第24話
――夢を見た。
遠い日の、その夢を見た。
毎日毎日見慣れているせいで、もう新鮮味も何もかもなくなったデスクの上で、僕はあろうことか微睡んでいた。
夢の中でもなお眠るという怠惰の極みを中断させたのは、横のデスクに座ってきたもうひとりの声だった。
「なんだ、随分お疲れのご様子じゃないか。トーマ」
名前を呼ばれ、僕は眼鏡を外して目をこすり、意識を無理矢理に覚醒させる。
声の主は、自分の分とは別に用意したコーヒーを、僕の前にそっと置いた。
コーヒーには我ながら少しばかり拘りがある。以前は自分で煎れていた……のだが、このあまり上手でもない味に、いつの間にやらすっかり絆されてしまっていた。
「当たり前だろう。だいたいこんな面倒極まる一大プロジェクト、そもそも言い出しっぺは君じゃないか。ロニー」
……そう言いながら。この時点で、僕は既に自覚した。
ああ、これは夢だ、と。
何故なら、ロニーはもう既にいない。
この世界の、何処にもいない。だから、これは。
「付き合わせてしまって悪いは思っているよ……まあ、私も新参者のくせに、随分と偉そうな真似に出ている自覚はある」
ロニーが言う。どこか自嘲するように。
「でも、これはいつか誰かがやらなきゃいけない事だった。私がこの世界に辿り着いたのも、きっとこの為だったような気がするんだ」
「……部外者ゆえのフットワークの軽さを意図的に活用してくる者ほど、タチが悪い者はないな」
僕はロニー……ポセイドロニウス・パンドラボックス博士の煎れてくれたコーヒーを一口飲み、そして端末に向き直った。
「なあ、ロニー」
「なんだい、トーマ。改まって」
……だから。
夢だと解ってしまったから、壊してみることにした。
どうせ何も変わらない。これは過去の映像の再演だ。
ならば、せめて何か新しいものを見たい。
「君が、この計画を推し進めたせいで死ぬとしたら……どうする?」
……夢の中のロニーは暫く黙っていた。
1分か、それとも5分か。はたまた、それは1時間だったか。
瞳を閉じ、僕の質問を彼なりに真剣に考えているような様子だった。
そして、瞼が開かれ――その紫の瞳が、僕の視線と交錯した。
「……正直、そんな気はしていたんだ。
せっかくだし今のうちに頼んでおくよ、トーマ。
私が死んだら、あとはよろしく」
その言葉は、くしゃくしゃになった彼の笑顔と同時に、空間に染み渡って消えた。
◆
……陽光色の悪夢から目覚めた身体は、鉛のように重かった。
解っている。
あれは本物のロニーではない。
僕の記憶が勝手に作り出した、夢の中の贋作だ。
だが――だが。
あんな事をさらりと言ってしまうロニーのその姿は、あまりにも現実味があって。
その恐怖が、戦慄が、僕の意識を瞬く間に現実に弾き出した。
「どうしたのだね、アルベリオ殿」
……強烈な自我と表層だけの礼節が同居する、耳障りな声が寝起きの鼓膜に響く。
すっかりリウ・グウ中の指名手配者に成り果ててしまった僕の、現在の同盟者……のひとり。
リウ・グウ正規軍総帥――陸洞 行派。
骨張った手が、僕の前に一杯のコーヒーを置いた。
「私はとっくに疑惑の身だ。だが最早そこを心配する時期ではない。アンフィトリーテ君もミクモ君も……それにアイクルも、そろそろ私の尻尾を掴もうとやる気になっている頃合いだろうが、彼らは青い」
陸洞が自分の分のコーヒーを啜り、言った。
「私にしては尻尾の出し方が甘いと、なぜ気づけなんだ」
「……出撃準備は、出来ているのですかね」
僕の皮肉げな声に、陸洞が微笑む。鋼のような肉体は、既に彼専用のパイロットスーツに包まれていた。
「見ての通りさ。……かく言う君も、こんな直前のタイミングで居眠りとは、随分と心臓が大きいようだ」
陸洞が言い残し、部屋を出ていく。僕も行かねば。
……ふと、夢の内容が頭によぎる。
一瞬浮かんだ迷いを、僕は頭を振ってかき消した。
実のところ、ロニーは間違っていた。そしてあの頃の僕も間違っていた。
そして何より、この閉じて歪んだ世界そのものが間違っていた。
だから。
だから、これで良い。
最初から全て間違っていたのだから、何も悩む必要などない。
『……陸洞 行派、"ブティーガ"。お先に失敬』
僕がやっとコクピットに乗り込んだ頃、陸洞の嫌味な通信が狙ったかのようなタイミングで響き。
彼のアームヘッドが青黒い世界の只中へと、先んじて消えていった。
……漆黒の装甲。不穏に肥大化した剣。
僕の――トーマ・アルベリオ・サンダルの、最新作の異形の影だった。
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