第26話

……青黒い闇の中から、更に闇を抜き取って身に纏うかのように、その機影はぬらりと姿を現した。

緑色の淡い光を放つ双眸のカメラアイが、その切れ長の瞳で自身に相対しているWONDERRAVE達を見やる。

「……お前……」

捻り出すかのような声。それはアンフィトリーテの喉からのものだった。


影の主たる機影、陸洞専用ブティーガはその進行を緩やかに停止させると、静かに左腕を掲げた。

途端、その背後で海中の竜巻めいてうねりを上げていた無数の正体不明兵器群が、まるで上位個体から命令を受けた蟲のように一斉に動きを停止した。

「そう睨まないでくれたまえ、パンドラボックス博士」

……朗らかな陸洞の声が、ミクモ達全員のコクピットに届く。

当然、応援として駆け付けたかつての部下達……リウ・グウ正規軍所属のコズミー達のコクピットにすら。

「既に状況は動いている。事態は手遅れだが……まあ、同時にこうなると余裕があるとも言える。積もる話もあるだろうと思ってね」

「……そんな……陸洞司令官!」

WONDERRAVEとOMEGABASTIONの背後で警戒態勢を取っていたコズミーの一機が、突如としてブティーガに急接近した。

OMEGABASTIONが咄嗟に止めようとしたが、間に合わない。

「僕は……僕はリウ・グウと貴方のために身を捧げる覚悟で志望したのに!その為に……」

「その声は……ミズキ二等兵だったね。君の士気の高さは出逢った当初より記憶に残っている」

ブティーガはその場から動かない。まるで部下を抱擁しようとしているかの如く。

「だからこそ、君の将来性を見届けることができないのが残念だ」

そして次の刹那に、ブティーガの左指が僅かに動いた。

……途端。

ブティーガの背後で微動だにしていなかった不明機の群れの一部が分離し、瞬く間にそのコズミーを覆い尽くしてしまった。

……塊の奥から、強烈な閃光が幾度も迸り、小さな爆発もすぐに無理矢理に抑え込まれた。


通信が真っ先に死んだのか、パイロットの悲鳴は誰にも届かなかった。


群れが解散し、背後の本群へと戻っていく最中。

先程までコズミーだった筈の融解しきった鉄塊が、静かに暗い海底へと沈んでいった。

「……気合いがあるのは良いが、場の空気が読めない。それでは早く死ぬぞと何度も警告した筈だが、君の欠点は最後まで治らなかったようだ」

「……何が目的だ」

アンフィトリーテの絶対零度の声音が陸洞に投げかけられる。

まるで極地の片隅に埋もれた洞窟の氷めいた、温度の抜け落ちた響き。

「そうだ。その質問だよ博士。君は聡明で警戒心が強かったが、同時にそれはでもある。故にその質問を今まで私に

「……」

「君の質問に答えよう、博士。君は考えたことはないか?このリウ・グウという世界に住む者達は、あまりに……あまりにと。先程逝ってしまったミズキ二等兵もそうだ。志は立派だったが、それだけだった」

「何を、言ってる」


「君にも身に覚えがあるはずだ、博士。

……いや、誰よりも君が一番解っているはずだ」


その瞬間、ミクモの本能が悪寒を察知した。

時間が細分化されたのを感じる。あと0.2秒で陸洞はその先を繋げる。

そう直感したのに、彼の肉体とWONDERRAVEの反応は、あまりに遅かった。


「""

そう思ったことは、一度や二度ではあるまい。

いくら才覚があったとはいえ、君な所詮、年端もいかない小娘だ。

君ほどの年齢の女性なら、本来その目の下に消えない隈を作ることなどもなく、

命をかけてそのような無骨な兵器に乗り込むこともなく、

あの都市の運命がその狭くて小さな両肩に背負わせられることなどなかった。

こんな事は、そもそもあってはなからかった。

今こうして、君がこの場にいる。それこそがあの世界の歪みの全てを証明する。

君より愚かで、無責任で、他者の苦痛を痛痒にも感じない者共は、今こうしている間も……君の背後にある世界で、呑気に眠りこけている。君達に守られながら」


「……ち、違う」

「……!」

ミクモの鼓膜が、通信から漏れた微かな吐息を聞き漏らさなかった。

アンフィトリーテの呼吸が乱れている。

彼女からの反応がない事を認識した陸洞は、更に優雅な調べを奏でるかのように、その舌を転がしていく。


「今に限ったことではない、そうだね?

