第23話
……アンフィトリーテとミクモが休日を返上し、第1居住区の地下から繋がる『謁見の間』へ急行する事を決めたのは、正規軍のアームヘッドの起動が確認できなかったというアイクルの発言から間もなくの事であった。
アイクルは後で『間』にて落ち合うと言い残し、通信を閉じた。
おそらく今頃は正規軍の格納庫内の監視カメラや各種端末に『眼』を向け、状況の確認を行っているのだろう。
こういう時にアイクルの権限で使用できる瞬間移動ポータルのようなものがあれば、とアンフィトリーテは唇を噛んだ。
あるにはあるらしいが、"様々な理由"で二人には使えないとの返答だった。
……結局、二人が第1区に辿り着き、そこから更に『謁見の間』へと足を踏み入れたのは、実に24時間以上経過してからだった。
まともに睡眠もできなかったミクモが朦朧とした意識を振り絞り、アンフィトリーテの後ろを歩く。
「眠くないの?」という問いには「慣れているさ」という返答が飛んできた。
「……以上の観点からして、私は生体研究所の対ハッキング用セキュリティチップに問題が……」
二人が『謁見の間』のドアを開けた時、最初に響いてきたのは、正規軍総帥・陸洞の凍てつくような声だった。その刹那、アンフィトリーテは陸洞の言わんとしていたことを理解した。
……狸め、と内心で毒づいて。
『……アンフィトリーテ博士、ミクモ名誉博士。丁度良いところでした。たった今、陸洞総司令より状況の報告と、彼の推論等を受け取っていたところです』
アイクルの口調に、ミクモの意識が叩き起こされるようにして明瞭化した。
出逢った当初のような、悪意も善意も読み取れない平坦で公平な口調。
そして自分達のことをアンフィ、ミクモと呼ばない。
今のアイクルは、先刻まで共に束の間の休日を過ごした「友人」ではなく。
この箱庭の世界の全てを運営する「統制者」なのだと。
『陸洞司令官の報告によれば、当方からの機密応援要請を受けてアームヘッドを起動しようとしたところ、主要たるランドコズミー部隊をはじめとする多くの戦力が起動に失敗したとの事。
そして起動失敗した全ての機体は、先日にトーマ・アルベリオから受けたハッキング対策として、貴研究所の開発したセキュリティチップをOSに実装したものであった、という報告も受けています』
アイクルの淡々とした口調に、ミクモが目を見開く。
何を言っているんだ、という表情を浮かべながら。
「……此方の言い分を述べる機会はあるかな?」
アンフィトリーテが皮肉めいて言うと、アイクルは間髪入れずに『どうぞ』とだけ返した。
「当該チップについては、当研究所での起動・運用試験において問題は発見されなかった。そのデータは、既に正規軍本部とアイクルの両方に報告済みの筈だ」
『はい。こちらでも精査し、全くの独立環境下においてシミュレーションを行いました。その際に以上は発見されていません』
「……アイクル」
アンフィトリーテが続く説明を述べようとした矢先。
ミクモが、静かにその名を呼んだ。
『なんでしょうか、ミクモ名誉博士』
「俺達が黒い魚影団とかち会ってた時、アイクルはそこにいたよね」
『……"いた"、という表現は厳密には正確ではありませんが、そちらに監視を重点させていたのは確かです』
「そう、"バイタルチェック"のためにね。最近アンフィねーちゃんも俺も運動不足気味だったからさ。……聞きたいのはこっから」
『どうぞ』
「俺達の"バイタルチェック"をしている間……アイクルは、正規軍の倉庫の中のカメラとかは見てたの?というか、陸洞のおっさん達がその時、何をしてたかとかは見てないんだよな?」
「──……」
陸洞の眉が跳ね上がり、不敵な微笑みを浮かべてミクモを見た。
だがミクモは退かなかった。
『……はい。不覚ながら』
