第18話

――有機質の肉に電気信号と血が通い、それらは魂を宿す器となる。


肉体の主は、自身の指先をほぐすようにして一通り動かすと、形を成してまだ半月も経過していない自身の眉根をひそめた。

「どうかしたかい、団長」

明朗快活なもうひとりの声が響き、その人物が空間に現れた。


後から現れた人物は、眼鏡に糸目、フード付きのスーツという姿の青年めいた外見の男。

AA社CEOにして、現在指名手配中の犯罪者。名をトーマ・アルベリオ・サンダル。

対して「団長」と呼ばれた男はというと、どこか納得いっていない、といった様子で溜息をつくばかり。

「いやなに……今度の身体は、妙に細部がお粗末というか。なんか前よりも着ぐるみを着ているような感じがするでヤンス」


揺れる金髪。

先程までアームヘッドに搭乗していた事もあり、整えられてもいないその毛先が、彼の心情そのままに荒れ果てていた。


「技術的には安定している……筈なんだけどね。流石に君くらいに場数が違うとなると、個体差の善し悪しも解ってきてしまうか。まあ、今回はそれで勘弁してほしい。それとも"取り替え"を望むかい?」

トーマが戯けるように言うと、金髪の男は嫌そうに首を横に振り、すぐ側に置いてあった帽子を掴んだ。


……金と紺色で彩られた、豪奢な海賊帽。

主人とは異なり、一度も復元されることはなく、されど幾度もの荒波を共に切り抜けてきた王冠。

それは主人の頭の上、あるべき場所へと重ねられ、その眼差しを役目通りに覆い隠した。


「キャプテン・クレアボーヤンス――再装填リロードでヤンス」



「……そんな馬鹿な」


それが、アンフィトリーテが口にできる精一杯の感想であった。

ミクモは、眼前の光景に呆然としたまま、言葉すら発しなかった。

陸洞はというと、その深い眉根に断崖絶壁めいたひび割れを起こし、その有様を無言で見つめるばかりであった。


『信じがたい、というのは当然の感想です。ですがこの映像記録を前に、そのような反応をするのは当方としても想定通りでした。何しろ……』

愛らしいクラゲの立体映像が空間を躍り、新たなる表示パネルを呼び出した。そこには、とあるDNAの解析結果が詳細に記録されている。


『……当方でも、回収された"彼"の死体の解析を既に追え、同定作業を完了していました。

ミクモ・コーラルスター、あなたがμT-WONDERRAVEで握殺した人物は、黒い魚影団の団長、キャプテン・クレアボーヤンスで間違いありません。DNAデータがそれを照明しています』

リウグウの"神"、アイクルが断言した。


「しかし……そうなると」

陸洞が腕を組み直し、改めて先程の映像記録を確認する。

……ミクモが先に倒れ、アンフィトリーテも気を失った後。

異常事態を察知して駆け付けた追加支援の正規軍所属コズミー達のカメラが捉えた、その光景。

WONDERRAVE、OMEGABASTIONを下したDEEPONEが立っている。

すると、そのすぐ横に緑色に塗装されたランドコズミーが合流したかと思うと、2機揃って異様に軽やかな挙動でその場から消えてしまったのである。

……コズミーのコクピットは透明ハッチで覆われている為、中のパイロットの顔が確認できた。


――獅子のような黄金の長髪。眉のない瞳。

外見的特徴の全てが、死亡した筈のクレアボーヤンスと酷似していた。


『勿論、影武者という可能性はあります……どちらがそうなのかは、まだ確証がありませんが。しかし、映像記録の該当区域周辺では、この直前に強行的物資強奪が発生しています。

そこに残されていた指紋や生体痕跡を解析した結果、そのDNAデータは、先日の残骸のものと完全に一致することが証明されました。……不可解な事に、これは事実です』


アイクルが機械的に困惑するという奇妙な反応を示す中、陸洞が口を開いた。


「どれほど状況が奇妙であろうと、アイクルが解析した事実こそが真実だ。であれば、これはアンフィトリーテ所長とミクモ君がクレアボーヤンスを仕留め損なった、という事態に他ならないと、私は判断する」

ミクモが振り向いた。

陸洞の表情は、鋼の仮面じみていた。


「……」

ミクモが内なる反感を抑え、無言でアンフィトリーテに目線を飛ばした。果たして彼女からのアイコンタクトは「様子を見ろ」、または「任せろ」だと読み取れた。ミクモは沈黙を貫いた。

