イーコバラディア伝承
主に先史国家群の遺跡出土が多いツァイ・アイサ地域に広く伝わる伝承。イーコバラディアと呼ばれる巨人、または大力を持つ人間が登場すること、イーコバラディアが伝承が伝わる地域を含む大地を創造したという旨の内容が含まれることが主たる特徴であるが、逆にそれ以外の部分についてはかなりの差異が見られることも特筆すべきであろう。
先史国家群の遺跡と、そこに内包される都市遺構そのものを起点として今日の文明社会が築き上げられてきたことは、歴史学的にはほぼ確実視されている。これは、紀元前800年頃から約300年続いた世界的な澱み嵐、「月の影」と、それに伴う独立機の活発な活動によって、生活環境を無から構築することが極めて困難であったことに起因するとされる。先史国家群の絶滅から文明再興までの間にあった空白期間において、社会はあらゆる創造的試みを行う余地を持たなかったのである。
無論、それは技術的な復旧と生活体制の維持が優先されていたというだけであって、その中で育まれる文化が存在しなかったことを意味するわけではない。現に、原始アードゥ教などはこうした限界の状態の中で追い詰められた人々の意識が起点となって生まれたものとされる。しかし、それでも発達しなかったものは確かに存在しており、中でも顕著であったのは「我々自身の始まり」という点についての認識である。
当時の社会が先史国家群の存在ありきで成り立っていたことは、歴史を考慮するまでもなく生活の面から誰にでも直感されることであった。従って、彼らにとっての興りとは即ち先史国家群であるとされ、それより以前のことに思いを馳せる余裕は当然、必要性もなかった。そうすることで得られるものなど、何もなかったからだ。
こうして、アイサルエでは多くの古い文化が継承されることなく途絶えていった。生活のために合理化された社会規範をもとに新たな「当然」が編まれ、その枠組みに収まるものだけを抱えて、その他は少しずつ取りこぼされていった。
そんな中で、アイサルエ大陸の西端に位置し、比較的澱み嵐の影響が小さかったツァイ・アイサ地域にかかる伝承が残されていたという事実は、重要な意味を持つ。先史国家群以前の歴史に目をやることのほとんどない、アイサルエ諸邦における歴史認識の主流から外れたそれは、謂わば稀少な文化の古層なのであって、我々がどこからきたのかを宗教的な観念によらず考える術となり得るのである。
一例として、ツァイ・アイサ地域西部のナパユ列島では、同列島そのものが巨人イーコバラディアが海底の土砂を固めて作り出したものであるとか、高い山はイーコバラディアが別の場所に湖を掘った時に出てきた土砂を積み上げたものであるとか、そうした国土の状態についてイーコバラディアに原因を求める伝承が多い。
他方で、アニーク諸部族連合の支配域では、連合の立役者として権勢を誇るオーン一族の祖先としてイーコバラディアが規定されている。彼は偉大な力を持つ男であり、自ら人々を率いてツァイ・アイサの大地を作り上げていったとする内容がよく知られており、これはナパユとの間にある世界認識の違いを反映したものではないかと考えられている。
なお、珍しいことに、ツァイ・アイサから離れたリュザ海沿海部においても類似した伝承が伝わる地域が点在している。それらは主に古くからの寄港地として知られる場所ばかりであることから、ツァイ・アイサからの来客が齎した話が同地に定着したものではないかとも思われる。
この地におけるイーコバラディアは、奇妙なことに独立機そのものであると考えられており、それは先史国家群よりも前から存在する偉大な力の残滓であるという。その偉大な力は世界を思うがままに変える力を持っていて、イーコバラディアである独立機もまたそれに倣って世界の形を好きに変えることができたのだ……との内容であり、ツァイ・アイサとは違い澱み嵐と独立機がより身近である環境ゆえに形成された伝承ではないかと考えられる。
☆☆☆
イーコバラディアが偉大なものである、という認識は、どの地域でも変わらない。
一方、その力が及ぶ範囲や正体に関しては、様々な見解が各地で見られる。
それぞれの比較対照を行うことは、今後の研究において重要な部分を占めてくる作業になりそうな気がする。
――――文化研究者、オクラン・ザランの手記より
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