第27話

『……陸洞行派。

私の名はリウ・グウ運営システム、A.I.C.U.R.U.(アイクル)。

そしてこの機体達は……μT-VENOMGENOME(ミュート・ベノムゲノム)。

リウ・グウ全ての生命の為、貴方に死罪を宣告します』


──遠のく。


遠のく。碧に染められた景色の全てが遠のいていく。

突如として機能停止したμT-WONDERRAVEのコクピットの中で、ミクモは意識を失っていた。

その中で――その母なる声だけは、深層意識に確かに響いていた。


『時間を稼ぎます』


視界はない。

無数の無人型機体……まるでクラゲのような姿をしたμT-VENOMGENOMEの群れが、リウ・グウに殺到しようとしていた未確認機体群と絡み合い、黙示録の幕開けにも似た様相を呈しても、ミクモの視界には何も見えなかった。


……景色(すべて)が遠のく。


群れから離脱したニ体のVENOMGENOMEにそれぞれ牽引されるようにして、WONDERRAVEとOMEGABASTIONは、自身らの故郷へと撤退していった。



『――繰り返します。

リウ・グウ中央府は先程、元正規軍最高司令官・陸洞行派によるクーデターの勃発を正式に発表しました。

中央府によると、陸洞元司令官は過激派武装勢力 "黒い魚影団" と秘密裏に結託しており、現在指名手配中のトーマ・A・サンダルとも――』


……映像端末ですらない、無線放送受信機から流れるニュースだけが部屋に響く。

所長室と題された筈のその空間には、小さく縮こまるような姿勢のまま動かないミクモだけがおり、広い空間が彼を圧迫するかのようだった。


……アンフィトリーテの姿は、そこにはない。

自身が意識を失った後、同じように精神を摩耗させていた彼女は、しかしミクモを守るために無数の機動兵器群の前に身を呈した結果、肉体・精神共に大きな損傷を受けたことを、ミクモは救助されてから聞いた。


