第五十四話 ヨズク


「ちょっ、まっ」


 月夜に照らされる紫の瞳もつ小柄な影。

 声の高さからして女。

 だが、その声には溢れんばかりの敵意があった。


 次の瞬間突如伸びたのは先程見たうねる鎖。


 おい、ちょっと待ってくれよ!

 あの襲撃者から助けてくれたんじゃなかったのか!?


「アルコ!」


 ヴィルジニーの心配する声が遠くに聞こえる。

 くっ……戦いが終わったと思って油断した。

 ヴィルジニーの背に隠れていたはずのオレはもうすっかり警戒を解いて戦いの顛末を眺めていた。

 なんなら礼を言おうと思って近づいていたのが裏目に出た。


 脈動する鎖は瞬く間にオレを包囲すべく迫る。

 ……このまま拘束されたらどんな目に合わされるかわかったものじゃない。


 生き物のように踊る鎖。

 さっき目の前で目撃した光景と同じだ。

 このまま何もしなければあの恩恵で作られた鎖は岩をも砕く力でオレを縛り上げるだろう。


 なら――――上下左右、全方位を守ればいい。


「『消毒液気泡円蓋サニタイザー・バブルドーム』」


 消毒液の異なる形態。

 いつぞやの決闘騒ぎとは違う半固体でない気泡の形。


 半円を象った消毒液はオレを中心にした泡となり壁となる。


 これは防御のための恩恵技ギフテッドアーツ


「何っ!?」


 驚きの声を上げる小柄な影。


 見たか!

 この気泡は強い反発力を持たせて物理攻撃を寄せ付けない。

 半円状の泡は近くにいる仲間も同時に守れる使い勝手のいい障壁だ。


 師匠との特訓とダンジョンでの戦闘経験から編み出した新たな技。

 

「ハッ、これなら手出しできないだろ」


「舐めるな! 『チェーンサイス・スティンガーバインド』」


 身を守る泡の障壁に安堵したのも束の間、小柄な影も新たな恩恵技を放つ。


 それは先端に鎌の刃のみを生やした鎖。

 恩恵の形状変化!?

 空中を自在に飛ぶ鎖の先端に鎌の切っ先部分だけを取り付けた攻撃性の増した技。


 しかし、今度の鎖は軌道が違う。


「は!?」


 包囲ではなく直進、しかも途中地面に潜り込むように下方向へと進んでいく。

 まさか……!?


「マズッ」


 さっき上下左右全方位といったこの恩恵技だが実は正確じゃない。

 この泡を象った防御の唯一の死角。

 ――――真下だ。

 

「その奇妙な恩恵の障壁。流石に地面からの攻撃は想定していないでしょ」


 この……初見でこの技の弱点をついてくるだと!?


「くっ!?」


 足元の地面から飛び出してきた鎖を既のところで空中に逃げ躱す。

 なおも追い縋る鎖。


「クソッ、これならどうだ! 『消毒液半固体粘体盾サニタイザー・ジェルシールド』!」


「む……」


 危ねぇ。

 消毒液を半固体の状態にした小型の盾が鎖に粘りつき勢いを無くす。


「決闘の時の小規模版の恩恵技ギフテッドアーツ……」

 

 ん?

 セブランの時のことか?

 なんでアイツがそのことを……。


 まあいい。

 ギリギリだったけど上手く攻撃は受け止めた。

 今の内にアイツを無力化しないと。


 だがなぁ、突然襲いかかられたとはいえ最初は助けてくれたのも事実。

 できれば傷つけずに話が聞きたい。

 それに、あの襲撃者も何者なのかわからないままだし情報源はアイツだけだ。


 う〜ん、相手を傷つけずに拘束する方法、か。


 ……そうか!

 アイツと同じことをすればいいんだ!


「こうか……? 『消毒液半固体打鞭サニタイザー・ジェルウィップ』。ほらよっと!」


「……っ」


「流石にこの短時間に鎖を作り出すのは無理だからな。曲がりくねるところだけ真似させて貰ったぜ」


 半固体状の消毒液をしなる鞭の形態に変化させた即席の恩恵技。

 咄嗟だったが見本を見せて貰ったのが功を奏した。


 右手に作り出した約五メートルの消毒液の鞭は、腕の振りと同時に小柄な影目掛けて飛んでいき、その身体に巻き付き動きを制限する。

 良し、これなら話も聞いてくれるはずだ。


「……動かないでくれ。アンタはオレを助けてくれた。傷つけたい訳じゃないんだ。抵抗は止めて話を聞かせてくれ」


 だがこのオレの浅はかな選択はいまだ名前も知らない小柄な影を余計怒らせてしまったらしい。

 両腕ごと鞭に拘束されているにも関わらず紫の瞳が更に険しさを増す。

 烈火の如き怒り。


「黙れ。腰の剣すら抜かないなんて……この程度で私に勝ったつもり? 『ツインアームズ・サイスブレード』」


「え……あ」


 何だ……アレ。

 両腕に巻き付いた鎖から刃が生えた?

 アレも恩恵を利用した技なのか?


 身体に巻きつけてあった鞭を容易く切り裂き拘束を脱する。

 マジかよ。

 もう終わったと思ったのにあそこから巻き返すのかよ!?


「……」


 視線の先に一旦距離を取った小柄な影が無言で佇む。


 仕掛けてくるかと身構えた瞬間。

 聞き慣れた声が背後から発せられた。


「アル様! ご無事ですか!」


「ツィア……」


 着の身着のままの姿で飛び出してきたらしいラーツィア。

 ……怪我らしい怪我はしていない。

 良かった、そっちは何もなかったみたいだな。


「姫様、危険ですから私の側を離れないで下さいと何度も……」


「でも……」


 ラーツィアを追って師匠も姿を現す。

 うん、こっちも怪我はないな。


 視線を小柄な影に移す。

 しかしなにやら様子が可笑しい。

 ん?

 夜の闇でわかりづらいけど……震えてる?


「…………………ア様」


 動きが完全に止まった小柄な影。

 一体どうした?

 さっきまで全身から怒りを発していたはずの彼女は何故か動揺しているようだった。

 揺れる紫の瞳。


「……貴女は誰なんですか?」


 静寂に投げかけられるラーツィアの真っ直ぐな視線と問い。


「わた、しは……」


 誰もが息を飲んでいた。

 何故だかはわからない。

 ただ二人のやり取りに口を挟んではいけないと、そう確信していた。


「私は……」


 月の光に照らされる一つの影。

 黒い装束に身を包み紫に輝く瞳以外を隠した彼女。

 彼女は恐る恐る口を開く。

 何かに怯えるように、決意するように、悲しそうに。


「私は…………ヨズク。貴女の……何ものでもない」


 小柄な影はそれだけを言い残し闇夜に消えていった。


 ヨズク……オレを助けてくれた正体不明の人物。

 彼女がどこの誰で何の目的でオレたちの前に姿を現したのかはわからない。


 だが――――。


「ヨズクさん……」


 ラーツィアの寂しそうな響きが闇に溶ける様を、オレたちは静かに見守ることしかできなかった。

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