最終話 等身大のラブ

 もう部活も終わりの時間だ。まだギリギリ建物の隙間から学校の窓へ、明るい陽光が時間的にもちょうど差し込んでくる。部屋の中の雰囲気も相まってなんだかこの部屋だけが別世界のように思わせる魔力があるみたいだ。

 「1年間、本当にありがとうございました」

 深々と頭を下げる。高校1年生の大事な時間を過ごした部だ。そりゃあたくさん思い出はある。その理人の姿を見て川原先輩は少しだけ声を上擦らせる。

 「向こうに行っても元気でね」

 「なんかあったら言えよ」

 河本先輩は感情をあらわはしないものの、その声色には悲しさが含まれている。部員はたった3人。理人が抜けると2人。来年1年生が誰も来なかったらゼロ人。いよいよ廃部になるかもしれない、と思った時期もあったがまあ大丈夫だろう。この2人なら何とかするはずだ。

 「じゃあ先に失礼します」

 「じゃあね」

 もう軽いリュックを背負って扉をくぐり抜ける。そこさえ超えれば本当に理人の学校生活は節目を迎えてしまう。感慨深い気持ちになりながら、放送室のドアは閉まる。


 「これから2人かあ」

 理人がいない放送室に残ったのは2人だけだ。しかも少し前に告白を経て付き合い出したばかりのカップル。部屋の中に妙な空気が残る。

 「まあ、そういうのも楽しいんじゃない?」

 亮も流石に理人を前にした時と真紀を前にした時の気分は多少変わってくる。クラスにいる時はできるだけ抑えているが、部活となれば話は別だ。幸い顧問もこの教室に来ることはあまりない。

 「改めて、これからもよろしくね」

 もう後半年以内には2人も放送室から去ることになる。それまでにどんな事があるのかはお互い分からない。新入部員が来ればいいな、とも思っているし。このまま2人の部活が続けられたら、なんて夢みたいなことも思っている。

 「俺達も帰るか」

 「うん」


 次の日。引越し決行は2日後。今日が土曜日だからこの今日で気合い入れて引越しの準備の大詰め。そして日曜日の午後にはもうここには居ない。手伝いで2日間が埋まることが確定しているため、あまり表立って外に遊びに行くことは出来ない。自分の部屋を見回しながら理人の中には色んな感情が渦巻いていた。

 「……せっかく揃ってきたのになあ」

 最初、部屋に物をどう置くかと随分悩んだものだ。引越してから早3ヶ月弱。棚の位置やPCを置いている机の場所も手に馴染んできたのに。なんだかもったいない気がしてならない。

 そう言えばこの部屋に蛍を呼んだことは無かったな。蛍の部屋に行くことはあったけど。でも、付き合い始めてからお互いの家に入ったことは無い。付き合った後の方がそういうのはしそうなのにな。さらに言うと繁を呼んだこともなかったな。前の家の時はそこそこの頻度で遊びに来てた気がするけど。アイツも部活忙しいらしいから。

 「このマフラー……」

 青いマフラー。暖かいから気に入っていつも着けていたものだ。もう3月だから使っていないが。だが、蛍と会う時はよくこのマフラーを着ていた。思い出の品だ。そう言えば、と理人は思い出す――


 「理人、出来たか?」

 「……もう行ける」

 コンコンコン、という高い音がドアから鳴った後に父親がそう聞いてくる。粗方の物は詰め終わり、机なんかの大きな物が残っている。途中で漫画を読んだりゲームしたりで少し怠けてしまったが、流石に手馴れた作業ではあるので何とか間に合った。時計を見るともう夕方を指している。

 「今日はここまでだな」

 父親が理人の部屋を見て満足そうにそう言った。少しだけ肩の荷が降りたような気持ちになる。

 「じゃあ明日は机とかを出すか」

 「オッケー」

 理人の家は父親の帰りが遅くなることが多いので理人以外の人は夜までいない。晩御飯も基本渡された金で理人が買うか、父親が買ってくる。だがその日だけは珍しく外食に行って、少し高いものを今日は特別だ、と食べてそのまま殺風景な部屋で眠りについた。

