第20話
――擬似的に再現された空に、擬似的に再現された陽光。
ここが海の底に沈む都市リウ・グウであることを一切感じさせない程に、その「海辺」は精巧に形作られていた。
だが、ミクモを始めとした住人達にとって、それが偽物かどうかなどは関係ない。彼らはこの世界で生まれ育ったのだから。
元々居住区には住人達の健康を維持するための人工太陽が遙か"上空"に用意されているが、この「海辺」は特にリラクゼーションを目的とした娯楽領域である事もあってか、通常よりも光量が多めに設定されている。
多くの客で賑わう中を進む、ふたりの人影。
砂を蹴り付けて仁王立ちするのは、ミクモ・コーラルスター。細身ながらも鍛え上げられた体躯に、ショートパンツ風の遊泳着を履いた姿で佇んでいた。
その肩には飲料を積み込んだ小型のクーラーボックスが吊られている。
その背後にはもうひとり。
……陽光をやたら眩しがる少女、アンフィトリーテ。
「アンフィねーちゃんって吸血鬼か何かだったのか?すっげえ眩しそうにしてるけど……」
ミクモが振り返りながら怪訝そうに言うと、黄色の水着姿のアンフィトリーテは忌々しそうにサングラスを取り出し、その目元を隠した。
「……机の上でもコクピットの中でも、陽光とは縁遠いからね」
「たまには陽に当たんないとダメだぞ!」
『ミクモ名誉博士に同意します。これらの人工太陽はリウ・グウの全住民の健康維持や士気向上の為に敷設されているもの。アンフィトリーテ博士は少しビタミンが不足しているようです。良い機会である、と提言します』
……突如として響いた第三者の声に、ミクモとアンフィトリーテが互いに顔を見合わせた。
2秒の間を置いて、ミクモが無言でゆっくりと腕を上げ、アンフィトリーテが右手首に装着している小型多目的端末を指差した。
アンフィトリーテが端末を操作し、通知を確認する。
多忙なアンフィトリーテの端末は、常に十数件の通知が排水口のゴミめいて詰まっている。
しかし、そのトップに躍っていたのは、果たして『リウ・グウ管理区:"A.I.C.U.R.U"』の文字だった。それもリアルタイムで通信が可能なリモート回線で。
今この瞬間も、会話が繋がっている。
「……あー、こちらアンフィトリーテ・パンドラボックス。そちらは……アイクル、で間違いないか」
『はい、当方はリウ・グウ管理区中枢、"Artifical Intelligence Unit with Ryu-Gu Running system"……通称アイクルです。突然の提言、お許しを』
機械的な口調の音声に、アンフィトリーテは少し不満そうな表情を浮かべたまま続けた。
「……こちらはミクモ名誉博士と休暇中だ。そちらの言う通り、存分に英気を養っているところだが……何用か」
『先日のバイタルチェック時、どうしても体内栄養素の深刻なバランス崩壊が気になりました。なので今このように、そちらの端末を通じて提言をさせて頂いたのみです。御身はリウ・グウの未来には欠かせない存在、どうかご自愛を』
「……まあ、忠告は有り難く受け取ったよ。それじゃ──」
アンフィトリーテが通信を切ろうとした刹那、ミクモが眉をひそめた。
「んー……もしかしてアイクルも一緒に遊びたいの?」
ミクモの率直な言葉にアンフィトリーテが「?」を具現化したような表情を浮かべ、アイクルは5秒ほど明確に発言に詰まっていた。
『何故、そのようにお考えを?』
「なんか、なんとなくそうなんじゃないかな、って思った。違うならごめん」
『……遊ぶ……あそぶ……?しかし私は……』
「遊ぶって言っても、泳ぐだけじゃないし。そのままアンフィねーちゃんのタブレットから暫く一緒にいてみるのも良いと思うよ、オレ」
ミクモがくしゃっとした笑みを浮かべると、アンフィトリーテのほうを向いた。
「アンフィねーちゃん、いい?」
……5秒ほどの沈黙の後、アンフィトリーテは顔を上げた。何かを諦めたかのような表情だった。
「……まあ、私は良いとも。どうだいアイクル、たまには君も自分の治める世界で "休暇を取る" というのも悪くないだろう?並列思考ならそれこそ得意分野の筈だ」
アイクルは更に沈黙した。今度は10秒ほど。
……そうして。
アンフィトリーテの端末のモニターが一度大きく光ったかと思うと、そこには手の平サイズに縮小された、「謁見の間」で二人が見たクラゲのグラフィックが展開されていた。
『ただ聞き耳を立てるだけというのも……"味気ない"でしょう。
ㅤこれで、少しは"ご一緒している"ように思って頂ければ』
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