いつだって、あの世界は君に重責を押し付けてきた。

冷静に考えてもみたまえ――何故防衛の最前線に、君達のような尻の青い少年少女が駆り出されているのだね?

そこで君の相棒を気取っているミクモ君とやらの面倒を見るのも大変だったろうに」


「違う!違う違う違う!!」

陸洞の言葉がミクモに向けられた刹那、アンフィトリーテが声を荒げた。

瞬間、その肩からロケット弾が放たれまっすぐにブティーガを狙うも、

黒い影は軽く身をよじると、その軌道をあっさりと回避し、落ち着き払ってその場に立ち尽くしていた。


「何も違わないさ。

彼は才覚溢れる君の苦しみを知らない。

天涯孤独だった君の孤独を知らない。

それなのに、さも理解者であるかのように振る舞い続けている。

良い相方を見つけたと評しておこう、パンドラボックス博士。

そこの少年は、


――その言葉を聞いた途端、ミクモの心臓は咄嗟に破裂しそうになった。

先ほどまでアンフィトリーテへ抱いていた疑念も、何もかもを見透かされ、嘲笑されるような感覚が、肺を圧し潰しそうになった。


「……心底同情するよ、ミクモ・コーラルスター。

君は確かに他者の反応に目ざとく、については、ある種の才能がある」


――駄目だ。聞くな。耳を貸すな。

その先だけは、聞いたら全てが終わってしまう。

本能がそう何度も叫んでいるのに、ミクモは涙を浮かべ、胸を押さえ、必死に呼吸を手放さないようにしながら、その先の言葉を死刑囚のように待つことしか出来なかった。

まるで、脚のすくんだ獣のように。

ただ動きを静止させた少年の耳朶に、その男の呪詛にも似た響きは、無慈悲に到達した。


「だが――逆に言えば、それだけだ。

あの日、生き残った罪悪感から、君は自我の育成を放棄した。

残された僅かな自我の欠片は、その才覚によって伐採された。


故に、君は本質的には誰も理解できていない。

自発的な衝動も、欲望も持たず、

ただ生き残ったから誰かの役に立ち続けなければならないという動機だけで動くモノ。

……誰が、そのような木偶人形に本心を吐露するというのだね?」


ミクモの脳が、その駆動を停止した。

その言葉を、理解はできた。

その意味を、反芻する事を脳が拒否した。

だが陸洞の言葉は、まるで呪いか毒かのように、悲鳴をあげて逃げようとした彼の意識に浸透し、無理矢理に脳髄を掴んだ。


何もかも、見透かされていた。

ただ、気まぐれで見逃されていただけだった。

いや、それだけではない。


自分がずっと探し続けていた答えは、あまりにも単純で、醜悪だった。

アンフィトリーテは――彼女は。

ただ、物心ついた時から、たったひとりで生きてきた。

おそらく彼女ほどの才女でなければ、そうは行かなかっただろう。

そして。

彼女は都合よく、その小さな背中にあらゆる義務を背負わされたのだ。

ただ「天才」の名のもとに。

誰からも手を差し伸べられないまま、誰を救う手であれと。


自分は、ただ当然のように、彼女を取り巻く誰かのひとりでしかなく。

ということを、想像できなかった。


「――あ、」

次の刹那。

WONDERRAVEが、機能停止した。

機体と同調したまま精神の規律を失ったミクモの意識が、途切れるのと同時に。


「――ミクモ!待て!待ってくれ!私を置いてかな――」








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