第5話

 ポッセはわたしのために街はずれのコテージを用意してくれました。駱駝らくだ色の粗悪な煉瓦れんがで造られた白い窓のコテージ。古びたコテージですが、庭付きはあこがれだったので満足しています。ビスカハイトではフラットに住んでいたので本格的に薬草を扱うことは出来ませんでしたからね。ここなら庭では薬草を干すこともできますし、大きな窯で緑色の謎の液体をぐつぐつ煮込んだりも出来ます。このあたりは自然も豊かなので、生活の中で自生する薬草を発見することもあるんですよ。そんなわけで干した薬草の管理はわたしの日課になりました。


 この日も同じ様に庭に干した薬草から虫を除いたり、種子を集めたりしていると表に馬車が止まりました。


「来ましたね」


 例の執事でしょう。診てもらいたい患者がいると告げられた時に他言無用を厳しく申し付けられました。しかし診察の日取りは追って知らせると言われたまま三日がたちました。貴族様にはいろいろと事情があるのでしょうね。きっと今から立派なお屋敷に連れていかれるのです。そこでは使用人総勢五百人が出迎えてくれることでしょう。ことをうまく運べば貴族さまのお抱え魔法使いとして何不自由ない生活を保証されるかもしれません。


 わたしを迎えに来た馬車は二頭立ての箱馬車でした。長距離移動のコネストーガ式の幌馬車に慣れてしまったせいでしょうか、「こじんまりとしてる……」というのが最初の印象でした。それでも細部の造りは丁寧です。臙脂えんじ色のキャビンに黒い屋根がアクセントになっていて小粋こいきです。その小粋な馬車から出てきたのは例の執事と若いメイドでした。

「ナピナピ・アグラス様。お約束の通り迎えに上がりました。ご機嫌はいかがでしょうか」

「ありがとうございます。本日はよろしくお願いします」

「ナピ様、少し事情がございますので、こちらに着替えて頂けますでしょうか」

「はあ……」手渡されたお洋服は、メイド服でした。

 そして執事は帯同したメイドを紹介します。

「この者がお着替えのお手伝いをいたします。よろしくお願いします」

「シクリーンです。お着替えのお手伝いをさせていただきます」

 シクリーンはそういうとスカートを軽くたくし上げ、うやうやしく礼をきめました。流石ですね。わざとらしさの無い自然なカーテシーです。――いや、そういう問題ではなく。

 魔女の誇りである魔法衣を脱げというのでしょうか。ちょっと腑に落ちません。しかし執事のキピトイチャさんが切羽詰まったような顔をしていたので本当にのっぴきならない事情があるのだろうなと思い、何も言わずに手渡された服を持って自分の部屋に戻りました。ついてきたメイドも招き入れます。

ほこりっぽくてすいません。乾燥した植物を扱うものですから」

 わたしがそうびるとメイドのシクリーンは黙って、控えめな会釈で返してくれました。


 こうしてわたしは事情も分からぬままメイド服に着替えました。シクリーンが手伝ってくれるのですが、わたしは普段は魔法衣しか着ないうえに着替えを手伝ってもらったことも無いので全く息が合いません。ぎこちない着替えの最中、わたしがメイドの格好をしなければならない事情を尋ねてみましたが、あとで執事のキピトイチャ様からご説明があるとはぐらかされました。あまりしゃしゃり出ないのがメイドのあるべき姿なのでしょうね。しかしわたしの着替えが終わると、そのメイドがしゃしゃり出てわたしの手を握ってきました。


「どうか、お嬢様をお願いします」


 痛ましく、そして真剣なまなざしです。メイドのシクリーンはわたしより少し若いくらいでしょうか。しかしわたしよりもずっと純粋さに満ちています。お嬢様をしたっているらしいことがばしばし伝わってくるので、わたしは心を動かされます。――いや、それだけではない。なにか動揺が伝わってきます。これは……。

「失礼」

 わたしはそのメイドの右の袖をめくって前腕を確認します。――ありました。傷ですね。ダルノーハ記念病院の院長なら合格をくれるでしょうか。

 シクリーンの腕の小さな傷はかさぶたになっていました。

怪我けがしていたら治そうとおもったのですが、ほとんど治ってますね」

「はい。大した怪我ではありませんでしたので」と、メイドのシクリーン。

 確かにその通りです。大した怪我ではありません。イバラのとげにひっかけてもこれくらいの傷は出来そうです。手を握っただけで気が付くほど違和感が強かった割りに深刻度は低い。

「こ、こんな小さな傷も分かってしまうのですね」と、メイド。

 なんでしょう……。すこしうつむき加減で恐々としています。

「もしかして何か嫌な記憶とともに刻まれた傷でしょうか?」

「あの……、先日夜道で襲われたんです」

 と声を震わせるシクリーン。わたしは思わずシクリーンを抱きしめました。ぎゅっと抱きしめると、着替えたばかりの糊の効いたメイド服がパリパリと崩れていく感触が伝わってます。わたしはそのままゆっくりと治癒魔法をかけました。この魔法は動揺した心を落ち着ける効果があるはずです。

