第30話
――灰色の世界。
その光景を形容するための語彙を、ミクモは他に持たなかった。
構造として、それらは間違いなく街だった。少なくとも、そのように設計され建造されている。
しかし、本来ならば人目を引くような色彩がひしめいているであろうその色合いはすべてモノクローム調。
見ると、元々は色鮮やかであったろう看板などは全てが残らず色褪せてコントラストを失って久しい様子だった。
そして遠い人工の空は、その機能を失い巨大なモニターとしての本来の様相を無惨に晒し、生きている電源だけが無音の砂嵐を映し続けていた。
「……なんだ、ここ」
「だから『アナザーリウ・グウ』だって言ってるでヤンスよ」
ミクモが、呆然とした表情のまま静かに呟くと、背後から疲労にも似た響きを含んだクレアボーヤンスの皮肉げな声が飛んできた。
「……ま、その名前もあんさん達のリウ・グウに配慮した跡付けで、本来はどちらも『リウ・グウ』でヤンスがねえ」
立ち尽くすミクモの前を、クレアボーヤンスが歩き出す。
足取りは軽やかに、ただまっすぐに、灰色の世界の中へ。
「……オヤビンが直々に案内してくれるとよ。ボサッとしてねえでホレ、行けや」
船員のひとりに背中を突かれたミクモが、後ろをひと睨みした後、仕方なくクレアボーヤンスに続いた。
あえて少し距離を保ち、警戒は怠らないまま。
「……アーサー・クレアボーヤンス」
死んだ世界の中、クレアボーヤンスは何処か諦観にも似た響きを含んだ声で、その名を呼んだ。
声量は決して大きくはなかったが、彼と部下達とミクモの足音以外に何も音は無かったせいで、その言葉は明瞭に聞き取れた。
「記録に曰く……アーサーは、まあ中々に優秀だった人材だったみたいでヤンスね。中枢データバンクに残されてた人材評価によれば、人格は極めて勇敢で、思慮深く、リーダーシップと判断力に優れるうえに、パイロットとしても有能だったらしいでヤンス」
「……さっきから、お前は何を言ってるんだ」
ミクモが話に切り込むと、クレアボーヤンスはふん、と鼻を鳴らした。
そして次に、ミクモに自身の鼓膜を疑わせる言葉を吐いた。
「あっしの『オリジナル』の話でヤンスよ」
「……は?」
ミクモの喉から、なんとも間の抜けた声が、ひとつ漏れた。
だがミクモ自身の感情を置き去りにして、その脳髄で先走った思考は、見る見るうちに【何故、一度殺害した筈のクレアボーヤンスが蘇ってきたのか】という絶えず抱いていた疑問に突き刺さり、そしてそれを粉々に砕いてしまった。
「アーサー・クレアボーヤンス。
……それが、あっしのオリジナルの名前らしいでヤンス。
今のあっしにはもう、最後の響きしか名前としては実感がないでヤンスがねえ」
「……信じられない。何かの悪い冗談だろ。それともさっきのは、昔の自慢話?なんかあまり嬉しそうには聞こえなかったよ」
半信半疑……どころか、8割も信じていないミクモが、どうにか打ち返すように呻く。
言われたクレアボーヤンスの感情は、特に何も動いていなかった。
「実感がないでヤンスからねえ。自分の事のように嬉しい、とは素直に言えないでヤンス。今のあっしからすれば、歯の浮くような言葉で気持ちが悪い。
……で、そんな大人気のアーサーは、その才覚さゆえにとある試験的プロジェクトに抜擢されたらしいでヤンス。
なんでも……あー、『この惑星に迫っていた未曾有の大災害をどうにかする為に、海底深くに建造された実験都市における重要な人材サンプルとして配置された』……との事でヤンス。嘘みたいな話でヤンスね」
「……」
「……ま。アイクルがどこまであんさんに明かしたかは知らんでヤンスが、信じても信じなくてもあんまり事態は変わらんでヤンスよ。……ほれ小僧、ここでヤンス」
クレアボーヤンスが唐突に立ち止まり、前方の一角を指差す。
その先を見たミクモの夕日色の瞳は、果たして驚愕の色を湛えた。
死んだ都市の一角に、ただひとつだけ電源が生きている扉があった。
ミクモがいたリウ・グウであれば、全くもって目立つような存在ではなかったであろうその鉄の扉は、しかしてそのすぐ横に取り付けられた認証パネルの赤い光だけが灰色の世界で浮いていた事で、相対的に目を引く物となっていた。
「元は偽装扉だったコイツも、こうなると無意味……というか逆効果でヤンスね」
その刹那、クレアボーヤンスが勢いよく外套を脱ぎ捨てた。
……その下から露わになったのは、まるで鋼の鎧が如く鍛え上げられた筋骨隆々の肉体。
その左肩に、まるで魔法のようにバーコードらしき紋様が表出していた。
……リウ・グウの市民であることを示す、個人識別用コード。
以前アイクルのいる謁見の間でも認証に使用し、ミクモやアンフィトリーテも専用のものを肩に持つ、ありふれたもの。
……以前水泳で競った時、このようなものはついぞ彼の肩にはなかった。
そうしている間に、クレアボーヤンスはバーコードを認証パネルに押し当てる。
すると赤い光が緑へと変わり、モニターに表示されていた『
『
「アーサーはVIP待遇だったでヤンス。……小僧と違って、悪用されると困るでヤンスよ。今のあっしがそうしているように」
そう言って皮肉げな笑みを浮かべると、クレアボーヤンスは先に扉を開けて入り、少し挑発するような手つきでミクモを招いた。
長い長い廊下を抜け。
左右にいくつも設えられた、鋼鉄の扉の前をいくつも通過し。
……そうして地下深くで不意に広がったのは、無数の巨大な「缶」が置かれた空間だった。
缶と言っても素材はガラス質で、破損防止のために金属製の重厚なフレームで上下が固定されている。
そんなものが、軽く見積もっても100個以上、そこにひしめいていた。
「なんだ……ここ……」
「あっしらの家みてぇなモンでヤンスよ。せっかく来たんだから、見て回りでもするでヤンスか?」
「……あ……!」
見て回るよりも先に、ミクモの瞳が無数の缶の中から、あるひとつを捉えた。
そしてすぐさま走り寄り、その中にあったモノを確かに見た。
内部に満たされているのは、青緑を基調とした薬液。
その中に、全体的に筋肉質で屈強な体躯をした人間男性が、佇むように浮かんでいた。
顔の造形もはっきり確認できる。
間違える筈もない。
……自分のすぐ後ろにいるはずの男、キャプテン・クレアボーヤンスだった。
「今のうちに肉体だけでも造っといたほうが、
クレアボーヤンスが、"次の自身" が培養されている缶の横にどっかりと座り込んだ。
まるで、異形の世界の王であるかのような、あまりにも奇妙な光景が成立する。
「さっきも言ったでヤンスよ。
この世界は終わりかけている。そして、あんさんはこれを見た。
……お互い、もう後戻りする自由も、その時間もない。
あんさんのこれからの決断、その未来に期待し、聞きたい事があるなら話してやるでヤンス。
どうもあんさんは肝が据わってる癖に悩みがちな性格なようでヤンスが、
だったな悩む余裕もない状況にまで、あんさんを連れていってやるでヤンスよ。
どうするでヤンス?
いや――何を知りたいでヤンスか? ミクモ・コーラルスター」
男は、そう言って微笑んだ。
まるで、懺悔を聞く神父のように。
あるいは、獲物の肩を捕まえた死神のように。
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