第16話
――張り詰めた空気が、かれこれ二時間ほど張り詰め通しで悲鳴を上げているのを、ミクモは肌で感じた。
体調を取り戻したミクモ、アンフィトリーテ。
……そして二人と少し距離を置くようにして、同じ人員輸送ボックスの中に立っている人物がひとり。
性別は男性。外見は40代半ばといった印象。
鍛え上げられた鋼のような筋肉は、繊細に仕立てられた上等な軍服の下にしまい込まれ。
白銀と黒が混じりながらも、上品さと野生動物の獰猛さを併せ持つかのようなロマンスグレーの髪は、オールバックの形で整えられ、額に一房だけが獅子の尾の如く垂れていた。
……時折、ミクモと「彼」の眼が合い、その度に向こうは目を細めて穏やかに笑うことで挨拶とした。ミクモは少し気圧されながらも手を上げて挨拶を返すことで精一杯だった。
ここに来る前に、アンフィトリーテからいつになく真剣な口調で忠告されていたのだ。「彼」相手にだけは油断するなと。
三人と、それを護衛する人員を載せた輸送ボックスが、地下海底都市リウ・グウ第1居住区の地下に巡らされた専用ルートを高速で滑っていく。
……「陸洞 行派(りくどう ぎょうは)」。
リウ・グウの創設に携ったとされる名家・陸洞家の現当主にして、リウ・グウ正規軍総帥。それが二人の目の前にいる。
10年前、ミクモとアンフィトリーテが親を失った旧第6区崩壊事件の真相究明、及び事態収束において大きな功績を残した人物であり、エネルギー生成施設に破壊工作をしたとされるテロリストの撃滅を以て、正規軍の立場を現在の盤石な物とした実力者。
……アンフィトリーテはそう説明した。そして、こう続けた。
公明正大で、大局を見据え、常に余裕を崩さない。
そしてその態度のまま、『敵』と認識した者に対して、穏やかな態度を崩さぬままに追い詰め、首を刈り取る。
自身の方針を阻む者を、そのようにして排除してきた、獅子の姿をした死神である、と。
……人員輸送ボックスが反重力コアエンジンによる駆動を休止させ、奇妙なメロディを発して到着を知らせた。
リウ・グウで最初に建造された、最も古き居住区である第1区、そこから更に『深部』へと進んだ領域。
誰の手も届かぬ闇の奥深くに、ミクモ、アンフィトリーテ、そして陸洞は足を踏み入れた。
――開かれたボックスの乗降口の先に広がる景色は、ミクモが今までにみたどんな光景とも似つかなかった。
人工施設とも天然の大洞窟ともつかない、奇妙な壁面が左右に高く聳え、天井は闇。
まるで輝安鉱にも似た、結晶質の黒い柱のような構造が無数に連なり、その奇妙な世界を織り成している。
「お二人方とも、ここに来るのは初めてのようですな」
ミクモとアンフィトリーテが呆気に取られていると、後ろから微笑みを含んだ声がした。言うまでも無く陸洞である。
「どれ、ここは若いお二方のため、私が先導を務めさせて頂こう。……よろしいね、パンドラボックス博士?」
名を呼ばれたアンフィトリーテが、警戒しながらも無言で頷いた。
陸洞が先頭を行くのは場のイニシアチブを奪う為。紳士的行為に見えて、この先で待つ「何か」における優位性を今のうちに確保するための布石。その事を、ミクモは直感で感じ取っていた。
だが下手に抵抗すれば角が立つ。ならば。
陸洞を先頭に、そのすぐ背後に護衛が二名。
その更に後ろからミクモとアンフィトリーテが続き、しんがりには更に二名の護衛が連なった。
永遠に続くかと思われた黒い世界は、しかして徒歩で10分ほどの時点で唐突に終わった。
……突き当たりに、明らかに人工の壁がある。色は黒鉄色。
「諸君、個人識別用コードの出番だ。肩を出して順番を待ってほしい」
陸洞はそう言うと、軍服の上をはだけ、まるで山脈のような鋼の肉体を曝け出した。
……右肩に、入れ墨のような形のバーコードが刻まれている。リウ・グウ市民ひとりひとりに支給・登録され、同じものはひとつとしてない専用の紋様。
ミクモは白衣を手早く脱ぎ捨て、その下に着込んでいるジャケット姿になった。
……横目でアンフィトリーテの様子を見る。そこには、白衣を脱いだ後、普通に腕まくりをする彼女の姿があった。
「なんだ、何を期待したんだい?あとで詳しく聞かせてほしいな」
アンフィトリーテが意地悪そうに笑うと、ミクモは思わず目をそらしてしまった。
全員のコードを壁のセンサーに読み込ませ、陸洞が緑のボタンを押して「認証入力完了」の意をシステムに伝える。
……黒鉄色の壁面に、幾何学的な形状の光の亀裂が入ったかと思うと、
それは無数の凹凸で削り出された断面を晒しながら、左右にゆっくりと展開し、その先へ続く道を示した。
「――なんだ、ここ」
その先。
溢れ出した "光" にようやく眼球が慣れたミクモの口から、そんな率直な感想が漏れ出た。
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