第4話

 んー、悩みどころですね。対応を間違えると不合格をもらってしまうかもしれません。しかし気が付いた以上、放っておくわけにもいきません。

「フノテンボガさん、過去にメンタルケアを受けたことはありますか?」

 眉をひそめ、首をかしげるフノテンボガさん。

「どういうことだ?」

「いま治癒魔法をかけてみて気が付いたのですが、フノテンボガさんは魔法によって記憶が改ざんされている可能性があります」

「!?」

 息をのんで驚くフノテンボガさん。院長も気になったらしく診察記録を覗き込みます。

「これだけの診察歴があって、だれも気が付かなかったのでしょうか?」と院長。

「そうですね。患者自身に呪いの自覚症状があったり、治癒魔法師ヒーラー催眠術師ヒプノタイザーがそのつもりで検査をすれば気がつけるでしょうけど、患者自身に自覚症状のない記憶の改ざんですと気が付かない場合が多いと思います。私はどうも傷や魔法、呪いによる状態異常に敏感な体質のようです」

「すばらしい。合格です」と院長。

 たしかにこれは誰でも持っている能力というわけではありません。院長を無視してわたしはフノテンボガさんに対して話を続けます。

「例えばですけど、軍務に服した人の心理療法メンタルケアの一貫として記憶を操作するというような施術が行われる例は少なくありません。フノテンボガさんの傷も戦争で負ったものと記録されていますので、もしかすると、と思ったのですが……。何か思い当たりませんか?」

 フノテンボガさんはふんっと笑って、うつむき加減になんだか自嘲気味に独言します。

「メンタルケアだ? おれはずっと悩まされ続けているというのに?」

「えーと……、思い当たる節がないなら気にしなくてもいいと思いますよ」


 すこし微妙な空気になってしまいました。例えば忘れるはずの無いことを忘れてしまっていて気になっていた――、みたいなケースを想定していました。むかし仲の良かった友達がどうなったのかどうしても思いだせないし誰も教えてくれない――、とか。周りの人の記憶には残っている特定の誰かのことが、自分の記憶からは不自然に消えている――、とか。


「そういえば……」と、何かを思いだしたフノテンボガさん。おもむろに語り始めました。「戦後すぐの頃は戦争のことを思いだすと、いつも似たような違和感に襲われた。三年が経ち、その違和感にも慣れてしまったのですっかり忘れていた。

「違和感?」

「違和感だ。なんていうか……。例えば、あの時あそこに五人いたことは確実に覚えているんだが、順番に顔を思いだしていくと四人しかいない。そんな感覚なんだ」

「そうですか……。記憶というものは曖昧なものですから、ある記憶が強いストレスになっている場合などは、無意識に記憶を薄れさせたり、都合のいいように改ざんすることもあります。なので、いま話してくれたその違和感が、わたしの言う記憶の混乱と関係あるかどうかは分かりません。ただ、あなたの精神は魔法の影響下にあるとわたしは確信しています。もしかすると嫌な記憶を消すためにご自分で誰かに依頼したのかもしれません。あるいは悪意を持った誰かにかけられた魔法かもしれません」


 少し考えるフノテンボガさん。そして口を開きます。


「そもそも……。そんな芸当が可能なのか? 催眠術師ヒプノタイザーによって心的外傷を和らげる施術は知っている。しかしそれは経験したことを完全に忘れさせるわけではないし、施術を受けたことまで忘れるなんてことはありえない」

「たしかに施術を受けたことまで忘れさせる意味はないし、誤解を招く可能性すらありますね。それは確かですが、出来るか出来ないかでいうと出来ます。特級の催眠術師ヒプノタイザーと認定されるためには隣接魔法種である幻術師イリュージョニストとしての能力も要求されます。これらの組み合わせによって現実の記憶を幻と入れ替えることができます。特級催眠術師はメスメリストと呼ばれ、信頼されている人間であれば精神を自在に操ることができるとされています」

「信頼関係にある特級催眠術師? おれはそんな魔法使いと親交を持った記憶はない……」

「その点はわたしに聞かれても困ってしまいますが……。今も言った通り、特級催眠術師メスメリストの精神操作は信頼関係の上にしか成り立ちません。これはフノテンボガさんが信頼している人に魔法をかけられたということを意味します。わたしの経験上、こういうケースでは作られた記憶は善意の嘘であることがほとんどです。どうしますか? 魔法を解いてみますか?」