"不覚ながら"。その言葉を聞いた瞬間、ミクモはただの一度で把握した。アンフィトリーテも間もなく勘付いた様子だった。
アイクルは、本質的に陸洞の言葉を信用しきれていない。
だがそれが報告であり、筋が通っている以上、統治者は公平に意見を聞かねばならない。
……ミクモは少し考え、陸洞の微笑みを一度観察し、次にアンフィトリーテの顔を見た。
両者共に、焦燥と不敵さの入り交じった笑みを浮かべ、ミクモの言葉の続きを待っていた。
ミクモの中にはひとつの考えがある。それはおそらくアンフィトリーテも、そしてアイクルですら既に思い至っている筈。ならば。
「……アイクル、俺から提案がある。
そっちも忙しいかもしれないけど、俺とアンフィねーちゃんのほかに、陸洞のおっさんの面倒も見てやってほしい。そうすれば、なんというか……チップの作り方や、機体の整備とかをミスったりもしなくなると思う。そうすればみんな不満はないはずだ」
どうにか言い終えたミクモに、アンフィトリーテは無言で横に立つと、その提案に賛成するジェスチャーをした。
陸洞はというと、腕を組んだまま、余裕であるかのような表情で佇んでいる。
……だが、ミクモの眼差しは、彼の目頭の筋肉が僅かに痙攣している仕草を見逃さなかった。
……誰も口にしない、陸洞への疑惑。
彼がトーマ・アルベリオと裏で組んでいるのではないか、という疑惑は、前回招集の時点で既に全員の胸の内にあった。
そしてトーマと繋がっているのなら、彼と同盟関係にある魚影団ともパイプがあることがほぼ必然的に明白である。
どのような思惑かまではさておき、彼は明らかに生態研究所の更なる弱体化、果ては排除まで目論んでいるのは明確だった。
一連の事件も、どうにも相手側の目的が見えなかった。ミクモは、絶えずそこを不思議に感じていた。
10年前の事件だと言って呼び出したはいいが――そこで、トーマは何をした?
彼のやった事はといえば、μT-DEEPONEのお披露目と、ふたりを気絶させたこと。
加えて、魚影団と繋がりがあったことのアピール。それは最早、ある種のデモンストレーションに近い。これからの、明らかな布石。
あの時も正規軍の挙動に違和感があった。
そして今も。
陸洞の結論は、リウ・グウに迫る敵の前に生体研究所の対応が甘いという糾弾と、不自然なまでの状況証拠の充実性。
……これをアイクルの口から言う訳にはいかない事をミクモが察知したのは、それこそ彼女の内心に燻る陸洞への不信を確信した刹那だった。
もしこれが「リウ・グウ統治者」の自発的な提案または行動だった場合、陸洞は自身に向けられた疑いに敏感に反応し、更に厄介な手段に出る可能性があった。
……だが。
「一度はクレアボーヤンスを撃破した実績を持ち、それでいて学術的ひいては政治的な影響力を持たない、名誉博士どまりのミクモという少年の、極めて公平な監視の提言」ならどうか。
陸洞は、それに反対できない。
それをまともに拒否したら最後、彼は自身への疑惑を肯定したも同然となる。
その解答に、ミクモは刹那に到達したのだ。
『……名誉博士の提言は、この場にいる全員にとって有用的なものと判断し得ます。陸洞総司令、何か意見はありますか』
アイクルの言葉に、陸洞は手を軽く振って「異議無し」のジェスチャーをした。
一瞬顔を片手で隠した後にあったのは、完璧なアルカイックスマイルだった。
◆
「……やれやれ、君という奴は。
ㅤ行き当たりばったりなのか、それとも全て計算尽くなのか。
ㅤ私は時々、見てて怖くなるよ。……本当に」
緊急議会が終了し、研究所へと戻っていく交通機関の中。
隣で寝息を立てるミクモの顔を見ながら、アンフィトリーテは静かに、誰に聞かせるでもなく静かに呟いた。
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