍しくなかったようです」

「先ほども食べ物のことをおっしゃっていましたね」とメイド長のルツフェ。「わたしの知る限り、お嬢様と同じ症状を発症した人は知りません。わたしたち使用人は基本的には別の物を食べていますし、お嬢様は体調を崩される前ですとお屋敷でも食事をされますし、ヘイデアルベ家で晩さん会に招かれたこともありました」

「ヘイデアルベ家ではザウアーブラーテンとミッシュブロートを頂きました」と、お嬢様。「ナピさんのおかげでお腹の痛みがひいたので食欲が出てきた気がします」

「一時的なものです。消化の良いものになさってください」

 わたしはくぎを刺しておきました。


 そしてメイド長が続けます。

「お嬢様の体調も特定の時期を境に急激に変化したというわけではないので、原因となった食べ物を特定するのは難しいと思います」

「そうでしょうね。特定が難しいからこそ人を呪う手段として重宝され、いまだに原因が知られていないのでしょう」

 わたしがそういうと、お嬢様もメイド長のルツフェも黙り込んでしまいました。そして今まで静かに聞いていた執事のキピトイチャが口を開きます。

「旦那様にお願いして転地療養を試してみましょう」

「お嬢様がどこに滞在するかはなるベく人に知られないようにするべきです」

 わたしは忠告しておきました。

「はい。よそ者が近づけばすぐに分かるような土地を選びましょう。このあたりの根回しは体裁を気になさる奥様の姿勢が利用できそうです」

 そういって執事は笑顔をつくりました。

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