 

 

 朝起きて異様な自分の部屋に驚く。違う、引っ越すんだった。今日の昼には業者が来て荷物を持っていく。理人たちもそれを追う形になる。

 「現実味ないなあ」

 まさかこんな短期間で2度も引越しをするなんて思わなかった。色々取り除いてすっかり広くなった部屋に堂々と朝日が差す。床が照って眩しく感じるため、寝起きの体にはきついと早々に部屋を出た。

 「おはよう」

 「おはよう」

 父親とも軽く話しながら素早く朝食を食べる。テレビを見ると時刻は9時頃。ちょうど休日の朝しかやっていないよく分からない情報番組を眺めながら今日のことについて考えていた。とりあえず、最後に蛍に会いにいく。繁とは……多分部活だろうし会えないな。他の奴らとはもう終業式までの間に別れの挨拶をしてきた。

 「勝手な都合で転校ってことになってごめんな」

 横から父親が話しかけてくる。やはり、仕事の都合とはいえ思うところがあるのだろう。

 「仕方ないって思ってるからいいよ、向こうでもまた友達は作ればいいし」

 「……」

 元から父親と特別仲がいい訳ではなかった。だが、母親と暮らすよりは男同士の方がいいだろうと思って父親を選んだのだ。理人個人として話せるようになりたいとは思うが、どうも今はそんな雰囲気ではない。

 さっさと部屋に戻ろうとしていた時沈黙を破ったのはインターホンだった。

 「俺が出る」



 そう断ってドアスコープを覗き込むとドアの前に女子が立っている。

 「蛍」

 何となくそんな気がしていたから驚きはなかった。でも、いざ目の前にすると言葉が出てこない。そう言えば理人はまだパジャマだ。まずいと思って少しだけドアを開けて蛍と直接目を合わせる。

 「ごめん、まだパジャマだから。着替えてくる」

 「いいよそんなの。ちょっとだけ出れる?」

 そう言った蛍の指が指していたのはエレベーターのすぐ横に併設されている階段。あそこなら通るのも住民くらいだし、休日の朝にパジャマでも変には思われないか。それよりも蛍に何か思われたくないけれど。父親に一瞬だけ出てくると伝えて、部屋で一つを取ってから先に階段の踊り場で待っている蛍の所へ行く。

 「お待たせ」

 「うん……ん?」

 蛍は直ぐに違和感に気づいた。理人が明らかに何かを隠し持っている。

 「流石に気づくか」

 そう言って理人が背中に回していた腕を蛍の前に持ってくる。腕の中にあったのは小ぶりな包装された箱。

 「今日、朝に蛍が来なかったら昼前にはそっちの部屋に行こうと思ってたんだ、それでこれも渡そうって」

 「これ……あ」

 蛍も何となく予想が着いたらしい。小さく声を上げて理人の目を真っ直ぐと見つめてくる。

 「蛍みたいに手作りでもないしオシャレでもないけど、ホワイトデーのお返し……です」

 この箱の中に入っているのは高校生が感じる値段の中では少し高めのチョコレート。蛍の手作りチョコレートは河本先輩に発破をかけられた後に食べたので、決意を湧き起こさせるような味わいだったが。蛍にとってどんな感情でこれを食べることになるのか……なんてことは理人の思考の外だ。

 「なんで敬語なの」

 蛍がそう笑いながらチョコを受け取ってくれる。数秒間、その箱を見つめた後蛍がまた話し出す。

 

 「明日からは、もう暫く会えないんだよね」

 その声はひどく震えていて、理人は思わず心臓がキュッと締め付けられたように感じる。一度決壊した感情は止めどなく心から溢れ出して、それが涙という形で現れる。

 「ごめ、泣いたらだめって、思ってたのに」

 今手渡したチョコの箱に蛍の涙がちょうどぽとんと落ちて、箱の表面を伝っていく。その間にも蛍は声を殺しながらぶつぶつと話しながら泣いている。

 「寂しい、嫌、せっかく理人が、好きって言ってくれたのに、会えなくなる……なんて」

 そんな蛍の姿を見て理人は『現実』という名のハンマーで殴られた感覚だった。今まで――荷物を詰めているときでさえどこか他人事のように感じていた今回の出来事が蛍の涙ひとつでひっくり返る。何だか理人の中にも熱いものが込み上げてくるようだ。

