第19話
――照り付ける日差し。
熱の籠もった光に素肌をじりじりと焼かれながらも、その場にいた全員が、その勝負を見守っていた。
全員、と言ってもその数は少ない。
いるのは──アンフィトリーテ博士。そして愛らしいクラゲのグラフィック。そして、髭面の男達。
髭面の男達は、全員が二の腕や肩などいずれかの箇所の素肌に、胴体中央に巨大な眼のついた魚の図案を入れ墨として刻み込んでいる。
……壊滅した筈の海賊集団『黒い魚影団』所属であることを示すその図案は、アンフィトリーテとクラゲ以外の全ての一般人を震え上がらせ、既に退散させてしまっている。
「本当はもう少し赤色の多い方法で決着を付けたかったでヤンスが、こうなっては仕方ないでヤンス」
打ち付ける波を見下ろしながら、金髪の男……黒い魚影団団長、キャプテン・クレアボーヤンスが挑発的に笑いながら、横に立つ人物に言った。
その姿は遊泳用の水着一丁。鍛え上げられた筋肉が光る。
「お前がどんな方法を想像してたか知らないけど……オレはもう、お前を殺す気はない」
言葉をかけられた人物――ミクモ・コーラルスターは、以前に一度手にかけた筈の男を目の前にしてそう言った。クレアボーヤンスが可笑しげに眉を吊り上げた。
「ほほう、それはどうしてでヤンスか?」
「……お前を殺しても意味がない。
どうやったかは知らないけど、お前はどうせまた生き返ってくるんだろ。……それに、最初に誰かを殺した時……オレはずっと、なんかが気持ち悪かった。正しい事をしたんだ、悪い奴はオレがどうにかするしかないって、そう言い聞かせてたけど」
……ミクモの夕焼け色の瞳が、ちらと遠く背後で見守るアンフィトリーテを見た。
平坦で凹凸の少ない、あばらが浮き出る程に儚げなボディラインを黄色の水着に包み、パーカーを羽織るその姿に、その目元が僅かに和らいだ。
「オレひとりで全部背負わなくてもいいって、言ってくれた人がいたから」
「ッハ!」
クレアボーヤンスが一声笑い、その筋肉が駆動する。
……腰を曲げ、頭を垂れ、水面との衝突によって発生する衝撃を限界まで打ち消すための姿勢。
それを見てミクモも同じ姿勢を取った。
『――用意!』
クラゲのグラフィックが叫んだ。
「――甘っちろくなったでヤンスね、小僧」
二人が同時に岩の床を蹴り、水面へと躍り出る直前。
どこか吐き捨てるような、嘲笑うような、
それでいて、どこか落胆したような寂しげな声音が、置き土産のようにミクモの鼓膜に響いた。
◆
……遡ること数時間前。
アイクルから公的に二日間の休暇を出されたアンフィトリーテは、それらをただひたすらに自堕落かつ怠惰に過ごすことを夢想しつつ、自己嫌悪にも陥るという忙しい内心状態を抱えていた。
……ひたすら惰眠を貪るのも良い。というか基本はそのつもりだ。だが。
休日の度にそのように過ごす自身のサイクルに対し、どこか心が擦り切れるような感覚のあった彼女は、さてどうするものかと鬱屈した思いを抱えていた。
……またこうして悩みながら、気付けば何もせずに休日を終える。そう確信しながら、彼女は研究所の所長室の扉を開けた。
「アンフィねーちゃん!オレ泳ぎにいきたい!」
……扉を開けるなり耳に飛び込んできたミクモの声に、アンフィトリーテは目を真円にまで見開いた。
声の主はというと、自身の机を既に片付け、いつでも退勤できる状態で待機していた様子だった。
「……いきなり何だ」
アンフィトリーテが驚きから立ち直り、自身の椅子に一度座り直すと、ミクモはその横に小走りで駆けよってきた。
「だから言った通りだよ。このところずっと机仕事だったから、そろそろ背骨が丸まって来ちゃってさ」
ミクモが笑顔で言った。屈託のない陽光めいた笑みだった。
……まるで千切れんばかりに尻尾を振る犬のようだ、と感じてしまったアンフィトリーテの内心に、怪しい感情が衝動的に沸き出した。
少女の顔がにい、と歪み、ミクモに悪戯めいた眼差しを向ける。
「キミひとりで行けるだろう?私など気にせず、存分に羽を伸ばしてくるといいさ」
その瞬間、ミクモの口元が綺麗な四角形を描き、喉奥から「えー!」という声が飛び出した。
予想通りにして期待通りの反応に、アンフィトリーテの内心の、ささやかな嗜虐心が満たされていく。
……我ながら性格の悪い歓びだ、こんなだから友人が少ないのだ、と自省しつつ、少女はミクモの反応を待った。
「でもわかった!じゃあオレひとりで行く!お土産期待しててくれ!」
落ち込んだ表情を2秒間のみ浮かべた後、突如として笑顔に感情を切り替えたミクモが踵を返し、すたすたと自身のバッグを持って所長室の扉めがけてスライド移動した。
「だあー!ちょっと待ってくれ!私も行く!行くってばあ!」
……一切の嫌味なく、凄まじい勢いで所長室からロケットの如く飛び出していくミクモの挙動に、一瞬で「置いていかれた」事への寂寥感を噴出させたアンフィトリーテが、
叫びながら自身の鞄を引っ掴み、運動不足の肉体を必死に走らせた。
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