……どういうわけか、胸の奥からこみあげる"何か"への反発めいた憎悪。

正体こそ解らないまま、しかしミクモはアンフィトリーテの事に意識を向けるだけで、不思議とそれが和らぐような感覚を覚え初めていた。


「アイクル、私は正規軍総帥として提言する。

生体研究所の戦力規模では、確実な実行性に不安が残る。クレアボーヤンス討伐作戦の指揮は、これより正規軍が主導権を握るものとしたい」

陸洞の零度の声音に、アンフィトリーテが小さくちい、と舌を鳴らした。彼女の予想通りであった。


ミクモはアンフィトリーテの言葉を思い出していた。

……陸洞という男は、いつもこうなのだと。アンフィトリーテの父・ポセイドロニウスが生体研究所の所長を務めていた頃から、同所の立場を崩しつつ功績のみを掠め取っていく常習犯だ、と。

それは、研究所が娘の代になっても変わらないようであった。


『陸洞総司令の提言を受領しました。アンフィトリーテ博士、そちらは何か意見はありますか?』

アイクルが冷静な口調で問うと、アンフィトリーテの口元は突如として三日月状に歪み、不敵な笑みを作り出した。

……額に一筋の汗が垂れる。それは、綱渡りめいた威勢であった。


「……アイクル。今回の事態について、私はひとつ正規軍の対応に不可解なものを感じる」

「ほう、それは――」

『陸洞総司令、当方は現在アンフィトリーテ博士の意見を受け付けています。あなたの発言を認めません。博士、続けてください』


「ありがとう。では――

私は事件の直前、トーマ・アルベリオと思しき人物から奇妙なメールを受け取っている。そうして呼び出された場所で今回のような事態となった訳だが……彼が呼び出したのは、元々私とミクモだけなのだ。正規軍が護衛として人材を寄越してくれたのは良いが、その数が半端すぎるのだ」

『続けて』

「ありがとう。……正規軍が寄越したのは2名。護衛役としてなら充分な数だ。しかし私が疑念を抱いているのは、この映像記録を撮影することができた状況だ」

『更に、続けて』

「これを撮影した正規軍所属コズミーは、私とOMEGABASTIONが戦闘不能となった直後に現場に到着している。

……タイミングが良すぎる気がするのだ。正規軍所属コズミーの機体残骸から、応援信号が発信された形跡はなかった。つまり応援部隊は、ある程度はこの場所へと赴くことを想定して待機状態にあったことを意味する」


『……結論をどうぞ』

アイクルがアンフィトリーテの言葉の意を汲み取り、その言葉を言い放った。

陸洞の冷たい鋼じみた視線を、何でもないかのように威勢を張りながら、アンフィトリーテは不敵な笑みを浮かべ、言葉を紡いだ。


「私はリウ・グウを護ってきた正規軍、及び陸洞氏を"信頼"している。彼がテロリストと組んでいる……などとは、陰謀論が過ぎるだろう。

だが解析こそが真実だと同氏も言った。そして真実は、私達が打倒した男がクレアボーヤンス本人だと保証している。私は研究所の信頼性が揺らいだとは考えていない」


「……」

陸洞が無言のまま、睨んでいるとも愉しんでいるとも取れる面持ちでアンフィトリーテを見つめる。

アンフィトリーテはあえて一度彼に目くばせして牽制し、言葉をつけ加えた。

「……それに、トーマは元々、何の因果か私達二人を狙ってきた。この事件において我々の重要性は揺るがないだろう」


『なるほど、意見を受領しました。下がってください、アンフィトリーテ博士』

アイクルの言葉に一礼すると、アンフィトリーテは一歩後ろに下がり、言葉を切り上げた意思表示をした。


『ふたりの意見には、共に正当性が認められます。これを踏まえ、後日当方から改めて通達をお出しします。本日のところは、これにて解散とします。

お集まり頂いた皆様方、ご足労ありがとうございました。

事態の混迷化に伴い、全員のバイタルに疲労の痕跡が認められましたので、当方より公的に2日ほどの特別休暇をお出しします。まずは英気を養い、当方からの指示をお待ちください。それでは――』


……光の庭園を抜け、輝安鉱の洞窟を抜け、

再びリウ・グウの世界へと戻るエレベーターの中、陸洞が二人のほうを見ないまま、静かに呟いた。


「アンフィトリーテ博士。君はどうやら、父君のように素直にはいかないらしい」

アンフィトリーテは無言。だが、認識していない筈がない。


「私は私の道を譲る気は毛頭ない。

……だが、父君は少しばかり人が良すぎてね。私としても張り合いが無くて、どうにも顔を合わせる度に調子が狂ったものだ」

「……何が言いたいんだ、おっさん」

ミクモが静かに聞いた。敵意を限界まで隠した、それでいて決して友好的でない、彼なりに配慮した響きだった。


「面白くなってきた、という事だよ少年。

言ったはずさ。父君相手だと調子が狂った。

だが、彼女には骨がある。


ならば、私の調子も少しばかり軽快になる、という意味さ」



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