第6話

 お屋敷は街のやや北側にありました。長い煉瓦塀が続き、道路側にはマロニエの木が並んでいます。そのまま馬車でお屋敷の門をくぐり、中庭に入ると大きな石造りの建物が目に飛び込んできます。


 大きいですね。都会育ちのわたしの感覚で考える貴族の邸宅は小さめだというのもあると思いますが、それでも大きなお屋敷です。おそらく三階建てでしょう。窓の感じから察するに半地下は使用人の生活スペース。一階が客間で二階が主の寝室と生活空間、三階が家族のためのフロアといった感じでしょうか。


 馬車はそのまま敷地の右手にある離れの方へと進みます。レイアウトから考えると、お嬢様の療養している離れというのは本来は馬丁のための建物なのかもしれません。


 さて、今からわたしはメイドです。着替えを手伝ってくれた先輩メイド、シクリーンに付いていって、所作しょさも真似して、離れに入るだけです。建物に入ってしまえば安心だそうです。簡単ですね。誰かと挨拶する必要すら無いように取り計らってくれたのです。信用されてないですね。ま、御推察の通りわたしは挨拶すらまともにできませんけど。


 ささやかな離れは二階建てでわたしのコテージの五倍くらい立派です。離れに入るとそのままお嬢様の療養している寝室に案内されました。メイドは三人。シクリーンを入れて四人がお出迎えしてくれました。執事のキピトイチャはわたしを部屋に通してくれましたが、部屋の入口に控えていてベッドには近づこうとしません。お嬢様の寝室だからでしょうか。


 わたしが部屋の入口からメイドに会釈をするとメイドの一人がベッドに寝ている女性に伝えます。

「お嬢様、治癒魔法師ヒーラーがお見えになりました」

 するとベッドに寝ていた女性は身体を起こそうとします。

「あー、楽な格好でかまいません」

 そう言ってわたしがベッドに近づくと、キルトがかけられたお嬢さまの顔が見えます。横になっていらっしゃいますが、それでも背の高い美しい方だということが分かります。わたしより五つくらいは年上に見えます。長いブルネットの髪は病床にありながらもしっかりと手入れされているようです。ですが顔色はかんばしくなく、まさに病人という印象です。それであっても毅然きぜんとした意志の強さ、誇りのようなものを感じさせる表情をなさっています。


 くわえて不自然なほど白く清潔な寝具と、わたしの寝床の三倍くらいありそうなベッドはまさに良家のお嬢様というのにふさわしいでしょう。窓の近くにはからの鳥かごがあります。わたしの身長ほどもある高い支柱からぶら下がる鳥かごです。


「始めまして。ポッセから派遣されましたナピナピ・アグラスです」


 わたしが自己紹介をすると、お嬢様はにっこりと微笑ほほえみ返してくれました。

 …………。

 微笑みは返していただいたものの、返答はして頂けません。メイドのシクリーンみたいにすそをつまんで挨拶するべきだったでしょうか。わたしが戸惑っていると一番年上と思しきメイドがわたしに声をかけてきます。

「わたくし、ルツフェと申します。お嬢様は声を出すのもお辛いとのことですので、挨拶はご容赦ようしゃ頂きますようお願いします」

「はい。楽にしていてくだされば結構です」

 そうですね。礼儀など気にせず、自分の仕事に集中するべきでしょう。お嬢様といえどもわたしの患者です。礼儀作法はわきまえずともわたしはいつだって患者のことを考えています。ダルノーハ記念病院の院長のお墨付きですから。


「身体にあざが出ているという話を聞いています。早速ですがその痣を診せて頂いてもいいですか?」


 するとメイドのシクリーンが寄ってきて、「失礼します」と声をかけて患者のキルトをめくりました。患者は亜麻布の白い肌着を身にまとっていて、両手で鳩尾みぞおちのあたりをぐっと抑えていました。お腹が痛くて声を出すのもつらいのでしょう。さて、問題はあらわになっている腕と胸元です。話に聞いた通り、独特の痣が浮き上がっていました。独特の痣――、それはまるで浅黒い紋様です。まるで花と鳥がモチーフの紋様。

「これは……」わたしは目を見開いて呟きました。「アグリコラの花鳥紋……」

 実はわたしはこの紋様を古い文献で見たことがあったのです。


「知っているのですか!?」


 突然大きな声を上げたのはメイドのシクリーンでした。

「ええ。かつて北方ほっぽうで流行った呪いです」

 わたしがそういうと後ろに控えているメイドたちもざわつきます。年長のメイドがわたしに尋ねてきます。

「つまり病気ではなく、誰かの悪意によるものだとおっしゃるのですか?」

「そう考えるのが妥当だとうです」

 すると、メイドたちの間にも様々な感情が芽生えたようです。やはり呪いですか……。おいたわしいお嬢様……。わたしは言葉にならない彼女たちの感情を背中に感じました。

「原因が分かるのなら治せるのですね?」

 と、はやるのはシクリーンです。わたしは少し渋い顔をしなければなりませんでした。

「えーと……。まず誰かに呪いをかけられるような心当たりはあるんですか?」

 わたしがそう尋ねるとメイドは黙ってうつむいてしまいました。そこで口を開いたのはお嬢様でした。

「心当たりがあっても……、メイドたちがわたしの前で口にできることではありません」

「お嬢様、無理なさらないでください」とシクリーン。

「大丈夫ですよ、シクリーン」とお嬢様。「原因が分かって少し気が楽になりましたから」

「お腹が痛くて声が出しづらいのですね?」

 わたしが尋ねると、お嬢様は少し顔を歪めて、黙って頷きました。

「症状も文献に有った通りです。治すことは出来ませんが、魔法によって一時的に痛みを和らげることは出来ます」


 わたしはすっと手を広げてメイドらに自分から離れるように合図しました。手を広げたままぐるっと一回転し、虚空から杖を引っ張り出しました。糊の効いたメイド服のスカートがフワッと広がります。そしてその杖をベッドで横になっているお嬢様のお腹にそっと添え、それっぽいことを呟きます。


"下の物は上の物のごとく、上の物は下の物のごとく。アスクラピウスの御名において、唯一の者の奇蹟を完遂かんすいさせたまえ……"

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