集中治療室にて面会謝絶状態となってから、早10時間。

アンフィトリーテの声も、アイクルの言葉もない空間の中。

ミクモに出来ることはただ自身の無力さと思い上がりを噛みしめる事だけだった。


……10年前。

命を救われた、託されたあの日。

誰かの為に在らなくてはいけないと、彼はそう自己定義した。


……義母であるナギ・コーラルスターに預けられた後も、どうして彼女が自分を引き取ってくれたのか、ついに最後まで解らなかった。

だから、自分にできる事は全てしてきた。自分の価値で、それに返す為に。

だが、何も出来なかった。

碌な恩返しもできないまま、育ての親はWONDERRAVEと出逢ったあの日に、あっけなく逝ってしまった。


……本当に大事な時ほど、何もできない。誰も救えない。

「振り返っても、何もない」というなけなしの理屈で、その泥を抑え続けてきた。

そして、今回も。

WONDERRAVEは突如して機能停止し、ミクモとのリンクを断絶した。

……あの瞬間は思い至らなかったが、今になってその理由が解った気がした。


「……なあ、WONDERRAVE。おまえ、なんでオレなんか選んだんだよ」


愛機の名前を空しく呟く声が、部屋に木霊する。

アームヘッドは生命体であり、搭乗者を自らの意思で選ぶとは、アンフィトリーテから聞いた言葉だった。

だが、WONDERRAVEは応えない。

ここではない格納庫で、ただの巨像と化したまま。


「……」


アンフィトリーテへの不信も決して消えた訳ではない。

だが自分という存在が、その実は常に彼女に守られていたことを、ミクモは漸く実感した。

疑念と、罪悪感。

……矛盾するふたつの感情は、今にもミクモの薄い胸板を内側から突き破ろうとしていくかの如く、のたうつように肥大化するばかりだった。


「……オレには、もう、何もない」

応える者のいない部屋の中。

泣き腫らし、涙すら涸れ果てた少年の卑下するような眼差しは、その言葉と共に自嘲の感情を湛えて瞼の下に潜り込んだ。


その刹那。

生体兵器研究所の施設全域に、耳をつんざくような警告音が鳴り響いた。



「……ねえオヤビン。このシゴトが終わったら、俺達どうなるんスかね」


燃え盛る炎がパチパチと妙に小気味の言い音を立てる最中、その神妙な声は通信でコクピットの中に通信で響いてきた。

声を受け取った者……キャプテン・クレアボーヤンスの眉根は、無粋な言葉でも聞いたかのように吊り上がっている。

「なんでヤンスか下っ端。せっかくトーマの奴が修復してくれたTHOUSANDACTORのお披露目だというのに、のっけから暗いコト言うでヤンスね」

詰めるように吐き捨てたクレアボーヤンスだったが、その声音の片隅にあったのは、確かな虚無感だった。


「陸洞の奴がリウ・グウを支配したとして、俺達ホントに……」

「下っ端」

クレアボーヤンスの機体……THOUSANDACTORの黄金槍が、配下たるコズミーの1機に向けられた。


「ずっと前から言ってきた筈でヤンス――あっしらは随分好き勝手してきた。

盗んで、殺して、食い散らかして、犯して、糞を垂れて……そうしてここまでやって来た。

いつ本当の終わりが来ても後悔しないように。

日和るなでヤンス、悪党。

悪党なら悪党らしく、最後までやりたいようにやる。

道理は殴って黙らせる。その果てに待つのがどんな明日でも、あっしらはそうやってここまで来たでヤンス。

最後まで、やり抜くでヤンスよ。あっしらの望むままに」


……前に向き直ったコズミーの様子を確認したTHOUSANDACTORが、機体の歩を進めた。


瓦礫と化した周辺区域の中を、黒い魚影団の機体が進んでいく。

全機がアップグレードにより陸戦対応型となり、その災禍をリウ・グウの都市へと振りまいていく。

……その目線の先にあるのは、生体研究所。

「今のアイクルは、陸洞のダンナの相手で手一杯。今がチャンスでヤンス。ここでアンフィトリーテとミクモのガキを仕留めれば……」

口元を歪ませ、朗らかに作戦を述べ立てるクレアボーヤンスの言葉……が、そこで停止した。


その瞳が見ていたのは、眼前の生体研究所……の、正面玄関前。


ミクモ・コーラルスター。

陸洞による陽動作戦の裏にあった、真の暗殺対象の片破れ。

クレアボーヤンス率いる黒い魚影団の目的が、そこに無防備に立っていた。

夕焼け色の瞳の奥に、底が抜けるような虚無を湛えて。

幼い顔立ちに、壊れたような微笑みを浮かべたまま。


「オヤビン!あいつです!ミクモのガキです!」

下っ端と呼ばれていた構成員が声を荒げ、我先にとミクモめがけて突撃しようとした、その矢先だった。

THOUSANDACTORの黄金槍を振り上げられ、そのコズミーのシールドに叩き付ける。


「オヤビン!何のつもりで……」

「少し黙るでヤンス」


……THOUSANDACTORが歩を進め、ミクモとの距離がほぼ零となる。

巨大な右足が持ち上げられ、その頭上へと掲げられる。

ミクモは静かに微笑むと、両手を無邪気な幼児のように伸ばし、瞳を閉じて、その瞬間をただ待った。

やっと終われるしねると、そう言っているかのように。


――だが。

ミクモが次に味わったのは、自信の骨を砕き、肉を潰し、内臓を圧壊させる慈悲の一撃ではなく。

数メートル後方へ吹き飛ぶほどの、右頬に鉄塊が如く叩き込まれた、クレアボーヤンス自身の渾身の拳であった。


「気に食わん」

……襟首を掴み挙げられ、ミクモの身体が無理矢理起こされる。

その声音に宿っていたのは、失望にすら近い感情であった。


「何があったか知らんでヤンスが……気に食わん!ああ、気に食わんでヤンス!

なんでヤンスかそれ!このクレアボーヤンスをよりによって自殺に『使う』なんざ、舐め腐るのも大概にするでヤンス!」


わなわなと、男の声が、自身の唇を震わせながら告げられる。

しかしその忠告はまるで雑多な雑踏のように、ミクモの内側に響かなかった。

猛り狂う自身の内側の炎をどうにか抑え、あるいは排熱し――


――理性を取り戻したクレアボーヤンスの瞳に、呆れと、そして決意が宿る。


「世話が焼けるでヤンスね」

筋骨隆々とした二の腕が閃いたかと思うと、ミクモの体が宙に舞った。

そしてまるで犬猫でも運ぶかのように、クレアボーヤンスはその襟首を改めて掴みあげると、

そのままどこかへと、軽々と引っ張っていった。


「オヤビン!そいつ殺すんじゃ……」

「気が変わったでヤンス。このままじゃ殺しても面白くもない。

言ったでヤンショ、下っ端――面白おかしくやるのが、あっしらのやり方でヤンス」


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