「詳しく話してくれる必要はありませんよ。大丈夫です」

「怖かったけど、ほんと。傷も大したことないし、犯人もすぐに逃げていったのでわたしは大丈夫です。わたしなんかよりもお嬢様をよろしくおねがいします」とメイドのシクリーン。

「お嬢様を慕っているんですね。わかりました。精一杯がんばってみますね」

 お気に入りの魔法衣を着替えろといわれしゃくでしたが、このメイドの忠義に免じて張り切っていこうと思いました。あまり大荷物は持って行けそうにないので役に立ちそうなハーブをかき集めてボロボロのライトブルーのレティキュールにぶち込みました。わたしのボロボロの袋を見たメイドはなにか言いたげでした。当家のメイドにはふさわしくありません、とでも言いたげでした。


「魔女みたいですか?」


 といって、わたしの精一杯のフレンドリースマイルで微笑みかけると、しゃしゃり出ないメイドのシクリーンは顔を伏せるような会釈で返してくれました。




「わたくしたちの主人はカイヤクイン伯爵はくしゃくレゼント・ウタイーニャ様です」


 馬車が走りだすと執事が事情を説明してくれました。

「今回ナピさまにていただきたいのは、旦那様の亡くなった前妻のお嬢様であるイヨクナ様です。当家と付き合いのある治癒魔法師ヒーラーに診て頂いたのですが、一向に良くなる気配がありません。そこで内地で魔法学を修められたというナピさまに診て頂ければ、と思った次第です。ところが今の奥様は世間体せけんていを気にされる方で、イヨクナお嬢様の容体ようだいが世間に知られることを嫌がっていらっしゃいます。お嬢様が得体えたいの知れない病に犯されていることを外に知られたくないと考えていらっしゃる様子です」

「奥様の目を盗んでメイドとしてこっそりお嬢様と接触し、診察しろと、そういうことですか?」

「はい。今の時間は奥様は外出しておりますゆえ、よろしくお願いします」


 ふむ。そういう感じですか。上手くできるでしょうか。見つかった場合にどれくらいの問題が生じるのか、お屋敷の構造、敵と味方の勢力図……。もうすこし状況が分からないとなんとも言えませんね。


「えーと。お屋敷にはどれくらい味方がいるんですか?」

 ここでわたしは馬車の乗り心地の良さに気が付きます。馬車の中でこんなに落ち着いて会話が出来るとは驚きです。

「旦那様は情け深い方であられますが、お屋敷のことはおおむね奥様が取り仕切っております。ナピ様のことはお嬢様に近いメイドとわたくしだけが知っております。イヨクナ様は今は離れで療養されておりますので、その中は安全です。まずは怪しまれることなく、この離れに潜入していただきたいと思います。離れにはこのシクリーンを含めてイヨクナ様付きのメイドが四名います。四名は信用してもらって大丈夫です」

「離れは都合がいいですね。すると、馬車を降りて離れに入るまでが勝負というところですね」

 わたしは雑に返答しました。馬車の乗り心地に感動してそれどころではありません。懸架装置サスが効いている上にシートもふかふかです。馬車の窓の外ではいつもと変わらない生活が営まれていて、わたしは少し偉くなったような気分になれました。後ろを見ると例のライラプスとかいうデカい犬、――あのヒーラーに噛みつくという憎い犬が馬車を追いかけてきます。頭を上下させて必死に追いかけてきます。


「ふっふっふ。ざまは無いですね」


 わたしは勝ち誇った顔をしていたと思います。不審に思ったシクリーンが声をかけてきます。

「ナピ様?」

「失礼。あまりに素敵な馬車だったもので、つい。――えーと、お嬢さまが直接病院を訪問されなかった理由も体裁ていさいを気にしてということですよね。どんな症状なのでしょうか?」

「なんというか、その……。あざです。不吉な痣です」

 口にするのもおぞましい……。キピトイチャの態度からはそんな気持ちが伝わってきました。

「痣ですか……。お嬢様は付き合いのある治癒魔法師に診てもらったということでしたね? その方はなんと?」

「はい。専属の治癒魔法師ヒーラーと、ウタイーニャ家に所縁のある治癒魔法師に診てもらいましたが魔法で治すことは出来ないという診断でした。薬を出してもらいましたが、症状が収まる様子はありません」

「そうですか。だいたい状況は掴めました。やれるだけやってみましょう」

 メイドのように振る舞える自信はありませんが、清潔で糊の効いたメイド服を着たわたしは意外といい気分です。何度も言いますが馬車は懸架装置サスが効いていて乗り心地抜群です。

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