 「……蛍、ごめん」

 「理人は悪くない」

 蛍は目に涙をいっぱい溜めながらも首を一生懸命に振る。理人は蛍によく聞こえるために顔を近づけて、話し始める。理人の感情が盛り下がっていたからか、近くに部屋にいる人には聞こえない程度の声量だった。

 「絶対休みの時には帰ってくる。俺は蛍のことがめちゃくちゃ好きで、蛍が俺の事を好きでいてくれるなら絶対にこの関係は終わらない。不安になったら、電話で幾らでも好きって言える。たしかに電話は直接会うより楽しくないかもしれないけど、次に直接会える時の楽しさが何倍の思い出になるような関係を続けていきたい」

 途中、なんだか言いすぎたのではと思っていたがそのまま理人は言い切った。蛍もその言葉を聞いて心理的に楽になったのか、目は赤いままのものの涙は引いたようだ。


 そして蛍は口惜しそうに言う。

 「私も理人のことが好き……言おうかずっと迷ってたんだけどさ、最後に。キスしてよ」

 突然のことに理屈はよく分からないが涙でドーパミンみたいな何かが溢れ出して変な事を言わせているんじゃなかろうか。理人は一瞬そう邪推した。しかし、蛍の目は本気だ。確かに付き合ってから1ヶ月は経っているし、引越し前でもう暫くは会えない。今まで想像してこなかったことでもない。タイミングとしては適格かもしれないがまさか自分の口上の証明のためにキス、なんて思いもしていなかった。

 かと言って、夏休みやゴールデンウィークにこっちに帰ってきて蛍とキスしようとするかと考えると確かにそんな自分は想像がつかない。蛍が誘導までしてくれてる。据え膳食わぬは男の恥とは言うが、まさに今こそその時じゃないのだろうか。

 「……分かった」

 『本当にいいの?』なんてことを聞くほど野暮ではない。その言葉を聞いた蛍は何も言わずに唇を軽く尖らせ、理人を上目遣いで見つめる。理人の脳内は緊張に支配されている。一瞬だけ視線を逸らして周りを見ると誰もいない。そりゃ休日のこの時間に出かける人なんてあまりいないし、出かけるとしても朝早くに出ているだろう。ほかの階から階段で上がってくるような音もしない。もうするしかない。

 元々近かった二人の顔が更に近くなる。蛍は怖さからか、それとも別の感情からか目を閉じる。理人は手ぶらになっている両手を蛍の腕の方に回す。無意識的に行ったがこれはハグじゃないのか。そんなことを考える余裕もなく、理人の唇は徐々に蛍に近づく。そしてとうとうくっついた。少し湿っぽい唇から柔らかさを感じる。どこからか甘い匂いが鼻腔を通る。髪だろうか。


 なんだか雰囲気に耐えきれなくなって唇を離した。何秒くらい口付けていたのかは分からない。

 「ハグも初めてだった」

 蛍がそうクスクスと笑うが、肝心の顔色は真っ赤に染まっている。そこでやっと理人は自分がハグをしていたことに気づく。段階をひとつ飛ばした気がするが、まあ考えないことにしよう。

 「蛍のことが好きって分かった?」

 「もちろん」

 内心穏やかでは無いが理人はいつものどおりの自分を出そうとする。もっと話したい。しかし、もう随分と時間も経ってしまっているしもうそろそろ時間だ。

 「そろそろ行かなきゃ」

 「……うん。チョコありがとね。キスも」

 正直今はあんまり思い出したくない。顔から火が出そうだ。

 「じゃあ、また」

 「うん」

 最後に1回だけハグをして理人は自分の家へと戻る。蛍はその姿を見送ったあと、腰が砕けたようになって階段に座る。

 「やっちゃったぁぁぁ……」

 その小さな掠れた声は理人には絶対に届かない。ただ、思考がまとまらないままそのまま蛍はだらしなく座り込んでしまうのだった。今日の夜は理人も忙しいかもしれないが、明日の夜にでもまた電話で話すことになるだろう。彼にどう接していいのか分からなくなっていた。