「簡単に言うが、高位の魔法使いのかけた精神操作魔法が解けるのか?」

「いけると思います。実を言うと魔力の色がわたしのものと近いことが分かっています。相性がいいのです」

「そうか……。記憶が戻るならばお願いしたい」

 と、フノテンボガさん。しかし看護師のパルパロが口をはさんできます。

「フノテンボガさんは戦争では戦友を多く失っているはずです。そんなに軽く決めてよいのでしょうか」

 しかしフノテンボガさんの心は決まっているようです

「いや、是非ともお願いしたいね。おれはあの戦争に何かを忘れてきた。その記憶があれば、おれは自分の戦争を終わらせることが出来るかもしれない」

「分かりました。何を思いだすか分かりませんが、何にしても過去の話ですし、その記憶がなくてもいま健康に暮らしていられるということは覚えておいてくださいね」

「あまり健康ではないが。まあ、わかったよ」


 わたしは立ち上がり、その場でくるっと一回転して虚空から自分の身長ほどもある杖を取り出しました。青いジャンパースカートの裾がひらりと広がります。

「ほう、立派な杖だな……」フノテンボガさんが呟きます。「どんな魔法でも解けると豪語するだけのことはある」

「いえ、そんなこと言ってませんが……。では力を抜いて、目をつむってください」

 わたしは杖の先端についている魔石をフノテンボガさんの額にかざしました。そして魔法力を圧縮していきます。わたしの魔力に反発するように、空間魔法圧が高まっていくのを感じます。フノテンボガさんはすこし身体をこわばらせました。魔法圧は魔法使いにしか知覚できないはずですが、戦争を経験しているフノテンボガさんは敏感なのかもしれません。

 頃合いを見計らって、わたしは何かそれっぽいことを呟きます。


"アスクラピウスの御名において、唯一の者の奇蹟を完遂させたまえ……"


 フノテンボガさんにかけられた魔法……。強力な魔法――、しかし色が褪せている。フノテンボガさんの身の上から察するに、やはり三年前の戦時中か戦後すぐくらいにかけられた魔法でしょうか。しかし、これだけ強く刻印が残っているとなると、この魔法をかけた人物……、人知を超えた魔法力の持ち主です。これだけの魔法力を持つメスメリストと接触していながら、その魔法使いのことを覚えていないというフノテンボガさん。この魔法をかけた人物は自分の記憶をフノテンボガさんの頭の中から消し去ったのでしょうか。


「手ごたえがありました」


 目を開けていいですよ、という前にフノテンボガさんは自ら目を見開きました。ハッとした顔をして、そして感情が揺れ動く様子がみてとれました。鬼気迫るような顔をしたように見えたが、そう思うとすぐに困惑したような顔になりました。

「どうですか?」

「思いだした……。お前だったのか……」フノテンボガさんはつぶやきます。「お前が持っていたのか……」

「何を思いだしたのかをわたしに報告する必要はありません」

「でもなぜだ……?」と、フノテンボガさん。急に険しい顔に変わりました。

「フノテンボガさん、思いだしたことを一度に消化する必要はありませんよ。少しずつでいいんです」

「もしかすると、生き残ったみんなも……?」と呟くフノテンボガさん。大丈夫でしょうか。

「フノテンボガさん、フノテンボガさん。ここはどこか分かりますか?」

 わたしはフノテンボガさんのおでこをぺちぺち叩いてやりました。けっこう強めに。

「いっ、いてっ。いてぇいてぇ!」

「フノテンボガさーん! ここはどこか分かりますか?」

「あ、ああ……。ここはダルノーハ記念病院だ」

「いま思い出したことは全て過去の話です。分かっていますか?」

「分かっている……。戦争は終わった。三年前に終わっている。おれに魔法をかけたのは戦友だった。そいつが自身の記憶をおれから奪ったのだ」とフノテンボガさん。

「フノテンボガさん、個人的な興味なのですが、これほどの精神操作魔法をかけたメスメリストのお名前をうかがってもよろしいですか?」

 と、わたしは尋ねました。興味があったのはたしかですが、コミュニケーションを通じてフノテンボガさんの精神状態を確認したかったというのもあります。三年前の恨みを晴らそうというような行動に出られては困ります。

「ノシリア・ルクヘイデだ」とフノテンボガさん。「ノシリアは……、正しい選択をしたのだろう」

「それなら良かったです」

 フノテンボガさんは軽く笑顔を作って感謝を述べながら診察室を出て行きました。思わぬところで魔力を放出してしまった私は、ぐったりとして椅子に深く腰掛けます。看護師のパルパロが気遣うようにわたしの顔を覗き込んできます。

「大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です。次の患者さんを呼びましょうか」

 そしてつぎの患者さんを呼ぼうかと思った時、院長が急に大声を出しました。


「合格です! ナピナピ・アグラスさん!!!!!」


「わ、びっくりした……」

「あなたは十分な技能と患者の気持ちに寄り添える心を持っていますね」

「は、はあ。ありがとうございます」

 と、わたし。謎の紳士はこちらを向いて上品に拍手しています。その紳士が私に語りかけてきました

「ナピナピ・アグラスさん。力量を試すようなことして申し訳ありませんでした。診てもらいたい患者がいますので、お時間をいただけますでしょうか」

 急な申し出に困惑するわたし。院長が紳士を紹介してくれます。

「こちらはウタイーニャ家の執事、キピトイチャ様です」

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