世の不条理を学ぶ子ども(低レベル)
ごく幼い頃、近所だけどあまり行ったことのないところを探検しに行って、近くの家の人に迷子だと思われたのか「こんにちは、どうしたの」と声をかけられ、とっさにどうしていいかわからず「ええ、世の中を知りに」と答えてしまったことのあるミナキマサオです。こんにちは。
世の中といえば。
純粋無垢な子どもは成長するにつれ、さまざまな経験を通じて、「世の中は不条理なのだ」と学んでいくことになる。こんなのゼッタイおかしいと思っても、どうにもならないできごとはあるものなのだ。
中学生の頃、スー〇ーファ〇コンでRPGを、限られたゲーム時間の中でこつこつと攻略し、いよいよラスボス直前までやってきた。続きは明日にしようと、セーブして電源を切った。翌日の土曜日(当時は土曜日も昼まで授業があった)、昼食をとったらゲームをしようと楽しみに帰宅したら、当時小学生の弟が、私のセーブデータを使ってラスボスに挑んでいた。
世は不条理だ。
ここまでこつこつパーティを育ててきた手間暇をなんだと思っているのだろう。
それなのに、時は戻らない。
高校生の頃、テレビで「火垂るの◯」を放送していた。見ている途中で鼻をかんだら、一緒に見ていた弟に「そこは鼻じゃなくて涙をふくところだろう」と怒られた。
世は不条理だ。
幼い頃、姉のセーブデータを勝手に使用して姉より先にエンディングを見たくせに、いつからそんなに偉くなったのか。
いつ泣こうが、いつ鼻をかもうが、個人の勝手ではないだろうか。
こんなことが許されていいのか。
小学校低学年の頃、自宅で父に怒られたことがある。
「早くあれを、なにしなさい!」と。
比喩ではなく、本当にこう言われた。
何を言われているのかさっぱりわからなかったのに、父が怒鳴るという行為は子ども心にけっこうオソロシイ。
世は不条理だ。
こんな怒り方が、大人には許されるのか。
自分も一度やってみたいと思うのだが、どういう機会に使えばいいのか、いまだにさっぱりわからない。
もっと不条理なのが、このことを思い出すと笑えてくることだ。
なんだ、あれをなにしなさいって。どういう意味だ。何をどうすればいいのだ。
たぶん父も、後から思い返して、笑いがこみ上げるか、娘に対してすまない気持ちでいっぱいになったことと思われる。
よくあんな言葉を、笑いもしないで怒鳴れたものである。
「笑える怒り方コンテスト」というのがあったら、応募してみたい。
世の中、子ども心をえぐる不条理が多いものだ。いやはや。
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