 「……よし」

 父の独り言が理人の耳に入る。時刻は正午をもう少し回った頃。引越し業者のトラックは既に止まっており、荷物の運び込みが行われている。もう少しすればその作業も終わる。その時、理人のズボンのポケットにあったスマホが振動する。

 『まだ出てない?』

 繁からだった。

 『まだ、でも多分もうそろそろ』

 『20分以内?』

 『多分それはない』

 『オケ』

 簡素なやり取りが行われる。これはもしかすると、今から家に来るということでは無いのだろうか。でも、部活で忙しいだろうし……来れるのか?

 「あとどれ位で出る?」

 「え、そうだな……1時間くらいじゃないのか?」

 事後確認だが、そう言っていたことに少し安心した。


 太陽は理人の真上を通っている。マンションで玄関で少し道路側に身を出しながらキョロキョロと周りを見渡し始めてからもう10分ほど経過している。もし彼の言葉通りならそろそろ来るはずだ。太陽の熱が理人の黒髪に伝わって体がちょうどいいくらいの温度に調整されていく。

 「あ」

 理人の視界に見慣れた顔が飛び込んでくる。かなり急いで来たのか、自転車を懸命に漕いでいる顔は汗が垂れていて、学校名の入ったユニフォームを着ている。

 「ごめん!遅れた」

 見合わせて最初が謝罪とは随分と気まずいな、とも思ったが理人はそのまま会話を続ける。

 「あと30分くらいで出ることになると思う。それにしても、結構急いできただろ」

 「部活終わったからまだ行けるかと思って……!」

 ふう、と一息ついて繁はがしりと理人の肩を掴んで言い放つ。

 「向こうでも元気でやれよ」

 「……もちろん」

 その雰囲気に理人は少し気圧されそうだ。繁は時間が無いと思っているのか矢継ぎ早に話を変えていく。

 「そう言えば瀬良とは今日会ったのか? どうせすぐ会えるだろ」

 「おう、午前中に話してきた。悲しそうだったけど」

 「そりゃそうだろ。せっかく付き合えたんだからな……分かってるとは思うが浮気とかすんなよ」

 「するわけねえ」

 そもそも自分から告白したんだからな、と理人は思う。随分と失礼なことを言う奴だ。

 「もしそんなことなったら修羅場必至だからな」

 そうおどけた口調で話す彼を見て思わず失笑する。それからも他愛のないいつも通りの会話が行われ、時間は過ぎていく。そして話に割って入るようにして父が「理人」と声をかけてきた。彼は頭を軽く下げる。

 「……ああ、白井くんか」

 中学の時はよく遊びに来ていたので顔を覚えていたらしい。「こんにちは」と繁が挨拶する。

 「来てくれてありがとう……理人、そろそろ」

 暗にもう時間が無いことを示してくる。二人の間でアイコンタクトがされ、繁が「ん」と小さく声を出す。

 「わざわざありがと」

 先行する父を横目に最後の会話を交わす。繁は右手を力強く出してくる。理人は何も言わずに彼の手を握り返した。


 車窓から高速道路に沿っている山々が見える。つい数十分前まで居た街の中とは打って変わって非日常に飛び込んだ感覚がある。何もすることが無いので何となくスマホを触っているが、その画面に目が移ることはなく理人の脳内にはここ3ヶ月ほどの出来事が走馬灯のように思い出されていた。振り返ってみると、彼女の前ではつい自分の感情を晒していたことが多かった気がする。そんな、ありのままの自分を見せられる相手がいて、恋ができるなんてこの上ない幸せではないだろうか。

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【完結!】等身大のラブコメを! 篠崎優 @sinozayu

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