遥かなミソラ

ニヴァーフ

リュザ海の東部に位置する孤島。アイサルエ大陸においてレジティウス国とオーパ領が衝突していた紀元1世紀頃から現在に至るまで、各国から排斥された犯罪者や少数民族、特定の疾病を持つ患者などを押し込めるための、ある種の流刑地・隔離施設として知られる。

他方で、有史以降の公的な記録においては、今日までこの島は特定の国家に帰属したことがない。確認できる範囲では、アードゥ教エサーナス派や経世教を始めとする有力な宗教勢力とも距離を置いていたことが分かっており、このことから学者には「アイサルエ最後の安息処(*1)」とも呼ばれることがある。

古くから澱み嵐の多発地帯として知られるリュザ海の只中にあり、独立機(ノータム・オトゥア)の活動が活発であることから、近海の航行には注意を要する。このため、ニヴァーフへの往来は、現代でも非常な危険を伴うものとなっている。

生活遺構の発掘調査など、考古学の見地からは、紀元前1400年頃までこの地が先史国家群(最有力候補はアキレマ復古帝国)の勢力圏下にあった植民島であったこと、しかし何かしらの理由で島が放棄され、住民も一斉に姿を消したことが判明している。

それから約1500年後の紀元94年、レジティウス国の探検隊がこの地に足を踏み入れたことで、この島は歴史の表舞台に再び姿を表す。が、島が再認知された後も、ニヴァーフは暫くの間、人間の居住地として開発されることはなかった。

それは、その地理的条件から、澱み嵐への対策など支配維持のためのコストが高くつく割りに、得られるものが少なかったというのもあるが、そもそも53年に締結されたアイジナフ条約によって、条約締結国のリュザ海における領土拡張が禁止されていたことが一番の要因である。

一方で、その存在を知ったアイサルエ東岸在住の漁民によって、漁業を行う際の拠点として僅かに沿岸部が開拓され、特に冬季の青鮪漁の際には、この島に船を係留して風を待つようなこともあったという。

中世頃に至るまで、アイサルエ大陸沿岸部では、各国の貿易実務を掌握していた漁民連が一定のヘゲモニーを持ち、限定的な行政権をも有していたことは知られている。そうした漁民達の影響もあり、ニヴァーフの住民には、極めて強い独立の気風が根付く結果となったと言えるだろう。

その後、ニヴァーフは50年間ほど一時寄港地として運用され続けていたが、現地を管理していた漁民たちの手により内陸部に向けて開拓が進み、次第に独自の集落として発展。やがて、漁民連の名の下での独立統治を求めるようになっていった。

元来は緩い漁村の連合体であり、相互互助組織としての性質も強かったことから、漁民連は強いて支配を維持しようとすることもなく、この要望を承認。アイジナフ条約締結国に対し、独立行政権を盾にこの地の独立領化を働きかけ、いくつかの交換条件と引き換えにそれは認められた。

その時提示された条件の一つが、条約締結国で発生した犯罪者や宗教的罪を犯した信者の受け入れである。

2世紀は、アードゥ教の勢力伸長が最も著しかった時期の一つであり、特にエサーナス派がその戒律に対する峻厳な姿勢から市民の人気を集めていた。アイサルエ各国の統治者もこの動きを無視できず、宗教法に基づいた取り締まりも比例するように厳しいものとなっていった。

その結果、それまでとは比べ物にならないほど多くの罪人が発生する事態となり、宗教法の中で最も重い刑罰である配流刑に処される人間、いわゆるティフシムも、既存の流刑地では対応不可能なほどに増加していたのである。

こうした背景から、ティフシムの受け皿としての役割を担わせるという形である種の義務を課し、これを以て各国はニヴァーフの独立を認めることとなった。

これ以降、ニヴァーフは単なる独立領ではなく、世界各国からティフシムを受け入れる流刑地として一躍知られることとなるが、元来からして漁民連の気風を受け継ぐ人々の共同体であり、独立承認後もそのことを気に留めることはなかった。

住民達は配流されてきた人々を隣人として何事もないかのように迎え入れ、「どこの国のものでもない」地故に、「どんな国よりも平等に」ティフシムを扱った……と、当時のオーパ領の護送担当が綴った日記には記されている。

その後、各国は「犯罪者」という名目を与えて、様々な人々をティフシムとしてニヴァーフに送り込んだが、ニヴァーフの住民は来るもの拒まずといつでもそれを受け入れ、次第にこの島は、多様な来歴や血統を持つ人々の坩堝と化し、ますます他国への従属を厭う自由な気風を育んできたのである。


(*1):支配的権力集団の影響を免れ、独自性を保って存在していた共同体、およびそれが支配する領域。経世教における死後の楽園の呼び名から。


☆☆☆


実のところを言えば、安息処に送るなどといって、私は海の上から突き落とされて殺されでもするのかとばかり思っていた。

そうでなくてもリュザ海に船を走らせるなど自殺行為なのに、何日間もその中にいるとなれば、自らを殺すためにここに留まっているのだと感じても仕方のないことだと思う。

それだけに、しっかりと数日ののちに陸地を見出し、それがニヴァーフである、安息処であると告げられた時、心の底から生き残れてよかったと安堵したものだった。

「安息処というのは、ずいぶん賑わっているな」、とかなんとか、船頭に声をかけたと記憶しているが、それに対する返答は、今でもよく覚えている。

「そりゃあそうだ。だれにも縛られない土地というのはいいものだからな」


――――尊属誹謗及び出生の罪で配流を宣告されたもの、583番の回顧録より。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る